星見の水晶
「つまり、そこのニンゲンが新しい祭主になったと。」
「そういうことですね。」
「わらわもニンゲンのことは知っておったが、見るのは初めてなのでな。」
「よろしくね。」
「ああ、よろしく頼もう。」
フェイダは玉座に深く腰掛けたまま、ゆっくりとこちらを眺めていた。
紫水晶みたいな瞳だった。 笑っているようにも見えるし、獲物を観察しているようにも見える。
「しかし驚いたな、セレス。おぬしがまともに外交をしに来る日が来るとは」
「どういう意味よ!」
「そのままの意味じゃ。昔は城に来るたび菓子を食い散らかして帰っておったではないか」
「今回はちゃんと半分しか持ってきてないもん!」
「半分は持ってきたのか……」
フィレンが頭を押さえた。 フェイダは喉の奥でくつくつ笑う。
「相変わらずじゃな」
その声には、敵意より呆れに近いものが混じっていた。
私は少しだけ肩の力を抜く。 敵対的な感じはなくてよかった。
「……で、お姉ちゃん、用件ってなんなの?」
「今、すこしばかり困ったことになってな。そなたらに力になって欲しいのだ。」
セレスは露骨に嫌そうな顔をした。
「その“困ったこと”って、絶対ろくでもないやつでしょ」
「よく分かっておるではないか」
「褒められても嬉しくない!」
フェイダは組んでいた足を直し、姿勢を正す。
「……ここ最近、シルフェンの様子がおかしくてな。」
フェイダの声音が、ほんの少しだけ低くなる。
先ほどまでの余裕混じりの空気が消え、謁見の間に静寂が落ちた。
「様子がおかしいって、具体的には?」
セレスが眉をひそめる。
「最初は些細な違和感だった。公務を突然休む。夜中に一人で森へ出る。会議中にぼうっとする……まあ、疲れておるのかと思っていたのだが」
フェイダは指先で肘掛けを軽く叩く。
「三日前から、“声が聞こえる”と言い始めた」
「声?」
私は思わず聞き返した。
「ああ。“門の向こうから呼ばれている”とな」
空気が凍った。
フィレンの目がわずかに細まる。
「……門、ですか」
「おぬし、なにか知っておるな?」
フェイダが鋭く視線を向ける。
「断定できることは何も」
「相変わらず慎重じゃの」
フェイダは小さく鼻で笑ったあと、再びこちらを見る。
「問題はそこからだ。昨日、シルフェンが突然城の地下へ入り込み、“封印庫”を開けようとした」
「封印庫?」
セレスが嫌そうな顔をする。
「その顔を見るに、知ってるんだ」
「知ってるもなにも、あそこ嫌いなのよ……空気が気持ち悪いし」
「珍しく意見が合いますね」
フィレンが静かに言った。
フェイダは頷く。
「フロレシアでも最重要危険区域の一つだ。古代魔術や禁呪級の遺物が封じられておる」
「そんな場所に、シルフェンさんが?」
「あやつは側近じゃ。開ける権限そのものは持っておる」
「じゃあ問題ないんじゃないの?」
「問題は、“本人が何を開けようとしていたか覚えておらぬ”ことだ」
沈黙。
妙に嫌な沈黙だった。
「記憶が抜け落ちてるってこと?」
私は聞く。
「うむ。気づけば地下に立っていた、と」
――気づけばここにいた。
暗闇の感覚が一瞬だけ蘇る。
「帰りたい」
セレスが即答した。
「まだ来たばかりでしょ」
「だって絶対呪い系じゃない!」
「魔女の国で“呪い系”という表現は雑すぎますよ」
フィレンがため息をつく。
するとフェイダが、ふっと笑った。
「安心せい。まだ死人は出ておらぬ」
「“まだ”って言った!」
セレスが叫ぶ。
「女王様、声量を抑えてください」
フェイダは頬杖をつき直す。
「本来ならば国内で処理する問題だ。だが、“門”という言葉が出た以上、おぬしらにも無関係ではあるまい」
紫水晶の瞳が、まっすぐ私を見る。
「特に、ニンゲン。そなたにはな」
胸の奥がざわついた。
シルフェン。門。記憶喪失。地下の封印庫。
偶然にしては、嫌に繋がりすぎている。
「……そのシルフェンって人、今どこにいるの?」
「自室に軟禁中じゃ。暴れはせぬが、何をするか分からぬからな。」
「……それで?」
フィレンが静かに口を開く。
「私たちは何をすればいいんですか。」
フェイダはゆっくり立ち上がった。
黒いドレスの裾が床を滑る。
「調査じゃ」
その一言で、空気がさらに重くなる。
「シルフェンが何に触れ、何を見たのか。地下で何が起きているのか。そして――」
彼女は私を見た。
「ニンゲンと“門”が、どこまで関係しているのか」
セレスが小さく唾を飲み込む。
「ちなみに……危険だったりする?」
「かなりな。」
「帰りたい……」
「さっきからそれしか言ってないね
フェイダはくつくつ笑った。
「安心せい、セレス。そなたらだけに任せるつもりはない」
「もちろん。わらわも同行しよう。それと……」
「ザヴィーネ、こちらへ来い。」
フェイダが呼びかけると、扉からさっきの蔓がでてきた。
「紹介しよう。こやつはザヴィーネ。わらわの護衛だ。」
「あなた、ザヴィーネっていうのね。よろしく!」
「ああ、さっきのやつね。」
ザヴィーネは気怠そうにこちらを見下ろした。
近くで見ると、左腕に絡みついている蔓は本当に生きているみたいだった。脈打つようにゆっくり動いていて、棘の先端だけが淡く紫色に光っている。
「わたしは別に歓迎してないけど」
「感じ悪っ!」
セレスが即座に反応する。
ザヴィーネは鼻で笑った。
「妖精は声がうるさい」
「魔女は性格が悪い!」
「はいはい、そこまでにしてください」
フィレンが制裁する。
「とりあえずフェイダさん、その地下の封印庫まで案内してください。」
「あぁ、わかった。わらわについてこい。」
◇
私たちは仰々しい大きな扉の前に案内された。
「この先だ。」
「うわ~……やっぱり変な気分になるね、ここ。」
「何?あんたここが怖いの?」
「逆にあなたは怖くないの!?」
「まぁ、魔女だから。」
「関係あるの?それ。」
「あるわよ。妖精は魔術に弱くて魔女は魔法に弱いのよ。」
「……へえ」
「……待って、あなた一国の女王よね。なんでこんなことも知らないの?」
「私に何を期待してるのよ。」
「……もういいわ。勝手にしてちょうだい。」
「皆のもの、扉を開けるぞ。」
フェイダが数歩前へ出る。そして、持っている杖を振りかぶる。すると、杖に禍々しいオーラのようなものが纏い、それが扉へと移る。
扉全体に紫黒い光が走る。 まるで血管みたいに紋様が脈打ち、重い振動が床へ伝わってきた。
――ゴゴゴゴゴ……
鈍い音を立てながら、巨大な扉がゆっくり開いていく。
その瞬間。 冷たい風が吹き抜けた。
「っ……!」
セレスが反射的に私の後ろへ隠れる。
風じゃない。 もっと別の何かだった。
空気そのものが、こちらを拒絶しているみたいな感覚。
「相変わらず妙な場所じゃな……」
フェイダが小さく呟く。
扉の先には、地下へ続く長い階段があった。壁には妖しく燃えるろうそくがずらっと立て掛けてある。
「置いていかないでぇ……」
セレスが私の外套を掴む。
「歩きにくいんだけど」
「無理! なんかここ、“死んでる”感じする!」
その言葉に、フィレンが少しだけ目を細めた。
「わかります。私もすこし頭が痛いです。」
「そのくらい我慢しなさいよ。相変わらず妖精は弱虫ねぇ。」
階段を降り切ると、地下とは思えないほど広い空間が広がっていた。
「うわ……」
天井は高く、巨大な柱が並んでいる。
その柱一本一本に、鎖が巻きつけられていた。
鎖の先には、“何か”が封じられている。
黒い塊。 霧のようにも、液体のようにも見えるそれは、一定の形を持っていない。 ただ、近づくだけで胸がざわつく。
「……なに、これ」
セレスが珍しく小声で言った。
「封印遺物群じゃ。」 フェイダが低く答える。 「古代より危険と判断されたものをここへ封じておる。」
「“もの”って感じしないけど」
「実際、“物”ではないものも多い」
フィレンが周囲を見回しながら続ける。
「感情。記録。呪詛。概念。そういう類も含まれているようですね。」
「概念を封印って意味分かんないんだけど……」
「理解できないから封印されたんですよ」
その説明は納得できるような、できないようなものだった。
フェイダがゆっくりと進む。
「足元が悪いからゆっくり進んでくれ。」
少しずつ進んでいくと、奥に台座が見えてくる。
台座の上に置かれていたのは、一つの水晶玉だった。
淡く透き通った銀色。内部に星屑みたいな光がゆっくり流れている。
――見覚えがあった。
「……え」
思わず足が止まる。
「わぁ!綺麗!なにこれ!」
「セレス!あまり近づくな!何が起きるか分からんぞ!」
……あの暗闇の中で見た水晶と似ている。いや、同じ?
「どうしたの?」
セレスが不安そうにこちらを見る。
「私は、これを見たことが……ある。」
「え?」
「見たことがある……だと?」
フェイダの声が低くなる。
私はゆっくり頷いた。
「夢の中……だったと思う。暗い場所で、これと同じ水晶を……」
言葉にした瞬間、頭の奥がじわりと熱くなる。
耳鳴り。
頭の中に鈍い音が響いた気がした。
フィレンが真剣な顔になる。
「具体的に、何を見ましたか?」
「……よく覚えてない。でも、“門”があった」
空気が止まった。
フェイダの瞳が鋭く細まる。
ザヴィーネの蔓がぴくりと動いた。
「その門は、どんな形をしていた?」
「黒かった。すごく大きくて……空が割れてるみたいな……」
言いながら、自分でも寒気がした。
あれは夢じゃない。
そんな確信だけが妙に残っている。
「……やっぱり帰らない?」
セレスが小声で言った。
「今さら?」
「だって絶対よくない流れだもんこれ!」
「私も同意します」
フィレンまで頷いた。
フェイダは腕を組み、水晶玉を見つめる。
「シルフェンが最後に触れていたのも、この“星見の水晶”じゃ」
「星見?」
「古代魔術遺物の一種だ。本来は未来観測や遠隔観測に使われていたらしいが……今では詳細な情報は失われておる」
「……祭主?」
――私はいつの間にか歩きだしていた。
「おい!お前!それに触れるな!」
「祭主、止まるんじゃ!」
いつの間にか手がでていた。
指先が、水晶へ触れる。
――冷たい。
そう思った瞬間、頭の中にノイズが走る気がした。
◇
意識が戻った。少しだけ、寝ていたようだ。
頭が割れるように痛い。
「あなたが祭主ね。」
目の前に誰かがいた。
「誰?」
「私はシルフェン。女王から聞いたでしょ?」
「なんであなたがここに?というかここはどこ?」
周囲を見回す。
白い。
どこまでも白かった。
床も、空も、境界が曖昧で、まるで霧の中に立っているみたいだった。 音もない。 風もない。
「ここは……門?でも黒くない……」
「まぁそういうこと。」
「ここは私とあなただけの共感空間。」
「共感空間……」
困惑しかない私をおいて、シルフェンは話す。
「……つまり、夢みたいなもの?」
「半分正解。半分は現実。」
「一番困るタイプの説明だね」
シルフェンは小さく笑った。だが、その笑みはすぐ消える。
「あなた、あの水晶に触ったでしょ。」
「……うん」
「やっぱり。」
シルフェンは静かに目を伏せた。
「触った瞬間、どう感じた?」
「頭が痛くなっただけかな。」
「声は?」
「……聞いてない。たぶん」
答えながら、自信がなくなる。 本当に聞こえなかっただろうか。
あの瞬間。 ノイズの奥で、誰かが何かを囁いていたような気もする。
シルフェンはじっとこちらを見た。
「あなた、“適合”してるのね」
「適合?」
「星見の水晶に触れて、精神が崩壊しなかった」
「えっ」
「普通は壊れるわよ」
さらっと怖いことを言われた。
「いやいや、そんな危険物だったの?」
「だから止められてたでしょ」
「もっと強く止めてほしかった!」
「フェイダは叫んでたと思うけど」
それはそうだった。
シルフェンは少しだけ苦笑する。 けれど、その顔にも疲労が滲んでいた。
「……私は三日前、あれに触れた」
「自分から?」
「違う。気づいたら触ってた」
その言葉に、背筋が冷える。
「その瞬間、“門”を見たの」
白い空間が、わずかに軋んだ。
遠く。 どこか見えない場所で、鈍い音が響いた気がした。
「黒い門?」
「ええ。空を裂くみたいな門」
私が見たものと同じだ。
「その向こうから、声が聞こえた」
シルフェンの表情が強張る。
「最初は小さかった。でも日に日に近づいてくる」 「眠っていても、起きていても聞こえる」 「まるで、頭の内側を爪で引っ掻かれてるみたいに」
ぞわり、と寒気が走った。
「なんて言ってたの?」
シルフェンは少し黙る。
言うべきか迷っているみたいだった。
やがて彼女は、小さく口を開いた。
「――“鍵を返せ”って」
「鍵?」
「意味は分からない。でも、何度も繰り返してた」
「……私はすこし、この世界の闇を知りすぎたのかもしれない。」
シルフェンは、自嘲するみたいに笑った。
「知れば知るほど、戻れなくなる。古代魔術っていうのは、だいたいそういうものよ」
白い空間の奥で、何かが軋む音がした。
ギィ、と。
巨大な扉がゆっくり動くような、不快な音。
私は反射的に振り返る。
「……今の、聞こえた?」
「聞こえたなら、もう手遅れかもしれないわね」
「やめてよ、そういう言い方」
シルフェンは答えなかった。
代わりに、こちらへゆっくり歩いてくる。
白い床には足音がなかった。
「ねえ、祭主。あなた、自分がどうやってこの世界へ来たか覚えてる?」
「……」
答えられなかった。
気づけばここにいた。
それしかない。
「やっぱり」
シルフェンが目を細める。
「記憶の欠落。門の夢。水晶への適合。全部一致してる」
「一致って、何と?」
その瞬間。
白い空間に、黒い線が走った。
ビキッ――と。
空間そのものに亀裂が入る。
「っ!?」
「時間みたいね。またいつか会いましょう……ノア……」




