第32話 絶望の魔神
地下神殿に、深い沈黙が落ちた。
誰も言葉を発せない。
裂け目の奥から現れた“それ”を見た瞬間、本能が理解してしまったからだ。
――勝てない。
巨大だった。
侵界の魔神ですら霞むほどの威圧感。
黒い霧に包まれた身体は人型にも見えるが、輪郭は曖昧で、存在そのものが世界から拒絶されているようだった。
巨大な二本の角。
深淵のような漆黒の瞳。
背後に広がる無数の黒い翼。
そして、身体から溢れ続ける圧倒的な魔力。
空間が悲鳴を上げ、地面が砕け、神殿の壁に亀裂が走る。
「な……」
武は言葉を失った。
アレクは剣を握ったまま固まり、ルシエラの顔は青ざめている。
ただ一人、古き魔王の少女だけが震える声で呟いた。
「……滅界の魔神」
武が振り返る。
「知ってるのか?」
少女は唇を噛みしめた。
「二千年前の戦争で、最も多くの国を滅ぼした魔神だ」
「……は?」
「世界の三分の一を消滅させた」
その言葉に、全員の顔色が変わる。
「三分の一……?」
「そうだ」
少女の表情は険しい。
「人類、魔族、亜人族。そのすべてを滅ぼした怪物」
アレクが額に汗を浮かべた。
「冗談だろ……」
「冗談なら、どれほど良かったか」
少女は首を振る。
「奴が現れた場所は、地図から消えた」
空気が重く沈む。
武も理解した。
今までの敵とは格が違う。
完全に別次元だ。
《懐かしいな》
滅界の魔神が口を開いた。
その声は静かだった。
だが、聞くだけで頭痛がする。
《二千年ぶりの世界か》
巨大な瞳が周囲を見渡す。
《ずいぶん弱くなった》
その一言で空気が震えた。
ゴゴゴゴゴゴゴ!!
魔力の余波だけで神殿の柱が崩れ落ちる。
「うわっ!?」
武たちは慌てて距離を取った。
だが滅界の魔神は動いていない。
ただ立っているだけ。
それだけで周囲が壊れていく。
「化け物かよ……」
武の呟きに、アレクが乾いた笑いを漏らす。
「今さらだろ」
「いや、レベルが違う!」
その時、滅界の魔神の視線が武に向いた。
《なるほど》
黒い瞳が細められる。
《界護人か》
ドクン。
武の胸が脈打つ。
黄金の光が反応した。
《まだ幼いな》
「誰が幼いだ」
《力がだ》
滅界の魔神はつまらなそうに言い放つ。
《その程度では話にならぬ》
武の眉がひそむ。
次の瞬間――滅界の魔神が指を動かした。
それだけだった。
ズドォォォォォン!!
衝撃波が襲いかかる。
武たち全員が吹き飛ばされた。
「ぐああああ!」
壁に叩きつけられ、肺の空気が抜ける。
息ができない。
アレクもルシエラも同じく倒れ込み、少女ですら膝をついていた。
「なんだ……今の……」
武が震える。
攻撃ですらない。
ただ指を動かしただけだ。
《弱い》
滅界の魔神は告げる。
《あまりにも弱い》
武は歯を食いしばった。
悔しい。
何もできない。
守ると決めたのに、何一つ届かない。
その時――。
《だが面白い》
滅界の魔神の視線が武に固定される。
《界護人の力を持ちながら、完全覚醒していないとは》
古き魔王の少女が前に出た。
「滅界」
《久しいな、魔王》
少女は睨みつける。
「なぜ今さら現れた」
滅界の魔神は笑った。
《決まっている》
黒い翼が広がる。
《世界を終わらせるためだ》
ゴォォォォォォォ!!
裂け目の向こうで何かが蠢く。
さらに巨大な影。
さらに多くの魔神。
まだ終わりではなかった。
《門は開いた》
滅界の魔神が言う。
《やがて我らは、すべての世界を侵食する》
ルシエラの顔色が変わる。
「すべての世界……?」
《そうだ》
滅界の魔神は笑う。
《この世界だけではない》
武の背筋が凍る。
まさか――。
《お前のいた世界もな》
「――っ!」
武の瞳が見開かれた。
日本。
家族。
友人。
元いた世界。
《いずれ滅ぶ》
その言葉を聞いた瞬間――武の中で何かが切れた。
「ふざけるな」
黄金の光が爆発する。
神殿を照らすほどの輝き。
《ほう》
滅界の魔神が初めて興味を示した。
武は立ち上がる。
全身が光に包まれていた。
「この世界も」
一歩前へ。
「元の世界も」
さらに一歩。
「誰にも壊させない」
ドクン。
鼓動が響く。
黄金の粒子が舞う。
《面白い》
滅界の魔神の口元が歪む。
《なら見せてみろ》
黒い魔力が噴き出す。
同時に、武の黄金の力も膨れ上がる。
白と黒。
二つの力が激突し、空間が割れた。
神殿が悲鳴を上げる。
アレクが叫ぶ。
「タケル!」
ルシエラも声を張り上げる。
「無茶です!」
だが武は止まらない。
身体の奥から力が溢れる。
怖い。
だが、不思議と迷いはなかった。
守りたい。
その気持ちだけが力になる。
そして――。
『第二段階』
頭の中で声が響いた。
武が目を見開く。
あの声だ。
界護人の声。
『覚醒条件を確認』
黄金の光がさらに強くなる。
少女が驚愕した。
「まさか……!」
《何!?》
滅界の魔神ですら驚愕する。
武の背後に巨大な黄金の紋章が出現した。
神々しい光。
世界を包むような温かさ。
そして――武の瞳が金色に染まる。
『第二覚醒開始』
ゴォォォォォォォ!!
神殿全体が黄金の光に包まれた。
滅界の魔神が初めて警戒する。
《馬鹿な……こんなに早く》
少女も震えていた。
「あり得ない……」
アレクは呆然と呟く。
「タケル……」
ルシエラも言葉を失う。
武自身にも分からない。
ただ、力が溢れてくる。
世界と繋がる感覚。
その先で――何か巨大な存在が目を覚まそうとしていた。
界護人。
二千年前の守護者。
その真実が明かされる時が近付いていた。
そして――滅界の魔神がゆっくりと笑う。
《いいだろう》
黒い翼が広がる。
《ようやく遊べそうだ》
最強の魔神。
第二覚醒した界護人。
二つの存在が向かい合う。
その戦いは――世界の歴史を変えることになる。
だが誰も知らなかった。
裂け目のさらに奥で。
滅界の魔神すら従う“真の支配者”が、静かに目を開いたことを。




