第30話 目覚める者
《その力は……》
侵界の魔神の声が揺れた。
先ほどまで世界を見下ろしていた絶対的存在が、初めて動揺を見せている。
無数の赤い瞳が武を見つめていた。そこに宿るのは――恐怖、警戒、憎悪。
混ざり合った感情が、空気を震わせる。
「な、なんだよ……」
武自身が一番分からなかった。
身体の内側が熱い。
胸の奥から何かが溢れ、金色の光となって全身を包む。
光は心臓の鼓動と同じリズムで脈打っていた。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
鼓動が響くたび、世界の見え方が変わる。
空気の流れ。
魔力の流れ。
地下神殿を支える力の流れ。
――全部、見える。
まるで世界そのものと繋がったような感覚だった。
「タケル!」
ルシエラの声が聞こえる。だが遠い。
水の底から響いてくるようだった。
その瞬間――
武の脳裏に、膨大な映像が流れ込む。
知らない空。
知らない大地。
世界を覆い尽くす異形の軍勢。
空は裂け、大地は崩れ、人々は逃げ惑う。
悲鳴。絶望。終末。
まるで世界の最後だった。
「うっ……!」
頭を押さえる。激痛。
だが映像は止まらない。
巨大な黒い存在。
今目の前にいる侵界の魔神と同じ気配――いや、それ以上。
数え切れない魔神が世界へ侵攻している。
そして、その前に立つ黄金の光を纏った誰か。
顔は見えない。
だが、その背中だけは妙に鮮明だった。
『守れ』
声が聞こえた。
『世界を』
知らないはずなのに懐かしい声。
次の瞬間、映像が途切れた。
武は大きく息を吐く。
「今の……なんだ……」
古き魔王の少女が険しい表情で呟く。
「やはり……」
「何か知ってるのか!?」
少女は武を見つめた。
二千年を生きた魔王ですら信じられないものを見ている顔だった。
「その力は――界護人の力だ」
「かいごにん?」
聞いたこともない。
アレクもルシエラも首を傾げる。
だが侵界の魔神だけは違った。
《界護人……なぜ生きている。なぜ残っている。滅ぼしたはずだ》
明らかな動揺。
武は少女を見る。
「何なんだよ、その界護人って」
少女は目を閉じ、二千年前を思い出すように語り始めた。
「二千年前。世界には守護者がいた」
「守護者?」
「侵界の魔神に対抗するためだけに生まれた存在だ。世界の意思そのものと言われていた」
ルシエラが息を呑み、アレクも真剣な顔になる。
「奴らは世界を喰らう。だから世界は自らを守る力を生み出した。それが界護人」
「でも最後の界護人は二千年前に消えたんだろ?」
《違う。我らが殺した。完全に滅ぼした》
少女の表情が険しくなる。
「ならば何故だ。何故タケルからその力を感じる」
侵界の魔神は沈黙した。
武は嫌な予感しかしなかった。
「つまり俺が……生まれ変わりとか、そういう?」
「分からん」
少女は即答した。
「知らねぇのかよ!」
「二千年前に死んだと思っていたからな」
「適当すぎる!」
アレクが吹き出す。
「ははは!」
「笑うな!」
「いや面白いだろ! 世界の命運がかかってるのに情報不足すぎる!」
「それは同意する!」
ルシエラがため息を吐く。
だが次の瞬間。
《黙れ》
侵界の魔神の声が響いた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
裂け目が急激に広がる。
無数の黒い腕が現れ、百、二百、五百――数え切れない。
さらに奥から巨大な影。
山よりも大きい異形。
「おいおい……でかすぎないか?」
アレクが引きつる。
少女の顔色が変わった。
「本体の一部だ」
「一部でそれ!?」
《界護人……目覚める前に消す》
裂け目から黒い槍が飛び出した。
速い。
反応できない。
誰も間に合わない。
――死ぬ。
そう思った瞬間。
ドクン。
胸が脈打つ。
武の右手が勝手に動いた。
「え?」
意思ではない。
身体が自然に前へ出る。
次の瞬間。
バキィィィィィン!!
黒い槍が砕け散った。
「…………は?」
全員が固まった。
砕いた本人が一番驚いていた。
「俺、何した?」
少女だけが震える声で呟く。
「無意識の防御……本物だ」
《あり得ない……あり得ない……あり得ない》
侵界の魔神が叫ぶ。
赤い瞳が揺れ、恐怖が滲む。
――こいつは恐れている。
自分の中にある“何か”を。
その時。
『聞こえるか』
武の身体が震えた。
今度ははっきり聞こえる。
古く、優しく、力強い声。
『まだ目覚めるな』
「誰だ!」
『今のお前では耐えられない。力の話だ。目覚めれば、お前はお前ではなくなる』
武の背筋が凍る。
『だから――まだ耐えろ』
黄金の光が弱まり、頭痛が消える。
武は膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
少女が駆け寄る。
「大丈夫か」
「全然大丈夫じゃない。頭の中で知らない奴が喋ってる」
「末期症状だな」
「お前が言うな!」
少女は真剣に尋ねる。
「何と言った」
武が内容を話すと、少女の顔色が変わった。
「そうか……」
「知ってるのか?」
「恐らくな」
少女は裂け目を見上げる。
「本当の戦いが始まる」
その言葉と同時に、裂け目の奥で巨大な瞳が開いた。
世界が震える。
地下神殿が悲鳴を上げる。
侵界の魔神――その本体が、ついにこちらを見た。
《見つけた。最後の界護人》
武は拳を握る。
何も分からない。
界護人も、二千年前も、自分の力も。
だが一つだけ確かだった。
――逃げれば世界は終わる。
だから。
武はゆっくり立ち上がる。
「やるしかないんだろ」
アレクが笑う。
「その意気だ」
ルシエラも頷く。
少女も静かに笑う。
侵界の魔神が咆哮する。
世界の命運を懸けた戦いが――今、始まろうとしていた。




