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第29話 侵界の魔神

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――!!!


地下神殿そのものが悲鳴を上げていた。


天井を突き破った巨大な黒い腕。

その先に広がる空間の裂け目。

そして、その向こうからこちらを覗く無数の赤い瞳。


見るだけで本能が拒絶する。

理解してはいけない何か。

存在そのものが異質だった。


「……っ」


武は息を呑む。

心臓が激しく鼓動する。


恐怖。

圧倒的な恐怖。


今まで出会ったどんな敵とも違う。

ベヒモスも。

ジェノアビートルも。

ゼクトですら。


比べることすら失礼なほど格が違った。


まるで蟻が嵐を見上げているような感覚。

存在のスケールそのものが違う。


「なんなんだよ……あれ」


武の声は震えていた。


すると古き魔王の少女が静かに答える。


「侵界の魔神」


その言葉が地下神殿に響く。


ルシエラが目を見開いた。


「侵界……」


「知っているのか?」

アレクが尋ねる。


ルシエラはゆっくり首を振った。


「伝承だけです」


そして目の前の裂け目を見る。


「世界の外から来る災厄」


少女が頷く。


「二千年前、この世界を滅ぼしかけた存在だ」


武は唾を飲み込んだ。


冗談ではない。

歴史上最強の魔王が負けた相手。

それが今目の前にいる。


しかも完全復活前らしい。

復活前でこれである。


完全体になったらどうなるのか――考えたくもない。



ズズズズズ……


裂け目がさらに広がる。

巨大な黒い腕が二本、三本と現れ始める。


空間そのものを掴みながら、無理やり世界へ侵入しているようだった。


「まずいな」


アレクが聖剣を構える。

珍しく笑っていない。完全に戦闘モードだった。


「まずいどころじゃない気がするんだけど!?」


武は叫ぶ。


「安心しろ」

アレクが言う。

「大体何とかなる」


「その根拠どこ!?」


「勇者の勘」


「信用できねぇ!」


ルシエラが冷静に言った。


「私も信用していません」


「ひどくない?」


勇者が少し傷付いていた。


しかしその直後、少女が前へ出る。


「下がれ」


全員が彼女を見る。

真紅の瞳が裂け目を睨んでいた。


「我が時間を稼ぐ」


「お前一人で?」

武が聞く。


少女は当然のように答えた。


「一度負けた相手だ」


「負けてるじゃねぇか!」


「今回は勝つ」


「根拠は!?」


「気合い」


「勇者と同レベルだった!」


アレクが嬉しそうに笑う。


「仲良くなれそうだな」


「やめろ!」



その時だった。


裂け目の向こうから声が響く。


聞いているだけで頭が痛くなるような、不快で異質な声。

人間の言語ではない。

なのに意味だけは理解できる。


《見つけた》


地下神殿の空気が凍り付いた。


《ようやく見つけた》


巨大な赤い瞳が動く。


そして――武を見た。


「え?」


嫌な予感。

猛烈に嫌な予感。


《異界の魂》


武の背筋が凍る。


《器》


少女の表情が変わる。


「タケル!」


叫ぶと同時に飛び出した。

だが遅い。


黒い腕が武へ向かって伸びる。


速い。

速すぎる。


反応できない。

死ぬ。


そう思った瞬間――


ギィィィィィン!!


眩い光が炸裂した。


アレクの聖剣だった。


「勝手に触るな!」


勇者の一撃が黒い腕を弾き飛ばす。

衝撃で地下神殿が揺れる。


だが黒い腕は無傷だった。


「硬っ!?」


アレクが初めて驚いた顔をする。


「俺の聖剣だぞ!?」


「そこ自慢するとこか!?」



今度はルシエラが動く。


「黒雷」


バチィィィィィン!!


漆黒の雷が炸裂した。

数十本の雷撃が黒い腕へ突き刺さる。


轟音。

爆発。

凄まじい威力。


だが――


《無意味》


黒い腕は平然としていた。


ルシエラが舌打ちする。

武は初めて見た。

ルシエラが焦る姿を。


それほど異常な相手だった。



「なら我だ」


少女が手を掲げる。


瞬間、世界が暗くなった。


否――地下神殿の魔力全てが彼女へ集まったのだ。


結晶。

祭壇。

空気。


全ての魔力が吸い寄せられる。


ゼクトが震える。


「ば、馬鹿な……」


彼は知っていた。

この力を。


二千年前、世界を恐怖させた最強の魔王。

その本来の力。


少女の髪が浮き上がる。

赤い瞳が黄金へ変わる。


そして。


「消えろ」


指を鳴らした。


パチン。


その瞬間――黒い腕が消滅した。


跡形もなく。

完全に。

空間ごと削り取られた。


武は口を開けたまま固まる。


「え?」


アレクも固まる。


「え?」


ルシエラも固まる。


「え?」


ゼクトは泣きそうだった。


「え?」


少女は首を傾げる。


「何だ?」


「いや強すぎるだろ!?」

武が叫んだ。


「そんな強いなら負けるなよ!」


「不意打ちだった」


「二千年前の言い訳をするな!」



しかし――そこで少女の顔色が変わる。


「まずい」


「今度は何!?」

武は叫ぶ。


少女は裂け目を見る。


そこから新たな腕が現れていた。


一本ではない。

十本。

二十本。

いや――数百。


数え切れないほどの黒い腕。


《見つけた》

《見つけた》

《見つけた》


無数の声。

地下神殿全体が揺れる。


少女は唇を噛んだ。


「完全に位置を知られた」


「どういう意味だ?」

アレクが聞く。


少女は静かに答えた。


「奴らは来る」


「だから来てるじゃないか」


「違う」


真剣な顔だった。


「これは先遣隊だ」


沈黙。


武は理解できなかった。

理解したくなかった。


「……先遣隊?」


「ああ」


少女は頷く。


「本体なら世界が終わっている」


武は頭を抱えた。

聞きたくなかった。

本当に聞きたくなかった。



その時だった。


ズドォォォォォン!!


神殿の壁が吹き飛んだ。


「なっ!?」


全員が振り向く。


煙の中から巨大な影が現れる。


四本腕。

黒い外殻。

赤い単眼。


見覚えがある。


「ジェノアビートル!?」


武が叫ぶ。


だが一体ではない。


二体。

三体。

五体。

十体。


大量だった。


さらに、地下通路の奥から魔物の群れが押し寄せる。


ゼクトの部下たちも現れた。


「ゼクト様!」

「侵入者を排除します!」


「遅いわ馬鹿共!」


ゼクトが叫ぶ。


部下たちは困惑した。

そして裂け目を見る。


全員絶望した。


「えっ」

「なにあれ」

「聞いてません」



混戦が始まった。


アレクが聖剣を振るう。


「邪魔だぁぁぁ!!」


光の斬撃が魔物を吹き飛ばす。


ルシエラは広範囲魔法を展開。

黒雷が戦場を焼き尽くす。


少女は裂け目を押さえ続ける。


そして武は――


「俺だけ戦力外じゃねぇか!」


泣きそうだった。


周囲が強すぎる。


勇者。

魔王軍幹部。

古き魔王。


そんな連中に囲まれて、普通の高校生が何をしろというのか。


すると――


《異界の魂》


再び声が響く。


《見つけた》


赤い瞳が武を見た。


その瞬間。


武の身体が光る。


「え?」


胸が熱い。


黒い光――いや違う。

金色だった。


武の身体から未知の力が溢れ出す。


少女が驚愕する。


「まさか……!」


ルシエラも目を見開く。

アレクも動きを止めた。


武だけが分からない。

何が起きているのか。


だが一つだけ分かった。


胸の奥から――

何かが目覚めようとしている。


二千年前から眠り続けていた何かが。


そして裂け目の向こうの存在が、初めて恐怖の感情を見せた。


《その力は……》


世界を喰らう怪物が震える。


武自身も知らない力。


それが今――


目覚めようとしていた。

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