第25話 南方都市エルバニア
ベヒモスとの激闘から一夜が明けた。
森には静寂が戻り、昨日まで暴走していた魔力の気配も薄れていた。
鳥たちのさえずりが、ようやく平穏を取り戻したことを告げている。
武は焚き火の前でゆっくりと目を覚ました。
「朝か……」
身体が重い。
全身が筋肉痛だった。
特に昨日、黒金色の力を使った後から続く妙な疲労感――
まるで何日も徹夜したような感覚が抜けない。
「起きたか」
近くでルシエラが本を読んでいた。
朝日に照らされた銀髪が静かに揺れる。
「おはよう」
「おはよう。体調はどうだ」
「最悪」
「正直でよろしい」
珍しく少しだけ笑う。
武は苦笑した。
魔王とこんな会話をする日が来るなんて、少し前まで想像もしなかった。
「アレクは?」
「向こうだ」
ルシエラが指差す。
見ると、少し離れた場所でアレクが巨大な岩を持ち上げていた。
「何してんの?」
「朝の鍛錬」
「なんで岩?」
「本人曰く、ちょうど良い重さらしい」
「ちょうど良くないだろ」
岩はどう見ても数百キロ。
アレクはそれを軽々と頭上へ持ち上げていた。
人間をやめている。
武が呆れていると、アレクが気付いて手を振った。
「おー! 起きたか!」
そしてそのまま岩を放り投げた。
ゴォォォン!!
遠くで木々がなぎ倒される。
「環境破壊するな!」
「気にするな!」
「気にしろ!」
朝から騒がしい。
だが、その騒がしさが昨日の重苦しい空気を少しだけ和らげてくれていた。
◆
朝食を終えると、三人は再び歩き始めた。
目的地は南方都市エルバニア。
ゼクトの痕跡があるかもしれない場所。
そして継承者に関する手掛かりが眠る場所。
「あとどれくらいだ?」
武が尋ねる。
「順調なら明日の夕方には着く」
ルシエラが答えた。
「意外と近いな」
「昨日の騒ぎでかなり進んだからな」
森は少しずつ姿を変えていた。
木々の密度が減り、光が差し込む。
どうやら出口が近いらしい。
その時――アレクが突然足を止めた。
「ん?」
表情が変わる。
先ほどまでの気楽な顔ではない。
戦士の顔だ。
「どうした?」
武が尋ねる。
アレクは前方を見たまま答えた。
「誰かいる」
ルシエラも魔力を探る。
「……確かに」
武には分からない。
だが二人が警戒している以上、普通ではない。
三人は慎重に進む。
数分後――開けた場所へ出た。
そこには壊れた馬車があった。
車輪は砕け、荷物は散乱している。
戦闘の跡だ。
「襲われたのか」
ルシエラが周囲を見回す。
武も馬車へ近付いた。
地面には血痕がある。
まだ新しい。
昨日か今日のものだろう。
嫌な予感がした。
すると――。
「助けて……」
かすかな声。
武が振り返る。
倒れた荷物の陰に少女がいた。
年齢は十六、七歳ほど。
栗色の髪。
旅人の服。
腕から血を流している。
「大丈夫か!?」
武は慌てて駆け寄った。
少女は驚いたように顔を上げる。
「ひ、人……?」
「安心しろ」
武が声を掛ける。
アレクとルシエラも近付いてきた。
少女は力なく笑う。
「よかった……誰か来てくれて……」
そのまま意識を失った。
「おい!?」
「落ち着け」
ルシエラがしゃがみ込み、傷を確認する。
「命に別状はない」
「本当か?」
「ああ」
ルシエラの手から淡い光が溢れる。
治癒魔法だ。
傷口が少しずつ塞がっていく。
武は感心した。
「便利だな」
「便利で片付けるな」
ルシエラは呆れた。
アレクが周囲を調べている。
「魔物の襲撃だな」
「分かるのか?」
「足跡がある」
確かに地面には大きな爪痕が残っていた。
しかしアレクは首を傾げる。
「妙だな」
「何が?」
「普通の魔物じゃない」
ルシエラも痕跡を見る。
表情が険しくなった。
「……黒金色の魔力」
武の胸がざわつく。
まただ。
ゼクトの影。
どこへ行っても現れる。
「まさか」
「おそらく」
ルシエラが頷く。
「奴の影響を受けた魔物だ」
武は拳を握る。
ゼクトは森だけでなく、この周辺にも手を伸ばしている。
被害は広がっているのだ。
◆
しばらくして少女が目を覚ました。
「ここは……」
「安心しろ」
武が微笑む。
「助かったんだ」
少女は辺りを見回し、目を潤ませる。
「よかった……」
だが次の瞬間、表情が暗くなる。
「みんな……」
馬車の仲間たちを思い出したのだろう。
武は何も言えなかった。
少女は俯いたまま、小さく呟く。
「お願いがあります」
「何だ?」
武が尋ねる。
少女は顔を上げた。
「エルバニアへ行くなら気を付けてください」
三人は顔を見合わせる。
「どういう意味だ?」
ルシエラが問う。
少女は震える声で答えた。
「最近、街で人が消えているんです」
空気が変わった。
「人が?」
「はい……」
少女は頷く。
「最初は一人、二人でした。でも今は毎週誰かが消えるんです」
武の背筋が冷たくなる。
「犯人は?」
「分かりません」
少女は首を横に振る。
「ただ……」
言葉を止める。
何かを思い出したようだった。
「消える前に皆、同じことを言うんです」
武が息を呑む。
「何て?」
少女は怯えた顔で答えた。
「黒い夢を見るって」
その言葉に――
武の胸が大きく脈打った。
ドクン――。
黒い夢。
それは武自身が異世界へ来る前に見ていた夢と同じだった。
巨大な玉座。
赤い空。
謎の声。
全てが繋がる。
ルシエラも気付いたらしい。
表情が険しくなる。
アレクは腕を組んだ。
「ますます怪しいな」
武は静かに頷いた。
エルバニア。
そこには間違いなく何かがある。
ゼクト。
継承者。
黒い夢。
失踪事件。
全ての糸が、一つの場所へ集まり始めていた。
◆
そして三人は知らない。
その頃、エルバニアの地下では新たな儀式が始まろうとしていたことを。
暗闇の中。
黒金色の魔法陣が輝く。
その中心でゼクトが静かに目を閉じていた。
「時は近い」
低い声が響く。
周囲には十数人の人影。
皆、虚ろな瞳をしている。
「最後の準備を始めろ」
ゼクトの命令に従い、影たちが動き出す。
黒金色の光が闇の中で脈打つ。
まるで巨大な心臓のように。
そしてその中心で――
何かが目覚めようとしていた。




