第23話 森を支配する者
ズシン……ズシン……。
地面を揺らす足音は、もはや隠す気すらないほど露骨に迫ってきていた。
武は喉が張り付いたように声が出ない。
アレクとルシエラも、ただ前方を鋭く見据えている。
そして――
バキバキバキッ!!
木々をなぎ倒しながら、巨大な影が姿を現した。
「ブラックホーン・ベヒモス……」
ルシエラが低く呟く。
「やっぱり上級魔獣か。しかも……普通じゃねぇな」
アレクが剣を構えながら言う。
ベヒモスの体表には、黒金色の光が脈打つように走っていた。
武は息を呑む。
(この光……俺の時と同じ……?)
ベヒモスが咆哮する。
――グォォォォォォッ!!
その声に、森全体が震えた。
アレクが前へ出る。
「ルシエラ、武を頼む!」
「分かっている!」
アレクが地面を蹴り、ベヒモスへ突っ込む。
剣と角がぶつかり、衝撃波が走った。
ガァァン!!
武は吹き飛ばされそうになり、ルシエラが腕を掴んで支える。
「武、離れるな!」
「う、うん!」
だが――その時だった。
ベヒモスの背後の木々が、風もないのにざわりと揺れた。
アレクもルシエラも、同時に気づく。
「……おかしい」
「ベヒモスの魔力じゃねぇ……別の気配がある」
武は背筋が冷たくなるのを感じた。
(まだ……何かいる?)
次の瞬間。
森の奥から、黒い霧のようなものがゆっくりと広がってきた。
その中心に――人影。
「……誰だ?」
アレクが低く唸る。
霧の中から現れたのは、黒いローブをまとった細身の男だった。
顔はフードで隠れている。
だが、その存在だけで空気が重くなる。
ルシエラが魔力を高める。
「魔族……? いや、違う……」
男はゆっくりと手を上げた。
その指先から、黒金色の光が漏れる。
武の心臓が跳ねた。
(同じ……俺と……!)
男は静かに言った。
「――邪魔だ」
その一言と同時に、ベヒモスの体がビクリと震えた。
次の瞬間、黒金色の光がベヒモスの全身を覆う。
「おいおい……マジかよ!」
アレクが後退する。
ルシエラが叫ぶ。
「操られている……! あれは魔獣の意思ではない!」
ベヒモスが咆哮し、暴走したように突進してくる。
アレクが剣で受け止めるが――
ガギィィィン!!
「ぐっ……! 重っ……!」
押し負けそうになる。
ルシエラが魔法陣を展開する。
「《魔鎖陣》!」
紫の鎖がベヒモスの足を絡め取るが、黒金色の光がそれを焼き切った。
「なっ……!?」
武は震える声で呟く。
「なんで……こんな……」
その時、ローブの男が武の方へ顔を向けた。
フードの奥で、赤い瞳が光る。
「……見つけた」
武の心臓が跳ねる。
「お前……“欠片”か」
その言葉に、武の背筋が凍りついた。
アレクが叫ぶ。
「武から離れろ!!」
ルシエラも魔力を放とうとする。
だが男は微動だにしない。
「二つ目の欠片……ようやく見つかった」
「二つ目……?」
武は息を呑む。
男はゆっくりと手を伸ばした。
「来い。お前の力は、ここで眠るべきではない」
その瞬間――
武の胸の奥が熱くなった。
黒金色の光が、また滲み出す。
「くっ……!」
ルシエラが武の肩を掴む。
「武、抵抗しろ! その男の魔力に引きずられるな!」
アレクが叫ぶ。
「ルシエラ! ベヒモスが暴れてる! 抑えきれねぇ!」
ベヒモスが暴走し、森の木々をなぎ倒す。
ローブの男は静かに呟いた。
「――森は我が支配下にある」
その言葉と同時に、周囲の木々が黒く染まり、根がうねり始めた。
武は震えた。
(森が……動いてる……?)
男は続ける。
「逃げ場はない。お前は“こちら側”の存在だ」
黒金色の光が武の体を包み始める。
ルシエラが叫ぶ。
「武!! 意識を保て!!」
アレクが吠える。
「武ッ!! 負けんな!!」
武は歯を食いしばった。
(俺は……俺は……)
黒金色の光が暴れ、視界が揺れる。
ローブの男の声が響く。
「来い。継承者よ」
武の意識が引きずられる。
その瞬間――
森全体が震えた。
まるで大地そのものが悲鳴を上げているかのようだった。
ベヒモスの咆哮。
うねる黒い樹木。
暴走する魔力。
そして武の身体から溢れ出す黒金色の光。
すべてが混ざり合い、この場だけが別世界へ変貌しつつあった。
「武ッ!!」
アレクの叫びが響く。
だが武には周囲の音が遠く聞こえていた。
胸の奥が熱い。
苦しい。
頭の中に何かが流れ込んでくる。
知らない景色。
知らない記憶。
赤い空。
崩れ落ちる城。
無数の兵士たち。
そして巨大な玉座。
そこに座る“誰か”。
顔は見えない。
だが圧倒的な威厳だけは理解できた。
(なんだ……これ……)
武は頭を押さえる。
視界が二重に揺れる。
現実の森と、記憶のような光景が重なっていた。
ローブの男が静かに呟く。
「目覚め始めているな」
その声には確信があった。
まるでこうなることを知っていたかのように。
「貴様……武に何をした!」
ルシエラが怒気を込める。
しかし男は首を横に振った。
「何もしていない」
静かな声だった。
「それは元から彼の中にあったものだ」
「黙れ!」
ルシエラの魔法陣が輝く。
紫色の魔力が幾重にも展開される。
空中に浮かぶ数十の魔法陣。
魔王であるルシエラの本気に近い力だった。
周囲の空気が震える。
森の木々が軋む。
武でさえ息を呑んだ。
「《紫電崩槍》!」
無数の雷槍が放たれる。
轟音。
閃光。
森を貫く紫の嵐。
普通の相手なら跡形もなく消し飛ぶ一撃だった。
しかし――
男は避けなかった。
黒い霧が広がる。
その霧が雷槍を飲み込んでいく。
一本。
二本。
十本。
全て。
まるで最初から存在しなかったかのように。
「なっ……!」
ルシエラの顔が強張る。
アレクでさえ驚きを隠せなかった。
「おいおい……今のを消したのか?」
男は答えない。
ただ静かに武を見つめている。
その視線だけが異様だった。
執着。
確信。
期待。
様々な感情が混ざっている。
武は思わず後ずさった。
「なんなんだよ、お前……」
男は数秒沈黙した。
やがてゆっくり口を開く。
「私は探していた」
「……何を」
「同胞を」
武の鼓動が速くなる。
同胞。
その言葉が妙に胸に引っかかった。
「お前はまだ知らない」
男は続ける。
「自分が何者なのかを」
「俺は……」
武は言葉に詰まる。
会社員だった。
普通の人間だった。
そう言いたい。
だが今の状況が、それを否定していた。
普通の人間は黒金色の光を放たない。
普通の人間は上級魔獣を怯えさせない。
普通の人間は魔王の欠片など宿さない。
「違う!」
武は叫んだ。
自分自身に言い聞かせるように。
「俺は俺だ!」
男の赤い瞳が細くなる。
「そうか」
その声音はどこか寂しげだった。
まるで昔の自分を見ているような。
その時だった。
グォォォォォォォォォッ!!
ベヒモスが再び咆哮する。
アレクが舌打ちした。
「話してる場合じゃねぇぞ!」
黒金色の光をまとったベヒモスが暴れ回る。
木々が吹き飛ぶ。
地面が割れる。
このままでは森全体が崩壊しかねない。
ルシエラも魔力を高める。
「先に魔獣を止める!」
「俺も行く!」
アレクが剣を構え直した。
黄金色の光。
黒金色の光。
紫色の魔力。
三つの力が森の中で激突しようとしていた。
その時、ローブの男は静かに後退する。
「今日はここまでだ」
武が顔を上げる。
「待て!」
男は薄く笑った。
「次に会う時、お前はもう答えを知っているだろう」
黒い霧が広がる。
その姿がゆっくりと溶けていく。
「俺は――」
最後に男は名乗った。
「ゼクト」
その名だけを残して。
男の姿は完全に消えた。
だが残された黒金色の魔力は消えない。
武は強く拳を握る。
ゼクト。
もう一人の継承者。
そして初めて現れた、自分と同じ力を持つ存在。
その出会いは偶然ではない。
武は直感していた。
これが、自分の運命を大きく変える始まりなのだと。
そして次の瞬間――
暴走したベヒモスが、三人へ向かって最後の突進を開始した。
決戦の幕が、今まさに上がろうとしていた――。




