第16話 勇者と魔王と巨大甲虫
「さらにもう一体確認されました!」
魔族兵の報告を聞いた瞬間、食堂の空気が凍りついた。
武はゆっくりと聞き返す。
「今、なんて言った?」
「ジェノアビートルです!」
「それは聞いた」
「もう一体います!」
「それも聞いた」
兵士は涙目だった。
「本当にいるんです!」
武は頭を抱えた。
目の前では一体目のジェノアビートルが肉を食べている。もはやペット状態だ。
しかし二体目となると話は別だった。
ルシエラも珍しく真剣な表情になる。
「確認場所は?」
「第四外壁付近です!」
その言葉に周囲の魔族たちがざわめいた。
第四外壁――魔王城を守る最後の防衛線の一つだ。そこを突破されれば被害は避けられない。
フィリアも眉をひそめる。
「ジェノアビートルは本来、単独行動の魔物です」
「つまり?」
「二体同時に現れるのは異常です」
「異常しか起きないな、この城」
武は疲れた声で呟いた。
するとアレクが楽しそうに立ち上がる。
「じゃあ見に行こうか」
「遠足じゃないんだぞ」
「大丈夫」
「何が?」
「僕がいるから」
「その自信どこから来るんだよ」
「勇者だから」
武は反論できなかった。残念な部分は多いが、確かに勇者だった。
ルシエラも立ち上がる。
「私も向かいます」
「当然ですね」
フィリアも続く。
なぜか全員行く流れになっていた。
「俺は?」
武が尋ねると、三人は同時に答えた。
「来てください」
「なんで!?」
食堂中に武の悲鳴が響いた。
◇
数分後。一行は第四外壁へ向かっていた。
長い石造りの廊下を歩きながら、武はため息をつく。
その隣をアレクが歩いていた。
「魔王城って意外と広いね」
「お前初めて来たのか」
「うん」
「迷子になるわけだ」
「三回くらい迷った」
「そんなに?」
「宝物庫にも行った」
武が足を止めた。
「待て」
嫌な予感しかしない。
アレクは悪びれもなく続けた。
「金貨がいっぱいあったよ」
「持ってきてないだろうな?」
「持ってきてないよ」
武は安堵した。
だが次の言葉で凍りつく。
「代わりに宝箱を開けた」
「何してんの!?」
前を歩いていたルシエラが振り返る。
「ちなみにどの宝箱ですか?」
「赤いの」
ルシエラの顔色が変わった。
「まさか封印庫の……」
「中から骸骨が出てきた」
沈黙。
「おい」
武は嫌な汗をかいた。
「それ大丈夫なのか?」
「全然大丈夫ではありません」
ルシエラが即答した。
「後で確認が必要ですね……」
額を押さえるルシエラ。
武は確信した。
――この勇者、敵より厄介だ。
◇
外壁へ到着すると、多くの魔族兵が緊張した表情で集まっていた。
「状況は?」
ルシエラが尋ねる。
指揮官らしき魔族が前へ出た。
「現在、外壁の外で停止しています」
「停止?」
「はい」
妙だった。
ジェノアビートルは基本的に凶暴な魔物だ。目の前に城があれば突撃してくる。なのに動かない。
武たちは外壁の上へ登った。
そして――全員が息を呑む。
巨大だった。
食堂に現れた個体よりも一回り大きい。
漆黒の甲殻。
巨大な四本腕。
赤く光る単眼。
間違いなくジェノアビートルだ。
だが異様なのはそこではない。
その背中に――誰かが乗っていた。
「…………え?」
武は目を疑う。
黒いローブを纏った人物が、ジェノアビートルの背に座っていた。
フィリアが目を細める。
「使役されています」
「魔物を?」
「おそらく」
ルシエラの表情が険しくなる。
「厄介ですね」
アレクだけが少し嬉しそうだった。
「面白そう」
「遊びじゃないからな」
武がツッコむ。
そのとき、外壁の下から声が響いた。
「魔王タケル!」
聞き覚えのない、低く不気味な声。
ローブの人物が立ち上がる。
「我が名はグレイザー」
武は小声で尋ねた。
「誰?」
「知りません」
ルシエラも知らなかった。
グレイザーは続ける。
「我が配下を奪ったこと、後悔させてやろう」
その言葉に、全員の視線が武へ向く。
「なんで俺?」
「一体目のことでしょうね」
フィリアが冷静に答える。
武は頭を抱えた。
まただ。
また知らないところで話が進んでいる。
「俺、何もしてないんだけど?」
「相手はそう思っていないようです」
その瞬間、グレイザーが腕を振り上げた。
巨大甲虫が咆哮する。
ギィィィィィィィィ!!
空気が震え、魔族兵たちが身構える。
戦闘開始――のはずだった。
だが、その直前。
アレクが前へ出る。
そして満面の笑みで言った。
「じゃあ競争しようか」
「は?」
武は聞き返す。
アレクは聖剣を抜いた。
神々しい光が周囲を照らす。
「どっちが先に倒せるか」
「競争するなぁぁぁ!!」
武の絶叫と同時に――勇者は外壁から飛び降りた。
「うおおおおおおっ!!」
アレクは躊躇なく外壁から飛び降りた。
高さは優に二十メートルを超えている。普通なら即死だ。
しかし勇者は普通ではなかった。
着地と同時に地面が爆発したかのような轟音が響く。
ドゴォォォン!!
土煙が舞い上がり、周囲の木々が揺れた。
魔族兵たちが思わず息を呑む。
「着地で地面を砕いた……」
「本当に人間か……?」
「勇者ですからね」
フィリアだけが平然としていた。
アレクは何事もなかったように立ち上がり、巨大なジェノアビートルへ向かって手を振る。
「やあ!」
ギィィィィィィッ!!
返事の代わりに巨大な咆哮が返ってくる。
ジェノアビートルは四本の腕を広げ、一気に突進した。
まるで黒い砲弾だった。
その巨体からは想像もできない速度で迫る。
だがアレクは笑っていた。
「速いね」
次の瞬間、聖剣が閃く。
キィィン!!
眩い光とともに放たれた斬撃がジェノアビートルの外殻へ叩き込まれた。
凄まじい衝撃音。
しかし――。
「硬いなぁ」
アレクが感心したように呟く。
ジェノアビートルは吹き飛ばされたものの、甲殻には浅い傷しかついていなかった。
外壁の上で見ていた武は目を見開く。
「あれで浅い傷なのかよ……」
以前戦った個体より明らかに強い。
そう感じたのは武だけではない。
ルシエラも真剣な表情で敵を見据えていた。
「通常種ではありませんね」
「変異種ですか?」
フィリアが尋ねる。
「おそらく。魔力が異常です」
その時だった。
外壁の下でグレイザーが不気味に笑った。
「ふはははは!」
ローブが風で揺れる。
「我が最高傑作だ!」
「嫌な予感しかしないな」
武が呟く。
すると隣にいたジェノアビートル――すっかり懐いてしまった個体がガチガチと顎を鳴らした。
まるで敵意を示しているようだった。
「ん?」
武は首を傾げる。
ジェノアビートルは外壁の下を見つめている。
その視線の先には変異種。
同族だからだろうか。
妙な反応だった。
フィリアも気付いたらしい。
「もしかして……」
「どうした?」
「仲間意識があるのかもしれません」
「虫に?」
「あります」
即答だった。
武はなんとも言えない顔になる。
その時。
ギィィィィィ!!
変異種が再び咆哮した。
すると武の隣にいたジェノアビートルも大きく鳴く。
ギィィィ!!
まるで会話しているようだった。
数秒後、懐き甲虫が武を見上げる。
そして――
ぺたり。
頭を足元へ擦りつけた。
嫌な予感しかしない。
「おい」
ガチガチガチ。
「おい」
ガチガチガチガチ。
「絶対何か要求してるよな?」
フィリアが真顔で答えた。
「応援してほしいのでは?」
「スポーツ大会じゃないんだぞ」
しかしジェノアビートルはその場から動かない。
むしろ期待した目で見ている気さえする。
武は深いため息をついた。
「……頑張れ」
ギィィィィィ!!
大歓声のような鳴き声が響いた。
そして――ジェノアビートルは勢いよく外壁から飛び降りた。
「お前も行くのかぁぁぁ!!」
武の叫びが響く。
直後、二体の巨大甲虫が激突した。
轟音が大地を揺らす。
勇者。
魔王軍。
巨大甲虫。
そして謎の使役者。
戦場は一気に混沌へと飲み込まれていくのだった。




