いよいよ決行
今日の講義は全て終わり、全速力ではないものの駆け足で帰宅をしていた。あの様子からするともしかしたら来ない可能性は高かったが、見た目の幼さからか、どこかリードをしてあげなくてはならないなと考えてしまう。
不要の外出が無いよう、コンビニで自身の食事ともてなすぐらいのジュースだけは買って、ビニール袋を片手に部屋の前で軽く汗を拭った。
無い。
鍵が無い。
拭ったそばから冷や汗が出てくる。どこかに鍵を落としたのか。徒歩圏内だが、通学路を探す……いや、今朝急いでたからその時に落とした可能性もある。引き返すか否か、うろうろしていたが、まずは扉の前から一通り周囲を見渡してみようとくるりと身体をひるがえしたときだった。
きゃっ、と驚いた可憐な声がした。そこには尻餅をついた今朝の少女がいた。
「あの、これ、落としてました」
「俺の部屋の鍵……ありがとう。拾ってくれてたのか。あ、それよりもごめん、怪我はないか?」
鍵を拾ってくれていたことに感謝した後、驚いて転んだ少女に手を貸して起こしてやる。
「まさか……ずっと待ってた?」
「あ、うん……大家さんに渡すか玄関先のどこかに置いておこうと思ったけど勘違いが起きたらと考えたら……」
確かに実際大家に相談するなど思いつかず、自力で探し出そうとしてしまっていた。
「大丈夫、目立たないように部屋の前じゃなくて隠れて待ってた」
部屋の前で待った、というとヨクスがそうだったな。それと比べると、細かいところに気がきく子だ。
「何から何までこっちが世話されてるみたいだな。ははは。それじゃあ、話を聞かせて……」
「……! 用事があって、えと、今日は……とにかくもうここには来ませんから……」
今一度ロングコートのフードを深く被って少女は走り去ってしまった。どうやら、もしも鍵を落としていなかったら待ち合わせる気は無かったらしい。でもあの子のことなら鍵を落としていなくてもこうして別れの言葉を告げることだけはしただろう。
しかし、結局名前もわからずじまいになってしまった。一応様子を見てヨクスかアーリンに相談しよう。
「……はぁ。まさか鉢合わせちゃうなんて……」
住宅街の中にある、息を潜めるには適した小さな林の中。少女が深くため息を吐いて膝に手をついてうずくまっている。
「『ボロ』は出てないはず。けど……」
少女は懐に手を伸ばして、手のひらに収まる、とあるものを握りしめた
「あうぅ……なんてことをしてしまったんだ……」
「おはようございます、クラッキー」
土曜日の朝、俺の部屋を訪れたのはヨクスであった。平日は学校があるために、きっちりとその合間を狙って。
実に一週間ぶり、約束の通りに現時点での俺の考えを伝える。それはヨクスやアーリンの期待に添えないが。
「……クラッキー。どうですか? 今日の服は」
部屋に招かれる前にどうしても見せたかったようで、手を後ろに組み、清楚な雰囲気の白いワンピースを纏った姿を見せつける。その後、髪なんかをかきあげて、感想を欲する顔をした。
「に、似合ってるよ。うん、すごく……」
古いアパートなんか似つかわしくない、都会のお嬢様大学で、誰にも分け隔て無く笑顔を振る舞っているような、例えで言われる女神そのものであった。
しかし、ヨクスに言われるまでそんなことに気づきもしなかった。ヨクスがめかしこんできてよく似合っている、という感想はあるものの、知るきっかけが無く、よほど関わることの無い遠く離れた場所の出来事みたいに、興味は薄く、執着する気持ちも無かった。
「ありがとうございます。お邪魔しますね」
わざわざ言わせたのはいただけないが、それ以上は口うるさく要求することは無く、あくまで挨拶程度のじゃれつきみたいなものだったみたいで、それきり行儀をよくして部屋に上がった。
「いよいよかぁ……」
これから起こることへの不安に対し、ヨクスには見えないように軽く唇を噛んだ。
昨日、少女に出しそびれたジュースであったがそれをヨクスに出して、俺の方から切り出す。
「契約のことだけど、俺はヨクスとは……」
「アーリンですか?」
返事はやっ。
笑顔は崩れないけどヨクスの目は笑ってない。正直怖いけど、怖いけどここは屈しない。
「ち、違う。アーリンの契約も断るつもりだ。誓って」
「では、いずれ神として再誕をする、他の手立てでもあると? 私……アーリンであっても、隠し事はしないで正直に答えてください」
「正直にって……神に力を借りなくちゃ再誕はできないのはわかってるよ。今は神でもないから他の方法なんてわかりやしない」
俺が考えていたのはどうやって神になろうかじゃなくて、俺のやりたいことをどうすれば叶えられるか。
刺激なんか無くとも、体と心全てで感じられる、この世ではないような夜の空の涼風。それに掻き立てられた、確かに胸の内にある知的興味。そして、瞼の裏に浮かぶ運命の少女。
だが未確定である将来について、無駄に思わせぶらせて関わった時間を無駄にせぬよう、ヨクス達にはいち早く俺のことを見限って欲しかった。




