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Xは誰も知らない

「……おやすみ」

「お、おやすみなさい」

 神様も寝るんだな。まあ食事も、気がついたときにしてもいい、という感じだから大して死活問題ではなさそうだが、何より精神的に必要なものだと思った。時間がありすぎるのもそれはそれで暇という敵が立ち塞がる。

 よし。もう挨拶はした。後は寝ているだけでいい。寝ているだけで。

「ごめんなさい、狭いですよね……」

 暗闇の中でそうヨクスが話しかけてきて、それと同時にふわふわの尻が俺の尻に当たる。

「……やっぱり俺が床で」

「だ、駄目ですって! なら私が……」

「それもやめろ……」

 なら帰ってくれた方がいい、と言いたかった。迷惑だからというより迷惑をかけるから自由にしてくれという意味でだ。

 敷き布団もソファーも無いのは悪かったが、客人を床で寝させるなんて目には遭わせたくないし、ベッドに寝させようとしたらこうして俺を壁にやって夜中に逃がさないようにする。

「あ、背中合わせだから狭いんですよね」

 2人同じ向きに寝転がり、さっきよりかは余裕ができる。が、改めて妙な距離感に。

「ん……」

 ヨクスの息遣いが聞こえる。高鳴る胸の鼓動も。

「ヨクス、だからな……」

 やっぱり無理だ。しばらく待ったがヨクスは、何より俺も眠りに落ちるような落ち着いた状態じゃない。多分今日ぐらいは徹夜をしてもいいだろうと、寝返りをうってみる。

「んー……」

「ひっ……」

 眼前に迫り、顔を覆う柔らかな物体に情けない声を出してしまう。

「気持ちいーい?」

 今日だけで2回目だ。Xはヨクスの体を惜しみ無く使い、控えめながら温かく、花のような甘い香りがする胸に俺を抱き寄せる。

 気持ちがいい。相手から望んでこうされていてこちらも不快でないなら断る理由がない。このまま甘えるのはとても楽であった。しかし。

「いい加減にしろよ……前はギアピーネにいたな。お前は誰だ」

 ヨクスを突き放し、Xを問い詰める。

「私? 私は……」

 ひとつ呼吸を置く。やはりヨクスではない。

「あれ、あの……足りない……?」

「足りない? 何がだ」

 Xはなにやら大切なものをいつの間にか無くしたように空の両手をおろおろと見る。

「クラッキー……私、私だよ……あう……あ……」

 自らの名が出てこないようである。口を何度か動かしてみるが声が伴うことはない。

「うう……う……」

 思い通りに行かず何もできなかったXはその場で泣き崩れてしまう。可哀想だとは思うが何者かもわからなかった相手にほんの一瞬躊躇した。

「……あれ、私……」

 そのほんの一瞬に、波のようにどっと寄せてきた意識が引いたようで、今度は頬を伝う涙に困惑をする姿を見せる。

 気持ちが突然高ぶった、では済ませられない。泣いているヨクスにこれ以上追い討ちをかけてはいけないが、真相の追求は必要なことだ。

「聞かせてくれ。あの日、何があった」

 初めて3人が顔を会わせた、服装入れ替わり事件が起きた日に何が起きたのかを知りたい。

「それは……その……」

 もじもじとして、どうにもいい返事は返ってこない。

「気になって仕方がないんだ。ただ興味本位なだけじゃあなく……消えてしまうってことはなんなのか」

 前に見たギアピーネの取り乱した様子から、俺に隠された秘密があるはずだ。

「……クラッキーの、運命の望むままなら。それが正しいのです」

「俺が? どういう……」

 消える、消す、なんてなると俺の神罰かとも思ったがもっと違う、自然の摂理である寿命のような抗えぬほど大きく、不可逆の力を予感する。

「私なら平気です。台所で寝ますから」

「あ、待って……」

「駄目ですよ。女性の寝ているところに入ってきては」

 不意に、いつものヨクスらしさを出されて思わず照れてしまう。

 結局その夜ははぐらかされて、悶々としたままあまり寝つけはしなかった。


「おはようございます」

 先に顔を覗いたのはヨクスの方からであった。機嫌はどうかと挨拶をせざるか迷っているとこれも先に話しかけてきた。しかし、完全には元気でいないようで、すぐに朝食の用意をすると、普段よりテキパキ動き、考え事をしないよう、忙しくしていたいようだ。

「着替えはこれでしたか?」

 朝食を食べ始めてから、俺が許可を出してクローゼットの中を見てきてもらった。寝巻きのままはもちろん失礼だったが着替えをヨクスに手伝ってもらうのはXが出てくるリスクがある。そのため、クローゼットから羽織るだけのカーディガンを出してきてもらった。


 すっかり台所と寝室で互いのテリトリーが分けられ、フィルビスが来るまで静かに、言葉も交わさずに待った。


 ピンポーン。


 相変わらず馴染みのある、よもや神がその向こうにいるとは思えない軽快な音であった。

「どうも。今日もよろしく」

 そしてフィルビスも気さくに話しかけてくれる。

「今日はホーネアの手が空いているから、こうして転生することになった経緯を知らせていただきます」

「クラッキーさん。記憶が無いことは確かですか?」

「記憶って、俺には人間のものしか無い、はずですね」

 転生の拍子になのか俺は倉木アレンとして生きていた、と神になった今もそう信じている。

「なら、黒髪で琥珀の目を持つ女神のことは?」

「え……あ、なんで、フィルビスさんがそれを……」

 いやあった。俺の前世の唯一の記憶。運命の少女の。

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