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情けない未練と暗い影

 初めて出会った女神であり、まさにここから全ての非日常の生活が始まった。

 だが、思い描いていた笑いあり泣きあり、のあらゆる感情が充実した生活など訪れなかった。

「君のせいだからなー」

 今は声が聞こえず、気配もない運命の少女にそう言い放ってやった。

 何者なのかもわからない。

 神であるヨクスにつつかれたからなのか、同じく神である運命の少女が俺の意識の中に現れ始め、俺の前世に関わるのか、恐らくではあるが存命であるかも不明瞭である。

 そして何より運命の少女を確かなイメージとするきっかけとなるあの琥珀の目。

 ヨクスは。アーリンは。ギアピーネは。一体君の何なんだ。

 作られた運命のように立て続けに巡りあったあの3人と同じように何故俺の元に来てくれないんだ。

「……あれならわかるのか」

 描画のためのきっかけとなる、好きであってくれた女神達の痕跡を無意識に探る。

 アーリンがつけていった神器の傷。壁紙を裂いてその中の柔らかい石膏を剥き出しにしている。

 正に神がいたという証の、歴史的な遺産といっても過言ではないそれを、直るわけではないが毛羽立った壁紙を撫でながら触れてみる。

「……アーリンの印象が強すぎる。違う違う! 今は余計なことなんだよ!」

 俺はまだ他事に考えが揺らいでいる。もうもったいないなんて言わないって決めたんだ。アーリンの……。


 次だ。確かクローゼットの中に。

 あった。ギアピーネが忘れていったフルフェイスのヘルメット。

 早速ヘルメットの中を覗き込んでみて───いや待てよ。そういうのではないはずだ。一応離れて匂ってみたが無臭だった。多少合皮の匂いがするだけの新品に近いものだ。

 もっと違う手であの感覚を再現する。ヘルメットならばここにあの頭が収まっていたはずだ。

 縁と言うべきか、握り、掴みやすい形状を有しており、軽量のヘルメットは何の苦労も無く鳩尾の辺りに抱き抱えられた。

 胸の触覚は手足や顔と違って、内臓を抱えているからか、日常で手ほどにその機能を要求することが無いからか、とても繊細になっている。

 胸で受け止めてぐっと抱き締める充実感は得られるものの、そこにはギアピーネの影も運命の少女の影も無かった。

「ヨクスの分は……無いか。どうせだめかもしれなかったけど」

 アーリン、ギアピーネに次いで、もう一人ヨクスの痕跡を探してみたが、今までに手土産で食べ物を運んできていたが、邪魔になるものとしてきちんと持ち帰られていた。中身もずっと前に食べてしまっている。

 思い出の場所も思い立っていけるものでもない。

 これからヨクスと出会うために、少しでも何か気を引けるような願掛けか、まじないになるものは。

 俺の頭によぎったのは海に出かけたときのことだ。

「甘いものでも買っておいてやろう」


 とりあえず駅の前でケーキを買ってみた。

 神の口に合うかどうかは買ってから心配になった。だが、前にヨクスの料理は食べたときを思い出す。もちろん美味しかったが、どことなくそれは馴染みのある味で、人間と神とでその味覚には天地ほどに差は無いのであろう。

「さすがに3つはけっこうかかったな」

 わざわざひとつひとつ選んで買ってみて、それは今でも悶絶するほど恥ずかしくなる。

 気持ち悪かったかな。さすがに。

「なによっ! あなたさっきからずっとじろじろ見て!」

 駅前の喧騒の中、一際迫力があり、一度ならず何度も何度も叫び続ける女がいた。

 どうやら面識の無い通りがかりの男に突っかかっているようだ。

「私はなにも……」

「嘘つくな! じろじろさぁ、じろじろとさぁ!」

 全体的に白髪の広がっている物静かそうな男で、格好も清潔感のあるワイシャツとスラックスに身を包んでいる。正直、呂律も怪しい女と真面目そうな男の姿からして、女が言いがかりをつけているだけに見える。

 見て見ぬふりをしてはいけないがどうにか警察にでも穏便に済ませてもらうとしよう。

「きゃああー!」

 声の主の違う、そして、怒りではなく恐怖となった悲鳴がした。

「だっ、誰か、警察、救急車……あ、あー……」

「おい! その女を取り押さえろ!」

「え、なに? やばくない?」

 狼狽える者に、強い正義感を持って、血にまみれたハサミを持つ女に立ち向かう者、目の前のことを受け入れられず冗談であるかのように知人と冷や汗をかきながら笑う者が混じり合って、その場には日常から乖離できる特濃の精神薬のドームを形成していた。

 たまたま距離があっただけで、俺があの場にいたとしたら雰囲気に飲まれてなにもすることができなかっただろう。

 幸いなことに逃げ出すだけの体力と臆病さは健在である。


 俺はよく見知った道を立ち止まること無く駆け抜けて、今は緑に包まれた多くの桜がある静かな公園の側に辿り着いた。周りに人の気配はあらず、ようやく恐怖から解放される。

 目の前で起きた凶悪な事件。真の凶器であった人間の感情というものが果たして独りでに生まれたものなのか未だに疑っている。まるでつくられたように過激なものであったからだ。


「ここにいたかぁ。転生せし破壊神、クラッキー」


 ふと風が止んで、近づいてくる革靴の音がした。

 俺を呼ぶ神らしき男のものだ。

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