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大きな転機

 行ってしまった。ヨクスだけは洗い物があったから残っていたが、なぜか、途端に俺は自分の行動を疑い始め、萎縮をしてしまった。

「……クラッキー。ごめんなさい。私達に何かあったことは本当です。言い訳だと思われるかもしれませんが、私達3人とも今弱ってて」

 言いたくないことだってあるか。女神を自称していても、恋をして、笑って、なにかを食べたり、かわいい服や水着も着て、嫉妬して、泣いたりもする。そんなの人間と何も変わらないじゃないか。

「多分また落ち着いたら戻ってきますよ。今日でなくとも明日か、まだ先になるか」

 完全に脱力したわけではなく、しっかりと話は聞いている。融通の利かない真面目であったからだ。それだから、返事を返したかったのに、唇から息を漏らすだけだ。

 俺とギアピーネの分の食器のために何度かリビングを行き来してしばらく経った後、エプロンを解きながら俺のそばに行儀よく座る。

「また必ず、お出かけしたりしましょうね」

 おやすみなさい、と言って立て付けの悪くなった扉に苦戦しながらも外へ出て、俺は1人、部屋でじっとため息をついた。


 昼間とは打って変わって死んだように冷たいアスファルトは、常人らしからず並の恐怖など感じない神であるヨクスにも、ある弱っていた者を連想させ、焦燥を掻き立てさせる。

 目指していた場所は神と人間の世界の狭間。それは、たとえいがみ合っても辿ることとなっていた3人の運命の交差点であった。

「おーい。こっちだ、こっち」

 いくら数えきれないほど通っていても、慣れた階段で足を踏み外しかけることもある。しっかりと落ち着いて狭間への一歩を踏み出す時に、ヨクスの左後方。(しるし)であるウサギヤマの神社の庭に鎮座している巨岩の陰から呼び止める声がした。

「アーリン」

 ヨクスにとっては単なる親近感ではなくなっていた琥珀の目が闇の中で揺れ、普段のようにおしとやかに振る舞おうと努めずに、脇目も降らず駆けていった。

「どうしたの? 先にあっちで待ってたかと思ったのだけど」

「月が綺麗だなって思ってさ。それに静かで落ち着く」

 球体である月が太陽に照らされる向きが異なっているだけで、円弧と円弧で作られた三日月であるが、まるで真っ黒な夜空という暗幕が突き貫かれ、その奥、きらびやかなステージから漏れだした光かと思わせるような美しさがあった。

「で。こいつをなんとかしないと、って話」

 巨岩の、ひとつ窪んだ部分に体を丸めてふるふると蠢く者がいた。コートを頭から被って膝を抱える姿は子供そのものである。

「ほら。泣いてなんかないって。気にすんなよ」

「違う。泣いたったら泣いちゃったんだ」

「……なにこれ」

 泣いた泣いていないはともかく、おかしなことに窪みの中で縮こまっていたギアピーネの方が、泣いていた、の一点張りをしている。

「ギアピーネ? どうしたの? 別に仕方なかったと思うけど」

 事情を探るためにヨクスは腰を屈めてギアピーネのそばにに近づく。そして、まずは肯定をすることから始める。

「仕方なくなんてない……泣くのは一番ずるいことだから」

 いじけた手前すぐには素直になれないが、さらにギアピーネの目から活気が失われていく。

「責任から逃げて、誰かを傷つけるものなんだ……」

 涙を見せるという、非日常。程度にもよるが返事も話を聞くことも放棄できる免罪符に成りうる。そしてまた、かの青年のように、周りの誰彼を決して幸せな気分にはさせない。

 ギアピーネはそれがそういう効果があるとわきまえていて、それに加えて、気を引くためのひとつの(すべ)とも自覚していた。ただし、知り得ているだけで嫌いなものではあった。

「ヨクス、アーリンにも迷惑をかけた」

 そしてこのように、余程のことでないと自らを許すことができないギアピーネは岩のように固まり、てこでも動きはしなくなった。

「だーかーらー、お前が思ってるよりそんな非道な奴は滅多にいねえって。そりゃあ他人に見られてるの意識するだろうけど、案外誰も他人のこと見てねえからな」

 無縁そうだと決めつけるのはヨクスの偏見であったが、ギアピーネはあまりにも自意識過剰であって、アーリンくらいの生きやすい態度を見習うべきだと思った。当のヨクスもアーリンの言い分は羨ましかったし、このストレスでまた体型に響くな、とアーリンの大きな胸と健康的であり、かつ男を惑わすであろう性的な魅力も兼ね備えた脚も憎くなる。

「……どちらにせよ、アーリンもギアピーネも最低一回はあのお部屋に行かないとね。あのドア開けるの苦労したんだから」

「あっ、そうだった……はーあ、もう足取りが重くなってきた」

「……必ず行く」

 できることなら避けたいと、いずれかは折れるであろう嫌々という態度ではなく、大きな声を出して、ため息もついてその態度で感情を表したり、またそういう発散の下手な方は見ているヨクスが顔を歪めるようにぐいぐいと指を曲がらない方へ引っ張っている。

「……会える口実があるだけいいのかもね」

「ヨクス? なんか言ったか?」

「なんでもない。さ、解散しよう」

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