逃げたい?
不思議なもので、女神達はこれまでに一度たりとも今俺のいるこの部屋に泊まったことは無い。もちろんいいことだが。
同性異性に限らず他人と日々を過ごすことは、必ず磨り減るものがある。
さて、もう動けることは動けるな。それよりも日焼けの方が痛い。対策をしておいてこれだから、まだ酷くなっていたかもしれない。
しかししんどい。暑さで倒れるほどの貧弱さだから、昨日の疲れがまだまだ残っている。流石に今日ぐらいはゆるいお出かけだろう。なんなら午後からにでもしてもらおうか。そう考えていたところ、インターホンが鳴る。
「8時過ぎ……早いな」
あちらとしては様子も気になっただろうから仕方ないか、と迎えに行ってみる。
「私だ。早く開けろ」
「お前かよ……」
媚びることの無い淡々とした口調はギアピーネであった。でも。
「大丈夫か? 休日はここらに来てたら鉢合わせ……るんだが。なんだそれ」
声も背格好も疑う余地無くギアピーネそのものであった。だが、なぜかフルフェイスのヘルメットを被っている。
「あれだ……倉木の顔を直視しているとおかしくなるからな。その対策だ」
「いや言い方。まあいいや、んで、何しに来たって?」
「玄関先で済む話だ。すぐに終わる」
ヨクス達のことも考慮して何よりも時間が惜しかったようで、やや強引に部屋に入ってくる。
「……見ていたぞ。アーリンと、あんな……ううー……」
「おま、あれは仕方なくだって。見てたんならわかるだろ。ってか、助けてくれたってよかったじゃねえか」
そういえば、いくら人気が無いといっても俺を監視してるやつがいたんだった。
「私が出られるわけ無いだろ! もう! あんなに、あんなに……うわー!」
「引っ張るな引っ張るなー! 一応病み上がりだぞ!」
俺を叱るというよりもかなり感情的になって胸ぐらを掴んで一悶着する。俺が悪かったと何度か言ってようやく落ち着いてきた。
「はぁ、はぁ、これぐらいでわかったか。全く」
ギアピーネは肩で息をしながらおもむろにゴーグル部分を開ける。流石に息苦しかったようだ。
「う……」
開いたヘルメットからはギアピーネの琥珀の目だけが覗く。髪の色や顔の輪郭が隠されていてどことなくあの子に雰囲気が似ているような、錯覚に陥る。
「く、苦しいなら脱げって」
ギアピーネがおかしくなるのは正直理解できていなかったが、いざこういう状況になってみて俺の方こそ何かしでかしてしまう可能性がある。冗談半分にヘルメットを脱がそうと試みる。俺にとってなんでもないギアピーネの顔を晒させるために。
「いーやーだ! 放してー!」
「だから、帽子もマスクもとるのもマナーだっつの」
少女の見た目の通り、少し力を込めてみれば案外苦労せずヘルメットを奪えた。そして暴れまわったのもあって紅潮した顔が現れた。
「もう……乱暴するなー! 返してよぉ」
俺は大人げなく両手で奪ったものを高く掲げた。飛んで跳ねてひっかくように腕を振るが到底届きっこない。
「はあ……ほら、返す」
「……倉木? どこか悪いのか」
このまま適当にじゃれつく時間が続けばいいなとは思ったが、ふと奥歯の辺りが歯痒くなって、さらに体がだるくなる。ギアピーネにヘルメットを返すと、その場に座り込む。
「倉木……ごめん。私言い過ぎた、かな……」
「ギアピーネが謝ることはねーよ。元はあの二人のことだからな。とにかく今はしんどくて辛い」
「熱は……無いみたいだな。事情を言ってみて断ったらどうだ? 女神に合わせていたらいつか体を壊すぞ」
額に手を当てられて、求めたわけではないが思いやりの言葉をかけられる。
「まだ少し時間もあるし横になってなよ。私も帰るし」
優しくされると申し訳なくなる。別に日常生活で体を動かす程度には何の支障もなく、それがさらに割りきれなくなっている。
「なあ、ギアピーネ。今日も頑張ってみるよ」
嘘ついて強がりを言うのはどうしてこうも悲しくなるのか。
学校で何かあったとき、母親にこうしてたのを思い出した。心配性で、やや過干渉気味な人だから、どうでもよかったことは鬱陶しかったが、本当に心配させるようなことにはなるべく隠すようにした。
「なら……いっそ逃げちゃえばいいよ。適当にごまかしてさ、仕方ない事情があった、って」
「逃げる、か。そうだな……静かなところ行きてーな。博物館とかさ」
「へえ。博物館かあ。……一人で?」
「できればそれが一番だな。誰にも急かされずに、時間なんて気にせずゆっくりだらだらとな。……なんだよニヤニヤして」
「べ、別に。知り合いにそういうのがいて、その子なら倉木の気持ちもわかるんだろうなー、って……」
知り合いか。まだ見ぬ神の世界にはあらゆる神がいるらしい。
「愚痴聞いてもらって悪かったな。今日は無理だけど、今度に会った時に作戦会議だな」
一人では上手く自分を理解できず考え込んでしまう。あるひとつの共通の目的を達成するためにまた会おうと約束をする。
「倉木……私が、連れていくから、逃げてみない……?」
あまりにも突然で、まさかギアピーネの口からそんな言葉が出るとは思ってもなかったからなにも言い出せずに固まってしまう。
「今ある考えが……」
ピンポーン。
最悪の事態になった。




