身の危険
「こちらは向くなよ」
俺の背中に冷たいものが当たる。それほど太くはない棒状、プラスチックか何かの、先が丸いものだ。鋭利な刃物ではないからそれほど緊張は無いが、何らかの新手の凶器かと勘ぐると思わず唾を飲む。
ヨクス達と離れて、その二人はもちろん、俺だってそう軽々と一人で歩くのは危険であった。トイレを探している途中の俺は、前もって現場を下調べされていたのか、絶妙な物陰に抵抗する間も無く押し込められた。
人が一人通れるほどの細い建物の隙間。そんなところを通るのによほど苦労してないというのはまさか女子供か。
しかしどうする。命より大事なものはない、という教えをきちんとわきまえている俺は、まずやるべきことを確かめて、すぐに迷った。
金銭を出そうにも何も無い。
いや待て。手ぶらで、水着だけの俺をカネ目当てでわざわざ狙うか。一応男の俺よりも、荷物も抱えてて、なるべく女性の方が狙われないか。
「ノー、ノーマネーノーマネー」
シンプルに、正直に俺の状況を伝えた。間違ってもいたずらに手出しはしない。
「何をいってるんだ……」
どういうことだ。相手は呆れているようである。
本当に今の俺は一文無し、この身一つだけ……この。
「へ、ヘルプ! ヘールプ!」
噂でしか聞かないがこんなことあり得るのか。下手に暴力を振るわれるより怖いぞ。
「落ち着け。私だ、ギアピーネだ。ほら、話が通じるだろ?」
「……ああ、そうだった……ってか驚かさないでくれよ……」
「!? こ、こっちを向くなと言ってるだろ!」
何かの設定なのか、頑なに俺を謎の凶器で脅し続ける。背の小さいギアピーネであったからすっかり背中に隠れていてその姿は見えなかった。
「しばらく見させてもらったが、まずはこれだ」
俺の脇腹から手を伸ばして、恐らくさっきまで突きつけられていたであろうプラスチックのボトルを差し出してきた。
しばらく見させてもらった、とのことは後で問い正そう。
「日焼け止めだ。神ならまだしも、人間にとっては必要だろう」
「ああ、悪いな。神は使わなくてもいいのか」
日差しで火照った肌にはひんやりとした日焼け止めは至高であった。なんでも、神は丈夫らしく人間ほど様々なことに気を使わなくても良いらしく、羨ましい限りだ。
「後これを。念のため持っておけ」
「ライター……にしては薄いか。って、カネか」
濡れないための蓋つきの銀色の箱を渡され、中にはヨクスが持っていた紙幣が入っている。
「いや、こんなの受け取っても」
「きちんと後で清算はする。けど、気兼ね無く使えるのだけ持っておけ」
確かにどこへ行くにもヨクス頼りだと煩わしい。貸すわけではないのもギアピーネなりの気遣いか。
「先に話しておきたかったのはそれだけだ。変わらずそのまま聞け」
ギアピーネは不機嫌そうにため息をつく。なんかこんな感じの教師がいたな。叱られる前の感じだ。
「全く。へらへらと鼻の下を伸ばして……いいか、倉木はだな、視線が分かりやすすぎるぞ。この……そんなに胸がいいのか、胸が」
「ま、待てって。つい見ただけてあって、初めは仕方ないだろ」
「こっちを向くなぁ!」
背中を押され、依然として体を翻すのはかなわない。
「あのヨクスめが……ここぞとばかりに露出をしてきて……女に慣れていない倉木には……」
「おい。別に俺のことはいいだろ」
「それにだ。わざわざアーリンとも個別で付き合うなんて、そこまですることは無いぞ。もっと興味なく振る舞えばいい」
「俺だってあっちが気が済むまでとは決めてるよ。けど、ギアピーネ達には造作もないとこだろうが、ここまで連れてきてくれた。そんな思い、無下にはできない」
気が済むまで付き合う、思いを無下にできない、のは事実だ。しかし、そこには円満にこの恋慕の気持ちを自然消滅させたい下心があった。もしかしたらいずれ出会う運命の少女のために。
「塗り終わったなら貸してくれ。背中は塗ってやる」
そういえばものすごくもったいないことをした気持ちがした。俺が日焼け止めを塗られるのか。
「冷たかったらすまない」
ちょんちょんと肩甲骨に指先で馴染ませながら塗り始める。神経質とは言わないが、なかなか繊細で上手である。
「腕上げてくれ」
こそばゆいがあばらの辺りも塗ってくれる。手が小さいからか何度かに分けて緩やかなペースで進める。
「あの、ギアピーネさん」
順調なペースだったがふとあることが怪しくなってきた。
「胸を触るのやめてくれないか?」
薬品を伸ばすために円を描く動きのどさくさに紛れて、割と先っちょに触れそうなほどの大胆さだ。やたらと上半身を持ち上げる、脇腹から絞り上げることもする。
「は、はあ!? さわ、触ってなんかない! 言いがかりはやめろ!」
「逆ギレすんな。その方が怪しいわ」
その態度はやましいことがあると言っているようなものだ。とにかく用事は済んだし、一言ぐらいは挨拶しておこう。
「こ、こら、だからこっちを……」
「顔ぐらい見せろって。礼も言いたい」
嫌がっていたが、それぐらいは常識だと思ったから、しばらく揉み合った結果ようやく顔を合わせる。




