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「はあ……散々な目に遭った。まさか最後の最後であんな事故に巻き込まれるとは」

 夕方、帰宅してまず一口水を飲んだ俺は、避けられなかった事故のことをずっと後悔していた。


「う、うわー! うわー!」

 決して悪戯などする気は無かったが、そういう時こそ慌ててはいけなかった。変に動けばその状態を把握して、意識していると勘違いされるし、何より二次被害を起こす。

 程よくふわふわの尻ははちょうどいい弾力で、揉まれるための形状と言っても過言ではない丸いそれは余すことなく己を主張してきた。

 そして主であるヨクスはまだ気が動転しているのも相まって、聞いたことの無い悲鳴をあげ、力任せに両手で肩の辺りを何度も叩いてきた。そして帰るときまで機嫌は直らずじまいであった。


「……少しは嫌われただろうが、事故とはいえこれは罰せられてもおかしくない。また会ってきちんと謝罪もしなくちゃな……」

 体を触って怒らせて、それきりなど、ただの悪漢ではないか。

「アーリンも気になることを言ってきたし」


「クラッキー、今日は楽しかったな」

 落ち込んでいたヨクスは一人去ってしまって、ウサギヤマのしるしまで送ってくれたアーリンがそう声をかけてきた。

「うん、思わぬ場所に行くことになったが、いい旅だったよ」

「だよな。割とぼうっとしてたし」

「あ、ああ、暗いのはもともとでな」

「ん? いやいや、子供みたいで可愛かったぞ。私は見慣れてるからクラッキーばっか見てたけど、そっちはじっと見入っててさ」

 可愛い、って、確かに意識してアーリンを見たりはしなかったが、そんなに周りを気にしていなかったか。

「あれは演技なんかじゃあできねーよ。あの目は」

「っつ……でも逆に構ってはやれなかった、こんなもんだぞ?」

 ありのままでいたのが思わぬ形で気に入られてしまっている。そこでそれを逆手にとって駆け引きを目論む。

 そうだ。いくらときめくきっかけがあったとしても、それがメリハリも無く、当たり前のように続けば必ずいつかは愛想が尽きる。

「構ってやるのはこっちだぞ。クラッキーは突然お尻触るとかしかしないもんな」

「なっ……あれは事故だったからな!」

「へへ、やっぱこの方がいいよ。じっと待ってるだけなんて耐えられないし」

 アーリンには男を立てるため、好意を寄せる女への優越感と、機嫌を損ねぬよう、たとえ「なにもしない」という行動であっても肯定して受け入れるなどはする気はなく、ある意味疑い深く、飽きられないためにあの手この手を尽くそうとしている。


 この先に何が起きるのかわからないが、ひとまず大学は通い続けていた。勉強が手につくかやや心配だったが、いざそうなってみたら案外集中できた。ただ、必ずしも何も起きないわけではない。

「午後から休講、か……」

 貼り出されていた休講の掲示。別に図書館にいる時間が増えるだけだが、今日はたった、無性にコンビニのチキンを食べたかったというだけで、寄り道をしてアパートに帰ることにした。

「ん?」

 今朝、玄関前のコンクリートは「いつも通り」に細かな砂塗れであった。しかし、たった今俺が帰った時、帰路でついた泥が目立つほど綺麗になっている。大家が掃除でもしたのか。少し歩いて隣の部屋の玄関を見てみたが、そちらもまっさらだ。怪しいとは思ったが綺麗に越したことはなく、気にも留めず部屋の鍵を開けた。

 ベッドに真っ先に向かうと鞄を置いてから飲みかけだった水を取りに冷蔵庫に向かう。

「冷たっ! 床が濡れてる……」

 予想外の事態に間抜けな声をあげてしまう。しかし、雨漏りだとしてもここ数日は晴天続き。二階から水道の何らかのトラブルであっても、天井にはそれらしい染みもない。それに偶然にもペットボトルをこぼした程度の被害だ。

「……二人には合鍵なんか渡したはずは無い。誰かが来たわけは……」

 それが何のためにできた染みなのか、まだ本格的にそれに関する危機を感じぬまま、まず冷蔵庫の扉に手をかけていた。

 しかし目当ての水のペットボトルは見つからず、まさかと、染みのあった延長にあるクローゼットを見た。

「ヨクス……アーリンか?」

 疑い始めたら、その気になるのは早かった。何者かがいるという気配がしてならず、心臓の鼓動が騒がしく、嫌な汗が噴き出てくる。

 数分に渡りクローゼットに大声で呼びかけ、罰ゲームか何かで猛犬になんとか触らなければならない時のようにすぐに離れられるよう目一杯伸ばした手で指にひっかけるようにクローゼットを開いた。

「……!? 君は……」

 狭いクローゼットの中で膝を抱えて体を縮こめていた、濃緑のコート。隙間から覗いた水色の髪と琥珀の目は前に見た神である少女であった。

「っはぁ……ぐう、ふううぅぅ……」

「だ、大丈夫か?」

 過呼吸気味の激しい息遣いに、心配して肩に手を添えたが、同時に探していたもの、冷蔵庫にあったはずのペットボトルをなぜか持っている。

「……落ち着いて。俺は待っているから、何をしているのか聞かせてくれ」

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