第4話 自傷
結局、あたしはその日から学校を欠席した。美衣子と雪山先輩の顔を見たくなかった。今の状態で2人を見たらきっとあたしは狂ってしまう、そう思ったから。
食事が全く喉を通らなくなってしまい、そのせいで、たった3日の間に5kgも痩せてしまった。元々痩せ型だったあたしは、5kg減っただけで、外見にも大きな変化があらわれた。勿論、一番近くにいる両親がそんなあたしの変化に気づかないわけがなかった。毎日、両親は必死にあたしにこう尋ねてきた。
「涙、どうしたの?」
「悩みがあるなら、言ってみなさい」
そう聞かれる度、あたしは耳を強く塞いで首を横に振り、絶対に何も答えなかった。言ったところでどうこうなる問題ではないし、こんなあたしの悩みなんて、きっと下らないの一言で片付けられてしまうだろう。
今朝も、お父さんがなんとかしてあたしの口を開かせようとした。だけどあたしは首を激しく横に振り、最終的には泣き喚いて抵抗した。その結果、お父さんは酷く悲しげな顔をして、仕事に行ってしまった。
……ごめんなさい、ごめんなさい。お父さんのせいじゃないのに。お母さんのせいじゃないのに。
自分の情けなさに呆れて、更に悲しくなって、また食欲が無くなった。
「……それじゃあ、母さん仕事に行くわね。涙、もし気分が悪くなったら、電話かけてね」
「……」
お母さんの遠慮がちな声が自室の扉の向こうから聞こえたけど、あたしは返事を返さなかった。
パジャマ姿のまま膝を抱えて、じーっと、電源の点いていないテレビの画面を凝視する。
「テーブルに朝ご飯、用意してあるからね」
「……」
「……ちゃんと食べるのよ?」
「……」
お母さんは小さな声で行ってきますと呟いて、階段を下りていった。
それから暫く待って、あたしは静かに立ち上がり、誰の気配もなくなったリビングへ下りた。テーブルの上には、ラップのかかった少し冷たいご飯が用意されていた。それを生気のない瞳で一瞥してから、溜息を吐く。
あの日以来、食事を口に運ぼうとした瞬間美衣子の笑顔が脳裏に浮かんで、凄く気分が悪くなるようになってしまった。
美衣子は幸せ。あたしは不幸せ。どうしてこんなに差があるの……?
あたしは激しく首を左右に振って、美衣子の顔を脳内から削除した。そして、茶碗に盛られているご飯やお味噌汁を、ひとつの入れ物の中に混ぜた。
それを持って、あたしは裏口からパジャマ姿のまま外へ飛び出した。
今朝早く、お父さんとお母さんがあたしを心配して、精神科に連れて行くと言っていたのを聞いてしまった。取り敢えずこれを捨てて、食べたことにしておこう。折角用意してくれたご飯を粗末にするなんていけないことだけど、この際仕方が無いだろう。だってあたしは正常だもん、病院になんて行きたくない!
ゴミ捨て場まで20mくらいの距離を歩いたけれど、幸いなことに誰にも会わなかった。ゴミ捨て場ではカラスがゴミ袋を漁っている。片手でカラスを追い払い、持ってきた入れ物の中に入っているご飯を、カラスが破いたゴミ袋の中へ流し込んだ。
ごめんね、お母さん。
小さくそう零して、あたしは足を引きずるように自宅に向かって歩き出した。
最近、突然胸が張り裂けそうなくらい痛くなって、どうしようもなくて、涙が止まらなくなることがよくある。そんな時、決まってあたしはアレをする。自分の痛みが、少しラクになる気がするから。
家に辿り着いたあたしは、玄関に鍵をかけて自室に引き篭もった。迷うことなく机の引き出しを開け、その中からカッターナイフを取り出す。手首を切って、自分の血を眺めて、静かに泣いて、呆然と天井をみあげる。
自分の体を傷つけることがどれだけ悪いことなのか、わかっているはずなのに。それなのに、何故か涙が溢れ出したときに、自分の血を見たくなる。痛みや辛さが腕の痛みに吸い込まれて、少しだけラクになるような錯覚に陥ってしまう……。
「はは……っ」
緩んだ口元から、無意識のうちに笑みがこぼれた。それと同時に、両目から涙が溢れ出した。
「あはは……あはははっ……!」
止まらない血と涙が床に落ちて混ざり合い、水玉模様を描いていく。あたしは笑うのを止め、暫くその液体を眺めた。……そして、片手に握り締めたカッターナイフを、床に突き刺した。何度も、何度も―――……。
ねぇ、どうしてあたしがこんな目に遭うの? 普通逆じゃないの? 悪いやつが苦しむんじゃないの? こんなの、間違ってるよ。
「復讐してやる」
突然口からこぼれたその言葉にあたし自身が一番驚いたけど、妙に納得した。そうよ、美衣子が悪いんだから、辛い思いをして当然なのは美衣子のはず。
絶対許さない。……今に見てろ。あたしより何倍も痛くて苦しくて辛い思いをさせてやるから。
未だに血が流れている腕に乱暴に包帯を巻いて、あたしは携帯電話に手を伸ばした。震える手で、瑠夏にメールを作成する。
『瑠夏。ちょっと相談があるんだけど、いいかな?』
瑠夏からの返信は、1分程で来た。
『るぅ! 元気になった? こないだ色々あったから心配してたんだよ。もう大丈夫?』
その文面だけで本当にあたしを心配してくれていることが伝わってきて、あたしは思わず泣きそうになった。何度か瞬きをしながら、返信ボタンを押す。
『うん……あのね、あたし、休んでる間ずっと、いっぱい考えたんだ。だけどやっぱり美衣子のこと、許せない。だから、瑠夏……』
ボタンを押す指が一瞬止まる。少し躊躇ったが、あたしは決意を固めて、続きを打ち込んだ。
『あいつの事、一緒にいじめない?』
送信して、再び携帯電話を床に転がし、両手で両目を塞いだ。なんだか、今自分がやった行為がとても最低なことのように思えて、苦しくなった。
ううん、……大丈夫。だってあたしは悪くないもん。悪いのは全部美衣子なんだ。あたしのしようとしている事は間違ってなんか無い。
そう考えたら少しだけ楽な気持ちになって、普段どおりに呼吸ができるようになった。




