第八話 ユイ
第八話です。
どうぞよろしくお願いします。
牙猪が倒れたあとの静けさの中、俺とユイは、しばらく互いに立ち尽くしていた。
「本当に、ありがとうございました。あのまま一人だったら、どうなっていたか……」
ユイと名乗ったその人物は、改めて深く頭を下げた。癖のある短い髪、細身の体格。着ている服は、俺の支給品と同じような、簡素な布の服だった。
「怪我は、本当にないですか」
「はい、大丈夫です。ただ、腰が抜けちゃって、動けなくなってしまって……情けないところ、見られちゃいましたね」
ユイは苦笑しながら、地面についていた手を払った。俺は手を差し出し、立ち上がるのを手伝った。
「討伐、初めてだったんですか」
「はい。今日、ちょうどギルドで討伐依頼を受けたばかりで。この牙猪を三体倒せば達成っていう依頼だったんですけど……最初の一体で、もう心が折れかけてました」
ユイは肩をすくめながら、自嘲気味に笑った。俺はその言葉に、少し引っかかりを覚えた。
「討伐を選んだのは、何か理由があったんですか」
「理由、というほどでもないんですけど……ギルドの人に、経験値効率のいい依頼を聞いたら、討伐を勧められて。実際、成長経験値の依頼より、ずっとレベルが上がりやすいって聞いたので」
その言葉に、俺は自分の胸の内が、少しだけざわつくのを感じた。ユイは今日、恐らく初めて、誰かのLPを伴う経験値を手にしようとしていたのだろう。それは、さっきまでの俺と、まったく同じ立場だった。
「あの、リョウさんは、討伐依頼で来られたんですか。それとも、たまたま通りかかっただけとか」
「いえ、俺はたまたまです。今日は特に、依頼を受けていたわけじゃなくて」
「そうなんですね。あの、リョウさんの装備、討伐向けって感じじゃないですよね。採取とか、そっち系の依頼が中心だったりします?」
鋭い指摘だった。俺は少し迷ってから、正直に答えることにした。
「はい。ここに来てから、ずっと採取とか、伐採とか、そういう依頼ばかり受けてました。今日、初めて――討伐、しました」
「え、そうなんですか」
ユイは少し驚いた顔をした。
「じゃあ、私を助けてくれたのが、リョウさんにとっての初討伐だったってことですか」
「そう、なりますね」
「なんだか、申し訳ないような……ありがたいような、複雑な気分です」
ユイはそう言って、困ったように笑った。俺は自分のステータスウィンドウに、まだ表示されたままになっている通知を見つめた。
【実績解除】
「初めての選択」
説明:初めて、他者のLPを伴う
経験値を獲得したことへの記録
効果:称号「一線を越えた者」を獲得
視界の端で静かに点滅するその文字を、俺はしばらく見つめていた。称号という言葉の響きが、妙に重かった。一度手にしてしまえば、恐らく二度と消えることのない記録なのだろう。
「リョウさん、大丈夫ですか。さっきから、少しぼんやりしてますけど」
「あ、すみません。ちょっと、色々考えてて」
「もしかして、討伐したこと、後悔してます……?」
ユイの問いに、俺は言葉を選んだ。
「後悔、っていうのとは、少し違うと思います。ただ――今の一撃で、どこかの誰かのLPが、少しだけ削られたんだなって。そう思うと、単純には喜べないっていうか」
ユイは、俺の言葉をじっと聞いていた。しばらく黙り込んだあと、彼女はぽつりと言った。
「私も、それ、分かります。今日、ギルドでその話を聞いたときから、ずっと胸のどこかに引っかかってて。効率がいいって分かってても、素直に喜べない自分がいます」
意外な言葉だった。討伐を選んで、今日まさに三体倒す依頼を受けていた彼女の口から、そんな迷いが出てくるとは思っていなかった。
「でも、成長経験値だけでやっていくのは、正直、私には難しそうだなって思っちゃって。効率、悪いんですよね」
「はい。すごく悪いです。実際、レベルが上がるごとに、もっと悪くなっていくらしくて」
俺はここまでの経験を、簡単にユイに話した。銀葉草の採取、木材伐採、少しずつ積み上げてきた成長経験値、そしてレベルが上がるたびに減っていく獲得量。ユイは真剣な表情で、俺の話に耳を傾けていた。
「それでも、リョウさんは、その道を選び続けてるんですね」
「今のところは、まだ。この先、どうなるかは、正直分かりません」
俺は正直に答えた。ミラの説明では、成長経験値だけで進める道には、いずれ限界が来るはずだった。その限界がどこにあるのか、俺自身、まだ知らない。
視界の端で、ミラが静かに姿を現した。
「お取り込み中に失礼します。ユイ様も、専属ナビゲーターは、もう呼び出されたことがありますか」
ユイは少し戸惑ったように瞬きをした。
「あ……そういえば、村に着いたときに、そういう機能があるって表示された気がします。でも、まだ一度も呼んだことなくて」
「よろしければ、今、確認されてはいかがでしょうか」
ユイは頷き、自分のステータスウィンドウを操作した。視界の端に、また別の淡い光が集まる。今度は、青みがかった涼しげな色の光だった。姿を現したのは、ミラとはまた違う、落ち着いた雰囲気の男性の姿をしたナビゲーターだった。
「はじめまして。私はカイ、ユイ様専属のナビゲーション機能です」
「わ、本当に出てきた……存在は知ってたんですけど、なんとなく呼ばずにいました」
ユイが照れくさそうに笑った。俺はその様子を見ながら、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。この世界に来てから初めて、誰かと並んで、こうして言葉を交わしている。それは、思っていたよりもずっと、安心できる時間だった。
「あの、リョウさん」
ユイが、改まった様子で切り出した。
「よかったら、なんですけど。これから受ける依頼、少しだけ一緒に回ってもらえたりしませんか。今日みたいなことが、また起きたら困るので……その、正直、一人で討伐を続ける自信、あんまりないんです」
予想していなかった申し出に、俺は少し戸惑った。誰かと行動を共にするということは、この世界のルールを思えば、決して単純な話ではない。だが同時に、目の前で困ったように笑うユイを、放っておく気にもなれなかった。
「討伐、俺は今のところ、あんまり積極的にやるつもりはないんですけど……それでもよければ」
「もちろんです。むしろ、リョウさんみたいな考え方、私も少し見習いたいと思ってて」
ユイは、ほっとしたように微笑んだ。
「依頼、あと二体でしたよね。付き合ってもらってもいいですか」
「はい、それは大丈夫です」
そこで俺は、一つ気になっていたことを確認しておくことにした。
「あの、念のためなんですけど。これ、ユイさんの依頼ですよね。俺はただ手伝うだけで、報酬とか経験値は、ユイさんが受け取る形でいいですよね」
「あ……そうですね、すみません、そこまで気が回ってなくて。もちろん、そのつもりです」
ミラが補足するように言った。
「依頼の受注者はユイ様ですので、達成報酬はユイ様に帰属します。ただし、討伐そのものによって発生する経験値は、実際にとどめを刺した、あるいは有効打を与えたプレイヤーに個別に加算される仕様です」
「なるほど。じゃあ、俺が手を出した分は俺に、ユイさんが自分で倒した分はユイさんに入る、ってことですね」
「その理解で問題ありません」
俺たちは頷き合い、草原の奥へと歩き始めた。ユイの依頼書には、残り二体の牙猪を討伐する旨が記されている。俺はさっきの一戦を思い返しながら、短剣を握り直した。
しばらく歩くと、また別の牙猪を見つけた。今度は、ユイが先に動いた。
「行きます……!」
ユイは震える手で剣を構え、牙猪に向かって踏み込んだ。だが、その一撃は浅く、獣の体をかすめただけだった。牙猪が怒ったように鼻息を荒くし、こちらへ突進してくる。
「ユイさん、離れて!」
俺は割り込みながら、観察眼を発動させた。
【解析中……】
【牙猪】
弱点:後方、脚部の腱
さっきと同じ弱点だった。俺は牙猪の突進をぎりぎりでかわし、後脚の腱に短剣を突き立てる。獣が甲高い声を上げて体勢を崩した隙に、ユイが慌てて追撃を加え、とどめを刺した。
【牙猪の討伐に貢献しました】
【討伐経験値を獲得しました】経験値:+12
(累計 88/220)
俺の視界には、そう表示された。有効打を与えた分の、俺への加算らしい。ユイの方にも、恐らく同様の通知が入っているのだろう。
「や、やった……!」
ユイが、へなへなとその場に座り込んだ。
「二体目、無事に倒せましたね」
「リョウさんのおかげです。私一人だったら、絶対に無理でした」
俺たちは少し休憩を挟んでから、最後の一体を探して歩いた。三体目は、川沿いの茂みの中に潜んでいた。今度はユイも、最初より落ち着いた様子で剣を構えていた。
「今度は、ちゃんと自分でやってみます」
「はい、俺は見てるだけにします。何かあったら、すぐ動きますけど」
ユイはそう言って、俺が示した弱点の位置を頼りに、慎重に間合いを詰めていった。牙猪の突進を横に逃れ、腱を狙って剣を振るう。一撃では倒しきれなかったが、二撃目で、獣はようやく動かなくなった。俺は今回、手を出していない。
「や、やっと自分で倒せました……!」
ユイが、達成感の滲んだ声で言った。俺の視界には、経験値の通知は表示されなかった。当然だった。今の一体は、完全にユイ自身の手柄だ。
「よかったですね、自分で倒せて」
「はい……なんか、リョウさんが隣にいてくれるだけで、全然違いました」
「これで、依頼、達成ですね」
俺たちは村への道を戻り始めた。行きとは違い、隣を並んで歩く道は、どこか心強く感じられた。
村に戻り、ギルドの扉を開けると、朝も見た受付の女性が顔を上げた。
「討伐依頼、お疲れ様でした」
ユイが依頼書を差し出す。受付の女性はそれを確認し、頷いた。
【依頼達成】
牙猪討伐(3体)
報酬を獲得しました(ユイ様)
・成長経験値:+30(達成報酬)
・銅貨:90枚
・名声:+8
達成の通知が、ユイの方にだけ表示されているのが、俺の視界からもなんとなく分かった。ユイが革袋を受け取り、嬉しそうに笑う。
「ありがとうございました、リョウさん。本当に、助かりました」
「いえ、俺は少し手伝っただけなので」
「そんなことないです。この報酬、リョウさんにも分けさせてください」
ユイがそう言いかけたが、俺は首を振った。
「大丈夫です。俺は俺で、途中の分の経験値はもらってますから。それで十分です」
ユイは少し驚いたような顔をしたあと、小さく頭を下げた。
「リョウさんって、本当に、変わった人ですね。悪い意味じゃなくて」
「よく言われます」
「リョウさん、本当にありがとうございました。よかったら、この後も、しばらく一緒に行動しませんか」
ユイの申し出に、俺は少し考えてから、頷いた。
「はい。俺で良ければ」
奪わない道を選び続けるつもりだった俺が、今日、確かにその一線を越えた。それでも、隣に並んで歩く相手がいるということが、思っていたよりもずっと、心強く感じられた。
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【ステータス】
名前:リョウ
LV:3
HP:9/18(負傷分未回復) MP:11/11
STR:7 VIT:9
AGI:7 INT:7
延命ポイント(LP):29.8日分
所持金:銅貨5枚(変動なし)
名声:8(変動なし)
満腹度:58/100(低下中)
次のレベルまで:88/220
【装備】
胴:革の胸当て
【所持スキル】
・痛覚遮断
・観察眼
・植物知識・初級
・木工の心得・初級
【称号】
・一線を越えた者
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
初めての仲間との出会いです。
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