第七話 悲鳴
第七話です。
どうぞよろしくお願いします。
目を覚ますと、窓の外はうっすらと明るくなっていた。
視界の端に、通知が浮かんでいる。
【システム通知】
休息によりHP・MPが全回復しました
昨日の疲労が、嘘のように消えていた。腕の重さも、木屑にまみれた手のひらの感覚も、今はもう残っていない。眠っている間に、身体が静かに修復されていたのだろう。
ふと、ステータスウィンドウを開いてみた。何気なく確認したLPの数字に、俺は小さく息を呑んだ。
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延命ポイント(LP):29.8日分
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三十日だったはずの数字が、わずかに減っている。眠っている間も、この数字は止まらずに動き続けていたのだ。当たり前のことだったはずなのに、実際に目にすると、胸の奥が冷たくなる感覚があった。
「ミラ、これって……」
呼びかけると、視界の端に淡い光が集まった。
「はい。LPは、ログイン中である限り、睡眠中であっても現実時間に応じて消費され続けます。今回のように、こちらの世界で一晩を過ごした場合、現実時間にしておよそ三時間半ほどが経過している計算になります」
三時間半。体感では丸一日以上が経っているのに、現実ではまだそれだけしか経っていない。時間の流れの違いを、頭では理解していたつもりだったが、こうして数字の減少という形で突きつけられると、また違う重みがあった。
俺は小さく息を吐いて、ベッドから起き上がった。その瞬間、腹の底から、ぐう、という情けない音が響いた。
「……そういえば、昨日から何も食べてない」
考えてみれば当然だった。この身体になってから、俺は一度も食事をしていない。三ヶ月間、点滴だけで命をつないでいた身体が、久しぶりに空腹という感覚を思い出したかのようだった。
「空腹感も、この世界では再現されているんですね」
「はい。Elysiumは、可能な限り現実に近い感覚を再現するよう設計されています。満腹度が著しく低下すると、行動効率にも影響が出ますので、適度な食事を心がけてください」
視界に、新しいステータス項目が表示された。
【満腹度】
現在:32/100
(低下中)
昨日一日、飲まず食わずで動き回っていたことを考えれば、当然の数値なのかもしれない。俺は身支度を整え、部屋を出た。
食堂を兼ねた宿の一階に降りると、昨日の老婆が朝の支度をしていた。
「おはよう。よく眠れたかい」
「はい、おかげさまで。あの、朝食って、頼めますか」
「もちろんだよ。パンとスープでいいかね。銅貨5枚だ」
俺は財布代わりの袋から、銅貨を数えた。所持金は50枚。ここで使いすぎるわけにはいかない。
「あと、宿代なんですけど……何日分か、まとめて払っておいた方がいいですか」
「そうだね、その方が手間もないし、うちは三日分まとめてくれると少し安くしてるよ。一泊15枚のところ、三日で40枚だ」
少し考えて、俺は三日分を先払いすることにした。銅貨45枚を支払い、残りは所持金の50枚から引くと残りは銅貨5枚となった。
【宿泊料金を支払いました】
3泊分:銅貨40枚
朝食:銅貨5枚
所持金:銅貨5枚
「5枚か……」
思わず苦笑が漏れた。だが、少なくとも当面の寝床と、目の前の食事は確保できた。
運ばれてきたパンとスープを、俺は静かに口に運んだ。温かいスープが喉を通っていく感覚に、思わず目を閉じた。味も、温度も、匂いも――何もかもが、本物としか思えないほど鮮明だった。
【満腹度が回復しました】
現在:68/100
食事を終える頃には、身体の芯に力が戻ってくるような感覚があった。三ヶ月間、味気ない栄養剤だけで過ごしてきた身体には、この一杯のスープが、何よりのご馳走に思えた。
「今日はどうしようかな」
宿を出ながら、俺は独り言のように呟いた。特に決めていた予定はなかった。ギルドで新しい依頼を探すのもいいが、まずは村の周辺を、もう少し見て回ってもいいかもしれない。
「西の草原の方に、まだ行っていない場所があります。少し足を延ばしてみますか」
ミラの提案に、俺は頷いた。昨日は薬草採取で歩いた道だが、まだ見ていない一角もあるはずだった。
村の西門を出て、俺は昨日とは違う方向――川沿いをさらに南へと歩いた。朝の光を浴びた草原は、昨日とはまた違う表情を見せていた。
しばらく歩いたところで、前方から、微かな悲鳴のようなものが聞こえた気がした。俺は思わず足を止めた。
「今の、聞こえましたか」
「はい。前方、およそ百メートル先から発せられた音声だと推定されます」
俺は音のした方向へ、駆け出した。草を掻き分けながら進むと、開けた場所に、倒れ込むようにしゃがみ込んでいる人影が見えた。年齢は俺と同じか、少し下くらいだろうか。短い髪の、細身の人物だった。
その目の前には、猪のような姿をした獣が、荒い鼻息を立てて対峙していた。
【解析中……】
【牙猪】
LV:3
「た、助けて……!」
倒れ込んだ人物が、震える声で叫んだ。武器を手にしているものの、明らかに腰が引けていて、まともに構えられていない。
俺は反射的に、腰の短剣に手をかけていた。相手はモンスターだ。人ではない。誰かのLPを奪う行為ではない。頭のどこかで、そう自分に言い聞かせていた。
「離れて!」
俺は叫びながら、牙猪と、倒れ込んだ人物の間に割り込んだ。獣が、標的を変えるように、こちらに向き直る。
初めての戦闘だった。心臓が早鐘を打っているのが分かる。だが同時に、痛みへの恐怖だけは、不思議となかった。
牙猪が、突進してきた。俺はとっさに身をかわそうとしたが、間に合わず、肩に鈍い衝撃を受けた。
――痛みはない。だが、視界の端で、数字が動いた。
【HPが減少しました】
15 → 9
自分の身に何が起きたのか、感覚では分からない。ただ、数字だけが、確かにダメージを受けたことを教えてくれていた。ミラの言っていた通りだった。痛みがないことは、決して安全を意味しない。
「今の一撃で、六割近くのダメージです。気をつけてください」
ミラの声が、いつもより緊迫感を帯びていた。俺は短剣を強く握り直した。
牙猪が、再び体勢を整えて、こちらを見据えている。俺は「観察眼」を発動させた。
【解析中……】
【牙猪】
弱点:後方、脚部の腱
弱点の位置が、視界に薄く表示される。俺は呼吸を整え、獣が再度突進してくる瞬間を待った。
牙猪が地面を蹴った。俺はぎりぎりのタイミングで身をひねり、突進をかわす。すれ違いざま、俺は短剣を、示された弱点――後脚の腱に向かって突き立てた。
獣が甲高い声を上げ、体勢を崩した。俺は間髪入れず、もう一度、同じ場所に刃を振るった。
牙猪は、大きく体を震わせたあと、地面に崩れ落ちた。
視界の端に、通知が浮かぶ。
【牙猪を討伐しました】
【討伐経験値を獲得しました】経験値:+35
(累計 126/120)
【レベルアップ!】
LV:2 → LV:3
(次のレベルまで:220)
達成感よりも先に、俺の胸には、別の感情が広がっていた。
――今の三十五という数字は、誰かのLPから、削り取られたものだ。
初めての討伐。それは同時に、初めて、誰かの時間を奪った瞬間でもあった。俺は短剣を握ったまま、しばらく動けなかった。
「大丈夫、ですか」
声をかけられて、俺は我に返った。さっき助けた人物が、こちらを心配そうに見つめていた。
「あ……はい、平気です。あなたの方こそ、怪我は」
「私は、大丈夫です。助けてくれて、ありがとうございます」
その人物は、まだ少し震える声で、深く頭を下げた。
「あの、俺は――リョウといいます」
名乗ると、相手は少し驚いたような顔をしてから、小さく微笑んだ。
「私は、ユイといいます。本当に、助かりました」
短く交わした自己紹介だったが、この世界に来て初めて、誰かと言葉を交わした瞬間だった。討伐という選択がもたらした重さと、目の前の人物が確かに救われたという事実。その二つが、俺の中で、まだうまく折り合いをつけられずにいた。
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【ステータス】
名前:リョウ
LV:3(LV2 → LV3)
HP:9/18(+3) MP:11/11(+1)
STR:7(+1) VIT:9(+1)
AGI:7(+1) INT:7(+1)
延命ポイント(LP):29.8日分
所持金:銅貨5枚
名声:8
満腹度:68/100
次のレベルまで:220
【装備】
胴:革の胸当て
【所持スキル】
・痛覚遮断
・観察眼
・植物知識・初級
・木工の心得・初級
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
初めての戦闘、そして初めての討伐。
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