第六話 北の森
第六話です。
どうぞよろしくお願いします。
村の北門をくぐると、それまでの穏やかな草原とは違う空気が漂っていた。木々が空を覆い、差し込む光は葉の隙間を縫って、地面にまだらな模様を作っている。
「北の森は、村の周辺の中では比較的静かなエリアです。とはいえ、油断は禁物です」
隣を歩くミラが、そう補足した。
「油断禁物、というのは」
「弱い魔物であっても、不意を突かれれば無傷では済みません。特に、痛みを感じないあなたにとっては、注意が必要な環境です」
さっき鍛冶屋で聞いた話を思い出し、俺は自然と周囲に視線を配るようになっていた。木々の隙間、地面の窪み、頭上の枝――今までなら気にも留めなかったであろう細部が、やけに目についた。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。切り出された丸太が積まれ、斧を持った男が数人、黙々と作業をしている。依頼書に書かれていた丸太置き場だろう。
俺は近くにいた作業着姿の男に声をかけた。
「木材伐採の依頼で来ました」
「ああ、聞いてるよ。そこの斧を使ってくれ。切った丸太は、あっちの荷馬車に積んでくれればいい。指定の五本、切り終わったら声をかけてくれ」
男が指差した先には、使い込まれた斧が何本か立てかけられていた。俺はその一本を手に取った。想像していたより、ずっしりとした重みがある。
「木を切るの、初めてなんですけど……コツとかあったりしますか」
「コツも何も、ただ振り下ろすだけだ。狙う場所さえ間違えなきゃ、そのうち慣れる」
素っ気ない返事だったが、悪意は感じなかった。俺は指定された一本の木の前に立った。太さは俺の胴回りほどだろうか。三ヶ月間、まともに体を動かしていなかった自分に、こんな作業ができるのか、正直不安があった。
「観察眼を使ってみますか」
ミラの提案に、俺は頷いた。目の前の木に意識を集中させる。
【解析中……】
【広葉樹】
推奨伐採箇所:地上から約30cm
視界に、木の幹の一部が薄く光って見えた。なるほど、闇雲に振り下ろすよりも、効率のいい場所があるらしい。
俺は斧を構え、光った箇所を目掛けて振り下ろした。
――ゴツン、という鈍い音とともに、斧の刃が幹に食い込んだ。手のひらに衝撃が伝わる。痛みはないが、腕全体に響くような振動があった。
「思ったより、重い……」
一撃で切り倒せるわけもなく、俺は何度も斧を振り続けた。土の匂い、木屑の飛び散る感触、腕の疲労感――どれもが、病室では決して味わえなかった、生々しい感覚だった。
十数回振り下ろしたところで、木がぐらりと傾いた。
「危ない、離れろ!」
近くにいた作業員の声に、俺は慌てて後ろに下がった。木は大きな音を立てて倒れ、地面が小さく揺れた。
視界の端に、通知が浮かぶ。
【伐採に成功しました】(1/5)
【成長経験値を獲得しました】経験値:+6
(累計 50/120)
さっきの薬草採取よりも、明らかに得られる経験値は少なかった。ミラが以前言っていた「レベルが上がるほど、成長経験値は減っていく」という話を、俺は改めて実感した。
「一本切り倒すのに、これだけ体力を使って、経験値はこれだけか……」
思わず、ため息のような声が漏れた。
「はい。伐採は、採取に比べて肉体的な負荷が大きい割に、得られる成長経験値の量自体はそれほど大きくありません。効率だけを考えるなら、必ずしも最適な選択とは言えないかもしれません」
ミラの言葉は、いつも通り淡々としていたが、正直な指摘だった。
「じゃあ、なんでこの依頼、受けちゃったんでしょうね、俺」
自嘲気味に呟くと、ミラは少し間を置いてから答えた。
「効率だけがすべてではないと思います。身体を動かすことに意味を見出しているのなら、それも一つの選択だと思います」
俺は倒れた木の幹に手を触れた。ざらついた樹皮の感触。三ヶ月間、指先すら自由に動かせなかった自分が、今はこうして木を切り倒している。効率が悪くても、この感覚には、数字だけでは測れない価値がある気がした。
丸太を荷馬車まで運び、俺は次の木に向かった。二本目は、一本目より少しだけ手際よく進められた。
【伐採に成功しました】(2/5)
【成長経験値を獲得しました】経験値:+6
(累計 56/120)
三本目、四本目と、俺は根気強く作業を続けた。腕の疲労は着実に蓄積していったが、痛みがない分、限界の感覚がつかみにくい。時折ステータスウィンドウを開き、HPの残量を確認しながら、無理のない範囲を見極めるようにした。
【伐採に成功しました】(3/5)
【成長経験値を獲得しました】経験値:+5
(累計 61/120)
四本目を切り倒したところで、視界の端に見慣れない通知が浮かんだ。
【新スキルを習得しました】
「木工の心得・初級」
「またスキルが増えました」
「はい。伐採という行為を一定量繰り返したことで、木材の扱いに関する理解が深まったのだと考えられます」
【木工の心得・初級】
木材の伐採・加工の効率がわずかに上昇する
地味ではあるが、確かに自分の中に、何かが積み上がっている感覚があった。奪わない代わりに、時間をかけて少しずつ手に入れていくもの――それが、今の自分に合っている生き方なのだと、改めて思った。
【伐採に成功しました】(4/5)
【成長経験値を獲得しました】経験値:+5
(累計 66/120)
最後の一本に取りかかろうとしたところで、遠くから、複数の足音が聞こえてきた。俺は反射的に手を止めた。
木々の合間から現れたのは、剣を提げた二人組のプレイヤーだった。年齢は俺と同じくらいだろうか。談笑しながら、森の奥へと歩いていく。
俺の視界に、意図せず観察眼の反応が浮かんだ。
【解析中……】
【???】
LV:6
【???】
LV:7
俺よりも、確実にレベルが高い。二人はこちらに気づく様子もなく、そのまま森の奥、恐らくは魔物が出現するエリアへと消えていった。
「あの人たちは、討伐に行くんでしょうか」
「恐らくは。北の森の奥には、初心者向けの魔物が生息するエリアがあります」
俺はしばらく、二人が消えていった方向を見つめていた。あの二人が今日得るであろう経験値は、俺が今日得ているものより、遥かに多いはずだった。その代わりに、どこかの誰かのLPが、少しずつ削られていく。
「……行きましょうか」
俺は小さく呟いて、最後の木に向き直った。羨ましいとは思わなかった。ただ、この世界の仕組みの重さを、改めて噛み締めていた。
斧を構え直し、俺はもう一度、振り下ろした。何度も、何度も。腕はすでに重く、木屑にまみれた手のひらは、感覚が鈍くなり始めていた。
やがて、五本目の木が音を立てて倒れた。
【伐採に成功しました】(5/5)
【成長経験値を獲得しました】経験値:+5
(累計 71/120)
「終わった……」
俺はその場に座り込みそうになるのを、なんとか堪えた。作業着姿の男に声をかける。
「五本、切り終わりました」
男は積まれた丸太を確認し、軽く頷いた。
「ご苦労さん。ギルドに戻って報告すれば、報酬がもらえるはずだ」
俺は礼を言って、村への道を戻り始めた。北の森を抜け、村の門をくぐる頃には、腕全体が鉛のように重く感じられた。痛みはないはずなのに、疲労だけは確かにそこにあった。
ギルドに戻ると、受付の女性が笑顔で迎えてくれた。
「木材伐採、お疲れ様でした」
【依頼達成】
木材伐採の手伝い
報酬を獲得しました
・成長経験値:+20(達成報酬)
(累計 91/120)
・銅貨:40枚
・名声:+3
「ありがとうございます」
俺は報酬の革袋を受け取った。銅貨の合計は50枚になっていた。今日一日で、装備を買い、また少し貯めることができた。
ギルドを出ると、村はすっかり夕暮れのような柔らかな光に包まれていた。俺はふと、自分の身体の疲労を自覚した。三ヶ月ぶりに動かした身体を、今日一日でめいっぱい使った実感があった。
「今日は、このくらいにしておこうと思います」
「良い判断だと思います。無理を続けても、良い結果には繋がりません」
ミラの言葉に頷きながら、俺は宿屋へと足を向けた。木の扉を開けると、温かみのある明かりが出迎えてくれる。
「一泊、お願いします」
カウンターにいた宿の主人らしき老婆が、穏やかに微笑んだ。
「はいはい、いらっしゃい。今日はどこかでしっかり働いてきたようだね」
「はい、少し」
俺は苦笑しながら答えた。案内された部屋は、簡素だが清潔だった。ベッドに腰を下ろすと、一日分の疲労が一気に押し寄せてくるような気がした。
窓の外を見ると、村の灯りがぽつぽつと灯り始めている。この世界に来て、まだ一日も経っていない。それなのに、ずいぶん長い一日だったように感じられた。
「ミラ、明日は……」
呼びかけようとして、俺は言葉を止めた。急いで決める必要はない。今はただ、この身体を休めることだけを考えたかった。
目を閉じる。三ヶ月前とは違う、痛みのない、静かな眠りが訪れようとしていた。
三十日という数字は、まだ頭のどこかで静かに動き続けている。それでも今は、この一日を、確かに生きたという実感があった。
俺はゆっくりと、意識を手放した。
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【ステータス】
名前:リョウ
LV:2
HP:15/15 MP:10/10
STR:6 VIT:8
AGI:6 INT:6
延命ポイント(LP):30日分
所持金:銅貨50枚(+40)
名声:8(+3)
次のレベルまで:91/120
【装備】
胴:革の胸当て
【所持スキル】
・痛覚遮断
・観察眼
・植物知識・初級
・木工の心得・初級(NEW)
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
初めての一日が、無事に終わりました。
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