8話『変わってしまったのは、きっとあたしの方』
「あたし……カイル団長のこと……」
そっと胸元に手を当てる。
名前を思い浮かべただけで、胸の奥がじんわり熱を帯びた。
――だめ。
今は、そんなことを考えている場合じゃない。
レオン王子を救い出す。
そのために、あたしはもう一度この世界へ戻ってきたんだから。
恋に浮かれて、立ち止まっている暇なんてない。
……そう、自分に言い聞かせているのに。
カイル団長を思い出すたび、胸がきゅっと締めつけられる。
優しく名前を呼んでくれた声。
不安な時、迷いなく差し伸べてくれた大きな手。
思い返すだけで、胸の奥が甘く疼いてしまう。
こんな気持ち。
明らかに、前のあたしとは変わってしまっていた――
◇
「ようやく、迷宮の最下層に着いたな……」
低く落ち着いた声。
けれどその響きには、四年という歳月の重みが滲んでいた。
「殿下、もう少しだけお待ちください――」
王家の裏事情を知ってなお、この人は忠義を失わない。
その真っ直ぐさが、胸に痛いほど沁みた。
きっとカイル団長は、自分が“守る”と決めたものを、最後まで絶対に見捨てない人なんだ。
だからこそ――
あたしは、この人の隣にいると安心してしまう。
でも、その温もりに甘えてしまったら。
きっと、もう戻れない……
「魔石から、王族を憎む声が聞こえたのだな……」
「はい。『王族が憎い……王族が憎い……』って……」
思い出しただけで、背筋がぞわりと粟立つ。
あの声は、耳で聞くというより。
心の奥へ無理やり流し込まれてくるみたいで、息が詰まりそうだった。
「おそらく、魔石を破壊する鍵となるのは、澪の回復魔法だ。だが、前回と同じ轍を踏むわけにはいかない」
失敗すれば、また元の世界へ戻される。
みんなから、引き離される。
――そんなの、絶対に嫌だ。
今度こそ、この世界に残りたい。
大切な人たちが苦しんでいるのに、自分だけ安全な場所へ逃げるなんて耐えられない。
「今回は、魔石の破壊ではなく……負の感情を受け入れて浄化する魔法を使ってみます」
「結界魔法と共に、新たに覚えた魔法だな」
「浄化魔法で、魔石に宿った恨みを浄化できればと思うんですが……正直、自信はありません……」
自分でも分かるくらい、声が震えていた。
もし失敗したら。
また、みんなと離ればなれになってしまう。
不安が胸を締めつけた、その時だった。
「ダメだったら、何回でも挑戦すればいい。その度に、俺は何度でも澪を護る」
迷いのない声だった。
その言葉が、張り詰めていた心に静かに染み込んでいく。
どうして、この人は――
いつも、あたしが一番ほしい言葉をくれるのだろう。
気づけば、不安で強張っていた肩の力が抜けていた。
隣にカイル団長がいる。
それだけで、「大丈夫かもしれない」と思えてしまう。
危険だ……
だからこそ、この安心感に甘えてはいけない。
今はレオン王子を助けることだけを考えるべき時なのだから――
◇
「やはり、禍々しい魔力だな――」
「あたしには以前よりも、ずっと脅威に感じます……」
「ふ、それは澪が成長して、魔力感知の能力が上がったからだな」
「そうでしたら、いいのですが……」
「扉を開けるぞ」
「はい」
かつてと同じ、クリスタルに覆われた空間。
けれど中央に浮かぶ魔石だけは、以前よりも濃い闇をまとっていた。
その中に、レオン王子が閉じ込められている。
「殿下!!」
「レオン王子!!」
同時に叫ぶ。
「四年間も、あんな魔石の中に……」
カイル団長の怒りが、空気越しに伝わってくる。
「カイル団長――」
「……いかんな。どうにも感情が抑えられない」
唇を噛みしめる横顔には、レオン王子を大切に想う気持ちが滲んでいた。
その姿を見て、あたしの胸はじんわり熱くなる。
この人は、本当に優しい。
守りたい相手のためなら、自分を後回しにできる人なんだ。
だからこそ、多くの人たちから信頼されている。
「気持ちは痛いほど分かります……。ですが、ここはあたしに任せてください」
「ああ、俺の役目は結界で澪を守ることだからな――」
「ありがとうございます」
あたしたちは一歩ずつ、魔石へ近づいていく。
その時、不意に胸がざわついた。
――あの時。
前回、この場所で。
あたしの隣にいたのは、レオン王子だった。
不安そうなあたしを励ましてくれていた。
なのに今、隣にいるのは――
「着いたな……」
カイル団長の声で、意識が引き戻される。
気づけば、魔石に触れられる距離まで来ていた。
隣に立つその存在が、ひどく頼もしい。
その安心感に、胸がまた小さく揺れる。
「では、いきます」
右手を差し出す。
「浄化魔法!」
浄化魔法を放った瞬間、魔石に細かなヒビが走った。
いける――!
胸の奥で、確かな手応えが弾ける。
もう一回!
「浄化魔法!!」
パリーン!
高い音を立てて、魔石が砕け散った。
次の瞬間。
ドサッ――
中から落ちてきたレオン王子を、カイル団長がすぐに抱き止める。
「殿下……」
その声は、どこまでも優しかった。
慈しむように王子を抱える横顔を見て、あたしはそっと胸を押さえる。
……ああ。
やっぱり、この人は。
本当に、大切なものを守れる人なんだ――
「ここは……」
レオン王子が目を覚ましたとき、あたしは思わず涙ぐんでしまった。
一年以上の苦労は、この一瞬のために――
そう思っただけで、涙がこぼれそうになる。
「……ミオ?」
懐かしい声。
ずっと、もう一度聞きたかった声。
「レオン王子……っ」
無事だった。
本当に、生きていてくれた。
嬉しくて、胸がいっぱいになる。
なのに――
どうしてだろう。
以前みたいに、素直に飛びつけなかった。
「……助けに来てくれたんだな」
「は、はい」
言葉が、ぎこちない。
一年以上も離れていたせい?
それとも――
わからない。
でも、レオン王子の瞳を見ていると、胸の奥が静かに揺れた。
懐かしい。
大切な人。
その気持ちは、確かに残っている。
レオン王子は、何も変わっていない。
あたしを見つめる優しい瞳も、穏やかな声も。
あの頃のままだ。
きっと、変わってしまったのは、あたしの方……
その事実に、自分自身が一番戸惑っていた。
沈黙に耐えきれなくなったように、レオン王子が小さく笑う。
「ミオ……、私たちは、まだ恋人でいいんだよな――」
その言葉に、心が大きく揺れた。
あたしは唇をきゅっと結んでから、小さく頷く。
「……うん」
そう、しぼり出すように返事をした。
胸の奥が、ちくりと痛む。
嬉しいはずなのに。
どうして、こんなに苦しいのだろう。
――その答えを、今のあたしはまだ知らなかった。




