9話『もう、昔みたいには笑えなかった』
あんな簡単に魔石が破壊できて、本当によかったのだろうか――
あたしの胸の奥には、拭いきれない違和感が残っていた。
前回は、あれほど禍々しい“王族への憎しみ”が魔石から溢れていたのに。
今回は、不気味なほど静かだった。
まるで――
何かが、別の場所へ移ってしまったみたいに……
そう考えた瞬間、背筋がひやりと冷える。
けれど今は、ようやくレオン王子を救い出せたばかりだ。
これ以上、不安を口にするべきじゃない。
そう思って、あたしは胸のざわめきを押し込めた。
「――恋人らしいことをする間もなく、魔石に取り込まれてしまったからな。ミオと無事に再会できて、本当に嬉しいよ」
レオン王子が、どこか照れたように微笑む。
その優しい笑顔は、あの頃と何も変わっていなかった。
「そ、そうですね……」
そう返した瞬間、自分の声がひどく遠く聞こえた。
前なら、きっともっと素直に喜べていた。
レオン王子の言葉を聞くだけで胸がいっぱいになって、顔も見られないほど嬉しかったはずなのに。
それなのに――胸の奥で何かが引っかかっている。
どうしても、昔みたいには笑えなかった。
そんな自分が、一番苦しい。
レオン王子は何も悪くないのに。
ずっと助けたいと思ってきた人なのに。
胸が痛む。
申し訳なさで、息が詰まりそうになる。
そんなあたしを見て、レオン王子がふっと表情を曇らせた。
「……私がいない四年の間に、何か変わったことはあったのか?」
その問いに、心臓が跳ねる。
まるで、見透かされたみたいだった。
「――あたしは一年だけなんです。一度、元の世界に戻ってしまいましたから……。カイル団長が、四年もの間ずっと、レオン王子と王国のために頑張っていてくれたんです」
そう言葉を口にした瞬間。
自分でも気づかないうちに、視線がカイル団長へ向いていた。
確認するつもりなんてなかった。
なのに、何故か、そこにいることを確かめたくなってしまった。
胸の奥がずきりと痛む。
どうして。
どうして今、あたしは――
「確かに、王国は大きく変わってしまいました……。ですが、殿下さえご無事であれば、再建は難しくないはずです」
カイル団長は、いつものように静かに頭を下げる。
その姿は忠誠そのものだった。
自分の功績など語ろうともしない。
まるで、それが当たり前であるかのように。
だからこそ、胸が締めつけられる。
「そうか……」
レオン王子の返事は、どこか歯切れが悪かった。
どうしてだろう。
レオン王子を傷つけてしまった気がした。
そんなつもりじゃなかったのに。
気づけば、誰かを傷つけている気がして――胸が苦しかった。
◇
王都へ戻った後、レオン王子は正式に王として即位した。
荒れ果てた王国を立て直すため、毎日休むことなく政務に追われている。
そして、その隣にはいつもカイル団長がいた。
――いや。
今はもう、“カイル辺境伯”だ。
四年間、王国を支え続けた功績を称えられ、王自ら異例の爵位を授けたのだ。
誰もが納得する叙爵だった。
……なのに。
時折、レオン王の視線が妙に冷たく感じることがあった。
――気のせい?
疲れているだけかもしれない。
四年間も苦しみ続けていたのだから、以前と同じでいられるはずがない。
そう何度も自分に言い聞かせるのに。
なぜか胸の奥のざわめきだけは消えてくれなかった。
それと、もう一つ。
辺境伯という爵位――
国境防衛は、確かに王国にとって重要な任務だ。
けれど、カイル辺境伯は元々レオン王子の近衛騎士団長だった。
誰よりも信頼していたはずの人。
命を預けるほど大切な存在だったはずだ。
本来なら、一番近くに置いておきたいと思うものではないのだろうか。
考えれば考えるほど、深部に小さな棘が刺さる。
そして、その棘は少しずつ深くなっていっている気がしていた――
◇
「あれは、ミオとカイル……」
遠くで言葉を交わす二人を見つめながら、レオン王は静かに目を細めた。
二人とも、私に気を遣っているのは分かる。
昔と同じ関係を続けようとしていることも。
ミオが懸命に笑おうとしていることも。
カイルが必要以上に距離を取ろうとしていることも。
わかっている。
わかっているのだ。
――だからこそ、苦しかった。
誰も悪くない。
誰かが裏切ったわけでもない。
ただ、四年という時間だけが残酷だった。
その時間だけは、どうしても取り戻せない。
隠しきれていない。
ミオがカイルを見る目。
カイルがミオを気遣う空気。
そこには、四年前には存在しなかった“特別”があった。
そして何より。
あの男といる時のミオは、ひどく自然に笑う。
肩の力を抜いて。
心から安心したように。
その笑顔を見るたびに生まれる妬みの感情。
……本来なら。
あの笑顔を向けられるのは、私だったはず。
四年前。
ミオは私だけを見ていた。
私もまた、ミオだけを見ていた。
だが――
私が失った時間の間に、二人は同じ時間を生きてきた。
支え合い、苦しみを分かち合い、互いを必要としてきた。
その事実を否定することはできない。
むしろ当然なのだろう。
ミオは一人で戦っていたわけではないのだ。
頭では理解している。
それでも――
心が追いつかない。
「はは……どうやら、遅すぎたらしいな……」
乾いた笑みが漏れる。
責める資格などない。
私の意思ではなかったとしても、結果としてミオを一人にしたのは事実なのだから。
それでも。
それでも諦められるほど、私は優しくなれなかった。
ようやく取り戻した。
もう二度と会えないと思っていた人を。
なのに今度は、自分の手の届かない場所へ行ってしまいそうで――怖い。
「……だが、この王国の王は私だ」
低く呟く。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
「私は全てを取り戻した。ならば――」
その先の言葉が続かない。
本当に欲しいものは何だ。
王としての立場か。
失われた四年か。
それとも――ミオか?
答えは、とっくに出ていた。
瞬間。
胸の奥で黒い感情がうごめく。
嫉妬。
執着。
喪失への恐怖。
愛しさと憎しみが混ざり合い、境界を失っていく。
こんな感情を抱く自分を嫌悪しながらも、止めることができない。
心の奥に落ちた黒い雫が、少しずつ広がっていく……
魔石は破壊された。
だが、“悪意”そのものが消えたわけではない。
行き場を失った負の感情は、静かに新たな依り代を見つけていた。
――レオン王、その人の中に。




