6話『その言葉を、否定してほしかった』
再び迷宮に入る前に、あたしたちはやらなければならないことが山ほどあった。
迷宮の魔獣は、以前とは比べものにならないほど強くなっている――カイル団長はそう言っていた。
その本人は、兵の訓練や武具の調達に追われている。
あたしもまた、回復魔法の精度を上げるため、魔法研究省に通い詰めていた。
結局、あたしの回復魔法は魔石に通用しなかった。
――このままじゃ、駄目だ。
頭ではわかっているのに、焦りばかりが募っていく。
同時に、胸の奥には消えない疑問も残っていた。
魔石は、本当に破壊すべきものなのか。
王国中の負の感情を押しつけられ、抱えきれなくなった末に、迷宮の最下層へと封じられた存在――
それで更に問題が起きれば、今度は破壊までされようとしている。
もし、仮に魔石が人であったなら……
そんなことは、受け入れられるはずがない。
だからこそ。
次に魔石と対峙するときは、迷いごと全部ひっくるめて乗り越えられるだけの力が欲しかった。
――とはいえ、そんな都合よく成長できるわけもない。
レオン王子を助けたい。
その気持ちが、どうしてもあたしを急かす。
けれど、カイル団長は言った。
「あれから三年――簡単に助けられるのなら、もうとっくに助けている。焦っても、いい結果にはならない。……それは、俺が一番よく知っている」
静かな声だった。
強く諭すわけでもないのに、不思議と胸の奥にすっと落ちてきて――逆らえなかった。
そんな慌ただしい日々の中で、今日は――
カイル団長と装備品を見に行く約束の日。
ほんの少しだけ。
本当に、少しだけだけど……
あたしは浮き立つ気持ちを抑えきれないまま、待ち合わせの噴水広場に立っていた。
「なんだ? もう来てたのか?」
「あ、いえ……最近ずっと気が張っていたので、今日くらいは息抜きしたくて。つい、早く来てしまって……」
言いながら、ひとりだけ楽しみにしていたみたいで、急に恥ずかしくなる。
「まあ、俺も早めに来たんだけどな。――もしかすると、澪との買い物が楽しみだったのかもしれない」
「なっ……急に何言ってるんですか!? ……あたしは、ただ買い物が楽しみだっただけです」
慌てて言い返した声が、少しだけ上ずる。
――どうして、この人はこういうことを、こんな顔で言えるんだろう。
冗談だとわかっているのに、心臓が無駄に忙しくなる。
「はは、わかってるよ。じゃあ、まずは予定通り、魔力を高めるアミュレットを見に行くか」
「はい」
並んで歩き出す。
その距離が、いつの間にか自然になっていることに、あたしは気づいた。
カイル団長のすぐそばで半年間。
王国の再建を手伝いながら、わかったことがある。
最初に感じた冷酷さは、レオン王子を守るためのものだった。
本当の彼は――不器用で、優しくて。
言葉より先に、行動で示してしまうような人だ。
……だから、余計に。
カイル団長のことを知れば知るほど、どこまでも踏み込んでしまいそうで――
怖くなってしまうことがある。
「カイル様、今日は城下町でお買い物ですか?」
「いつも国を守ってくださって、ありがとうございます」
人々は、王家不在のこの国で、彼を守護者のように慕っている。
「ミオ様の回復魔法で、たくさんの人が救われています。本当にありがとうございます」
「今日もカイル様とご一緒なんですね」
そして、その隣にいるあたしにも、いつの間にか温かい視線が向けられるようになっていた。
「お二人は、いつご結婚なさるのですか?」
――その言葉に、心臓が一瞬だけ跳ねる。
「あ、いえっ、あたしたちはそういう関係では――」
「そ、そうなんですか? 失礼いたしました。とてもお似合いだと思っておりましたので……」
レオン王子とあたしの関係を知っているのは、カイル団長だけ。
――婚約者。
その言葉を思い出すたびに、胸の奥がきゅっと締まる。
あの人は、あたしにとって。
守りたい人で、大切な人で――そして、あたしを選んでくれた人だ。
あの穏やかな笑顔も、優しい声も。
全部、ちゃんと覚えている。
忘れたことなんて、一度もない。
……なのに。
今、隣にいる人の存在も――
「悪いな……」
「――何がですか?」
「澪を俺のそばに置いているせいで、誤解させてるだろ」
その言葉に――
先に浮かんだのは、レオン王子のことだった。
あたしの“本来いるべき場所”。
揺らぐはずのない、大切な約束。
しかし、胸に残ったのは、まったく別の感情だった……
――ああ、そうなんだ。
この人にとって、あれは“誤解”なんだ。
そう思った途端、胸の奥が静かに痛んだ。
正しいのは、わかっている。
全部、間違っていない。
それでも。
少しだけ――
その言葉を、否定してほしいと思ってしまった。
◇
「さっきのアミュレットの腕輪だが……」
「はい。休日に付き添っていただいて、本当にありがとうございました」
あたしは、もう一度頭を下げる。
「日頃、澪の回復魔法で助けられている人々のことを思えば、大した物ではないが。いや、そうではない――」
「え?」
「俺も、形は違うが似たような腕輪を買っただろ?」
「あ、確かに。ふふ、なんだかお揃いみたいですよね」
カイル団長の腕輪に、自分の腕輪をそっと近づける。
あと少しで触れそうな距離。
それだけで、変に意識してしまう自分がいた。
「……そうだな」
穏やかな声。
でも、まっすぐ見つめてくるその目が、ほんの少しだけ――寂しそうに見えた。
「今日は、いい休日になった。ありがとう、澪」
「いえ、こちらこそ。その……すごく、楽しかったです」
言葉にしたことで、更に胸が温かくなった。
明日からは、また忙しい日々が始まる。
ふと――思う。
あたしがいなかった三年の間。
カイル団長は、どんなふうに過ごしていたのだろうかと。
レオン王子を守れなかった罪悪感に、押し潰されそうになりながら……
「カイル団長――」
「……澪?」
気がつくと、あたしは彼の背中に手を回していた。
自分でも驚くくらい、自然に。
「あたしがいますから……。もう、ひとりじゃないですからね――」
言ったあとで、息が詰まる。
――あたしは、誰のためにこの言葉を言ったんだろう。
「そうだな。澪は、俺の希望だよ……だからこそ――」
彼は空を見上げながら、静かにそう呟いた。
その横顔を見て、胸の奥がまた、静かに揺れた。




