4話『その手は、闇に奪われた』
「ここに、王国に災いをもたらしている魔石が……」
レオン王子の低い声が響いた瞬間、胸の奥が静かに波立った。
まだ扉は閉ざされたままなのに、嫌な気配だけが、先にあたしの肌をなぞってくる。
「すでに禍々しい魔力を感じます。――殿下は、念のため後方へ」
「……ああ」
短い返事。
けれど、その声の奥にある緊張を、あたしは聞き逃さなかった。
カイル団長が扉に手をかける。
その背中は頼もしいのに、少しだけ遠く感じてしまっていた。
――ゆっくりと、扉が開く。
現れたのは、クリスタルに覆われた静かな空間。
凍りついたみたいに美しく、同時に、息が詰まるほど冷たい。
そして、その中央。
黒いオーラをまとった魔石が、静かに浮かんでいた。
「……見るからに、危険そうですね」
声に出した途端、自分の喉がわずかに震えていることに気づく。
空気が重い。
ただ立っているだけなのに、誰かに心の奥を押さえつけられているみたいだった。
「殿下、一度、魔法で破壊を試みてみます」
「頼む」
カイル団長の命令に従い、魔術部隊が一斉に動く。
火、風、氷――色とりどりの魔法が、躊躇なく魔石へと叩きつけられた。
爆音が響き、光と衝撃が空間を満たす。
しかし。
「傷一つない、だと……」
レオン王子の声に、はっきりとした困惑が滲む。
「正確には、あの闇のオーラが防いでいるようです」
カイル団長が分析する。
やはり、あの魔石は普通じゃない。
「――どうする?」
「剣で試してみましょう」
カイル団長が前へ出る。
迷いのない一歩。
「はああああああっ!!」
振り下ろされた一撃。
一瞬だけ、確かに魔石にひびが走った。
なのに――
まるで何もなかったみたいに、それはすぐに修復されてしまう。
「そんな……」
思わず、声がこぼれた。
――こんなの、どうすればいいの?
「くっ……どうなっているんだ」
そのとき。
『痛い……』
「え……?」
何かが、聞こえた。
耳じゃない、もっと奥――心に直接触れてくるような声。
「――どうした、ミオ?」
振り返ったレオン王子の瞳が、まっすぐにあたしを捉える。
「あの……今、聞こえませんでしたか? 魔石から、声が――」
「いや、何も聞こえなかったが……」
「……そう、ですか」
『嫌だ……嫌だ、嫌だ……みんな大っ嫌い……助けて……』
また。
今度は、よりはっきりと。
感情ごと流れ込んでくる。
胸がぎゅっと締めつけられる。
――この声。
知ってる。
誰にも思いが届かないまま、世界を睨みつけていた頃の、あたしの声にそっくりだった。
「あの……」
「ミオ?」
レオン王子に名前を呼ばれただけで、少しだけ足元が安定した。
「あたし、回復魔法を……あの魔石に使ってみたいです」
「なっ、それは危険すぎる!」
即座に返ってきた。
その強さに、思わず息を呑む――でも同時に、胸の奥があたたかくなる。
……この人は、本気であたしを守ろうとしてくれていると。
「ありがとうございます。でも……あたしには聞こえたんです。“助けて”って声が――」
目を逸らさずに伝える。
あたしは逃げたくなかった。
「……魔石にも意思がある、ということか?」
「はい。きっと、あれは……昔のあたしみたいに、世界を恨んでる」
言葉にしたことで、不思議と心が静まっていった。
「あたしがここにいる意味も、回復魔法を使える理由も……きっと、このためだったんだと思います」
レオン王子は一瞬だけ目を見開いて、それからゆっくりと息を吐いた。
「――わかった。ならば、私が魔石の近くまで、君を連れていく」
「殿下!?」
カイル団長の鋭い声。
「危険すぎます!」
「それでも行かなければならない」
揺るがない決意。
「これは――私が背負うべきものだ」
その言葉に、胸が強く打たれる。
責務だけじゃない。
誰かを守ろうとする意志が、そこにはあった。
「ミオと共に、成し遂げる」
まっすぐな視線。
「……はい」
あたしは、自然と頷いていた。
カイル団長は苦しそうに眉を寄せながらも、一歩引く。
「魔術部隊は結界で、私たちを守れ」
淡い光が、あたしたちを包み込む。
「どうか、ご無事で……」
カイル団長の祈るような一言で。
あたしは、ひとりで戦っているわけじゃないと思えた。
そして――
レオン王子が手を差し出す。
一瞬だけためらい、それからそっと重ねる。
触れた指先は、思った以上にあたたかく――そのぬくもりが、あたしを安心させた。
そのまま、二人で魔石へと近づく。
渦巻く闇のオーラ。
近づくだけで心がざわつく。
「いけるか?」
問いかける声は、すぐそばに。
「はい」
本当は怖い。
でも、それ以上に――逃げたくなかった。
この人が隣にいるから。
そっと右手を伸ばし、魔石に触れる。
「回復魔法」
――瞬間。
キィィィィィィィィーーーーーー!!
悲鳴のような音が、空間を裂いた。
「な、なに……!?」
『やめろ、やめろ、やめろ!! 怒りを奪うな!! こんな光など――!!』
押し寄せる強い感情。
ひとつじゃない。
無数の憎しみと絶望が、あたしを引きずり込もうとする。
――苦しい。
飲み込まれる。
そう思った瞬間。
「ミオ!!」
強く手首を掴まれた。
引き戻される感覚。
でも、その代わりに――
王子が、闇に引き込まれていく。
「君は生きろ――」
最後にそう言い残して、レオン王子が闇の中へと消える。
「レオン王子!!」
「殿下!!」
叫びが重なる。カイル団長の剣が振るわれ、魔法が飛び交う。
それでも、届かない。
胸が締めつけられる。
――また、誰かを失うの?
そんなの、嫌だ。
「回復魔法!!」
もう一度、手を伸ばす。
「回復魔法!! 回復魔法!! どうして……、どうして消えないの!!」
叫ぶように、あたしは回復魔法を使い続ける。
『王族が憎い……王族が憎い……』
その言葉に、はっとする。
――違う。
魔石が壊したかったのは王国じゃなく、本当は……
その瞬間、世界は光に包まれ――
――気がつくと、あたしは病院のベッドの上で横になっていた。




