3話『「私は、君のことが好きだ」』
「……覚悟はあるのか?」
「それは……わかりません……」
迷宮最下層へ向かう、その手前。
休息の時間のはずなのに、心は少しも休まらなかった。
カイル団長の言葉は静かで、けれど重い。
――レオン王子が、あたしを想っていること。
――その気持ちに応えるということ。
それは、ただ誰かを好きになるのとは違う。
王族の一員になるということ。
“王子の隣に立つ”ということは、そういう意味だ。
(……あたしで、いいの?)
そんな考えがふとよぎる。
この世界の人間ですらないあたしが。
何も持っていないあたしが。
あの人の隣にいていい理由なんて、どこにもない気がしてしまう。
「異世界から来たお前に、この世界の理を押しつけるのは違うかもしれない。だが俺は、殿下の近衛騎士団長として確認しなければならない」
逃げられない問いだった。
優しさでは済ませられない、責任の言葉。
だからこそ――ちゃんと答えなきゃいけないのに。
「覚悟がある、なんて……言えません」
口にした瞬間、自分の足りなさを突きつけられる。
これでは、隣には立てない。
そう思うのに――
「……でも、あたしは迷宮に入るとき、王子の誘いを断りませんでした」
思い出すのは、あのとき差し出された手。
迷いのない瞳。
そこから目を逸らせなかった自分。
「正直、怖かったです……でも逃げたくなかったんです。レオン王子と一緒にいたいって、思ってしまったんです」
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
誇れる覚悟なんて、まだない。
それでも――
「それだけでは……足りませんか?」
すがるようにカイルを見る。
「……いや」
返ってきたのは短い否定だった。
「意地になって見栄を張るより、その方がずっといい」
その言葉に、張りつめていたものが少しだけほどける。
「お前はすでに一度死を越えてここにいる。それ以上を求めるのは酷というものだ」
「そ、そんなところまで……」
聞かれていたことに、顔が熱くなる。
「カイル団長も、人が悪いですね……」
「ふ、王国の未来のためだ」
冗談めいた返答。
けれど、その奥にある真面目さは変わらない。
――この人は、ずっとこういう人なのだろう。
「……でも、少し安心しました」
「何がだ?」
「悩んでもいいんだって思えたので」
求められていたのは、完璧な覚悟じゃない。
自分の気持ちそのものなのだと、ようやくわかった。
「そうか……」
短い返事の中に、わずかな柔らかさが滲む。
あたしは思わず微笑んでいた。
◇
「カイル団長とは何を話していたんだ?」
「昨夜のことと、今後のことについてですが……」
――少しだけ空気が重い。
レオン王子の視線が、まっすぐあたしを捉えて離さない。
それだけで、どうしてこんなに落ち着かなくなるんだろう。
「すまない。カイル団長は信頼している部下なのだが……私はミオのこととなると、少々余裕がなくなるらしい」
「……レオン王子?」
その言葉に、胸が小さく跳ねる。
“余裕がない”。
そんなふうに言われるのは初めてで、どう反応すればいいのかわからない。
「一国の王子がこれではいけないな。この際、はっきりさせておこう」
「は、はい……」
心臓の音がうるさい。
「私は、君のことが好きだ」
一瞬、呼吸が止まる。
知っていたはずなのに、言葉にされると重さが違う。
胸の奥がじんわりと熱を持つ。
(……好き、って)
頭の中でその言葉が何度も反響する。
「魔石を壊した功績をもって、君との関係を陛下に認めてもらうつもりだ」
未来の話。
そこに自分がいることが当然のように語られる。
嬉しいのに、くすぐったくて、少し怖い。
「私と一緒に生きてくれないか?」
逃げ場のない、まっすぐな言葉だった。
――でも。
(逃げたいとは思わない)
むしろ、その逆で。
この人の隣にいたいと、確かに思っていた。
理由はまだうまく言えない。
ただ――
顔を見ると嬉しくて、声を聞くと安心する。
そんな自分に、もう気づいてしまっている。
(ああ、これ……)
あたしは、もう。
とっくに――
「はい……」
一度言葉が詰まる。
それでも目を逸らさずに。
「……喜んで、お受けいたします」
震える声で、はっきりと答える。
恥ずかしくて、逃げ出したくなるのに。
それ以上に嬉しかった。
選ばれたことも。
そして、自分が選びたいと思えたことも。
「ありがとう、ミオ」
その瞬間、レオン王子はわずかに目を細めた。
その表情に、胸がまた強く揺れる。
(……ああ、だめだ)
こんなの知らなかった。
誰かを好きになるって――
こんなにも甘くて。
こんなにも、苦しいものなんだ。




