13話『愛は、時を超えて――』
半年後――
国王軍が大軍を率いて、カイル辺境伯領へと押し寄せて来た。
「ミオを返してもらおう――」
軍勢の先頭に立つレオン王が告げる。
その姿は以前と何も変わらない。
けれど、その瞳に宿る冷たい光を見るたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。
あの人は、本当はこんな目をする人じゃなかったはずなのに――
「たとえ陛下の要望でも、それだけはできません」
カイルが一歩前へ出る。
広い背中があたしの前を守るように立ちはだかった。
その背中を見ているだけで、不思議と心が落ち着く。
大丈夫。
カイルがいる。
そう思うだけで、震えそうになる足に力が入った。
「ほう。その返答が何を意味するのか、わかっているのか?」
「レオン、どうか正気を取り戻してください……」
カイルの影から、あたしはゆっくりと姿を現した。
「ミオ、そこにいたのか。早く私の元へ戻って来なさい。今なら全てを許そう――」
真っ直ぐ向けられる視線。
以前のあたしなら、その言葉だけで身体がすくんでいたかもしれない。
けれど今は違う。
隣にはカイルがいて、支えてくれる仲間たちがいる。
そして何より、自分の信じるものを見失っていなかった。
「いえ。あたしは、レオンの元へは行けません」
胸の奥で小さく息を吸う。
怖くないわけじゃない。
それでも、伝えなければならなかった。
「それに、あなたが本物のレオンではないことはわかっています」
「何が言いたい――」
「もういいでしょう、始まりの巫女……」
静かな声が響く。
前へ進み出たエリーシャを見て、レオンの表情がわずかに歪んだ。
「お前は――エリーシャ……」
「やはり、わたしのことがわかるのですね」
エリーシャが真っ直ぐ相手を見つめる。
「――あなたの目的は何? 王家に復讐がしたいの?」
しばしの沈黙。
そして次の瞬間、彼女は乾いた笑い声を上げた。
「ははは、そうだ。私は王家が、この世界が憎い。だから、こうして甦ったのだ」
「違う……」
彼女の虚勢に我慢できず、思わず、あたしは声を上げていた。
それだけは違うと、心が叫んでいる。
「……なんだと?」
鋭い視線が向けられる。
それでも、不思議と怖くはなかった。
あたしの中にある確信の方が強かったから。
「あなたは、本当はそんなことを望んでいない――」
「……貴様に何がわかる。赤の他人に、私の苦しみなどわかるはずがない」
怒りに満ちた叫び。
けれど、その声を聞いた瞬間、あたしの胸は締め付けられた。
苦しい。
悲しい。
あたしには助けを求めている声に聞こえていた。
「以前、魔石に触れた時に感じたんです……」
あの時、胸が押し潰されそうになるほど流れ込んできた負の感情。
忘れたことなんて、一度もなかった。
「憎しみの裏にある、王への愛を――」
「愛だと……そんなもの私には……」
そこで言葉が止まる。
そして、頬を一筋の涙が伝った。
「なんだ……この涙は……」
戸惑う姿に胸が痛む。
きっとこの人は、何百年もの間、本当の気持ちから目を背け続けてきたのだろう。
悲しすぎて。
苦しすぎて。
認めることすらできなかったのかもしれない。
「あたしも最初はわかりませんでした」
そっと隣を見る。
カイルが静かに見守ってくれている。
その優しい眼差しに、自然と勇気が湧いてきた。
「何故なら、あたし自身、あの頃はまだ、愛がわかっていなかったから――」
誰かを大切に思うこと。
その人の幸せを願うこと。
隣にいたいと願うこと。
共に過ごした時間の中で、あたしは少しずつ知っていった。
「でも、大切な人と一緒に歩む中で、本物の愛を知りました」
自然と頬が熱くなる。
それでも視線は逸らさなかった。
「そして、ようやく、あの時のあなたの叫び声の意味がわかったんです……。初代の王が、あなたを愛していたように、あなたも王を愛していた。その願いが叶わなかった悲しみこそが、あなたの本当の想いだったんです」
命を失い、王に触れられなくなった悲しみ。
その喪失があまりにも大きすぎて、やがて憎しみへと姿を変えてしまった――
「そんなことが……」
震える声が漏れた。
「そんな単純なことがわからずに……私は何百年もの間、王家の人間と、その国民を呪い続けていたのか……」
長い年月をかけて積み上げてきた憎しみが、少しずつ崩れていく。
その姿は痛々しくて、切なかった。
「偉そうに語ってしまいましたが――」
あたしは小さく微笑む。
「あたしも、愛のほんの一部に触れたに過ぎません……」
まだまだ知らないことの方がずっと多い。
だからこそ――
「一緒に探しませんか?」
そっと手を差し伸べる。
「一人ひとりの愛の終着点を――」
彼女はしばらく黙り込んでいた。
やがて静かに首を振る。
「しかし、この依り代を失ったら私は消滅してしまう。つまり、どうあがいても私にはミオが言うような愛を見つけることなど……」
「そう言うと思って――、ちゃんと用意してるよ」
「え?」
エリーシャが口元を緩める。
「百年以上かけて作り上げた魔石の人形。これを依り代にしたらいい」
「エリーシャ……」
彼女の瞳が大きく揺れた。
「あなた一人じゃないんですよ」
エリーシャは優しく微笑む。
「何百年もの間、苦しみ続けていたのは――」
そして、ゆっくりと言った。
「わたしは今でも、あなたの友だと思っています」
「友……」
その言葉を噛み締めるように呟く。
やがて彼女は、小さく微笑んだ。
「そうでしたね……。私たちは、そういう関係でしたね――」
何百年という時を超えても消えなかった絆。
その光景は、とても温かく見えた。
「わかりました……。あなたたちの策に乗ってあげましょう」
彼女は穏やかに笑った。
「私自身のために――」
「ふふ。あなたなら、そう言うと思っていました」
エリーシャもまた微笑み返した。
――何百年経っても。
たとえ姿が変わっても。
たとえ存在が消えたとしても。
人を想う気持ちは、きっと消えない。
二人の姿を見つめながら、あたしはそんなことを思っていた。
愛も友情も、誰かを大切に想う心も。
きっと時を超えて受け継がれていくのだと。
◇
「結局、俺は何の役にも立たなかったな……」
カイルがどこか悔しそうに呟いた。
その横顔を見て、あたしは思わず首を横に振る。
「違いますよ。カイルが作ってくれたんです。こういう選択ができる道筋を――」
希望は伝染する。
誰かが勇気を出して切り開いた道を見た時、人はその背中に希望を見つける。
そして、自分もまた一歩踏み出してみたいと思うのだ。
そうして少しずつ、人の想いは繋がっていく。
あたしは、カイルと共に過ごしてそれを知った。
きっと今日の出来事も、また誰かの未来へと繋がっていくのだろう。
「まあ、澪がそこまで言うのなら、そう思うことにするよ」
カイルは苦笑しながら肩をすくめた。
「でも、レオン陛下があそこまで言い出すとは思わなかったな……」
「そうですね――」
あたしも思わず苦笑する。
「後悔の念があったとはいえ、王位をカイルに譲るとまで言っていましたから……」
身体を乗っ取られていた間の記憶は残っていたらしく――
レオンは、自分が行ったことへの強い罪悪感を抱いていた。
「陛下が悪いわけではない――」
ふいにカイルの声が低くなる。
「俺だって、澪が他の誰かに特別な好意を寄せていたら、嫉妬で狂いそうになるからな……」
「ふへぇ?!」
思わず変な声が飛び出した。
カイル――
今、なんて言ったの?
「どうした、変な声を出して?」
「い、いや、その……」
熱くなった頬を誤魔化すように視線を逸らす。
「カイルでも、嫉妬することがあるんだなぁって……」
「あのなぁ……」
呆れたようにため息を吐く。
けれど、その耳が少し赤くなっているのを、あたしは見逃さなかった。
ああ、本当に照れているんだ。
そう思った瞬間、胸の奥がふわりと温かくなる。
「俺がどれだけ心臓をえぐられながら、澪から離れようとしていたのかが、わからないのか?」
その言葉に胸がきゅっと締め付けられる。
辺境へ向かう時も。
王都で離ればなれになった時も――
苦しかったのは、あたしだけじゃなかった。
寂しかったのも。
会いたくて仕方なかったのも。
全部、あたしだけじゃなかったんだ……
「もう二度と、あんな体験はしたくない」
そう言うカイルの表情は本気だった。
だからこそ――
「へ、へぇ……」
口元が緩んでしまう。
「カイルが、あたしのことで嫉妬してくれてたんだ……」
胸の奥がくすぐったい。
嬉しくて。
幸せで。
どうしようもなく顔がにやけてしまう。
だって――
あのカイルが、あたしを離したくなくて嫉妬するだなんて。
「おい。俺は怒ってるんだが……」
カイルが眉をひそめた。
「なぜ笑っている……」
「ふふ、秘密です」
言ったら、絶対に照れるだろうし――
今は、この幸せな気持ちを存分に味わっていたかった。
「まあ、いいけどな――」
カイルは小さく笑った。
そして、当たり前のように言う。
「今、澪の一番近くには俺がいる。色々あったが、それは変わらない」
その言葉が胸の奥へ真っ直ぐ届く。
一番近く――
その響きを心の中でそっと繰り返す。
嬉しくて。
愛おしくて。
それだけで心が満たされていく。
「はい」
あたしは大きく頷いた。
「これからは、ずっと――」
そっとカイルを見上げる。
優しい瞳と視線が重なった。
「ずーーっと、一緒ですから。忘れないで下さいね」
願いではなく、約束。
もう二度と離れたくない。
離れる未来なんて、考えたくもない。
これから先――
悠久に。
「ああ、もちろんだ……」
優しく返された言葉に、胸が温かくなった。
あたしは、そっとカイルの隣へ寄り添う。
この場所が、あたしの帰る場所なのだと確かめるように。
胸の奥に広がる幸せを噛み締めながら――




