12話『あたしにも、この世界で果たすべき役目があった――』
「問題は山積みだが、澪が無事だったことは代えがたい朗報だった――」
「カイル……」
その言葉が胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
離れていた時間は決して短くない。
それなのに、こうして隣にいるだけで、不思議なくらい心が落ち着いた。
ずっと張り詰めていた心がほどけていく。
一人で抱え込んできた不安も恐怖も、この人の前なら素直に打ち明けられそうだった。
気づけば、胸の奥に溜まっていた重たいものが少しずつ軽くなっている。
やっぱり、あたしにとってカイルは特別な存在なんだ。
改めて、そう実感していた。
「それにしても、どうして、こんなことに……」
カイルの表情が真剣なものへと変わる。
「――レオンからは何か聞きましたか?」
「いえ。陛下に尋ねても、答えてはもらえませんでした……」
「そうですか……」
心のどこかで期待していた。
もしかしたら、カイルには何か事情が伝えられているのではないかと。
けれど、その小さな希望も静かに消えていく。
「俺の直感だが――おそらく、あの王はレオン陛下ではない……」
「――それは、あたしも感じていました」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがかちりと噛み合った気がした。
あたしだけじゃなかった。
あの日から抱き続けていた違和感。
優しくて、誰よりも人を想っていたレオン。
あたしが知っている彼は、あんな目で人を見る人じゃない。
同じ顔をしているのに、今のレオンはどこか冷たくて、まるで別人のようだった。
その違和感を共有できる人がいる。
それだけで、胸を押し潰していた苦しさが少し和らいでいた。
「どうやら、思い過ごしではなかったようだな……。俺たちで何とか陛下を元に戻したいが――」
その言葉に、かつての冒険の日々が鮮やかによみがえる。
どんな困難にぶつかっても、カイルは決して諦めなかった。
苦しいときほど前を向いて、仲間たちを導いてくれた。
だからだろうか。
絶望的な状況のはずなのに、不思議と希望が湧いてくる。
この人となら、きっと道は見つかる。
そんな根拠のない確信が胸に灯っていた。
「でも、どうすれば……」
「実は、その謎を解決してくれそうな人物に心当たりがある――」
そう言って、カイルは真っ直ぐにあたしを見つめた。
「……澪。今度は俺と一緒に来てくれないか?」
――そんなの、答えは決まっている。
閉ざされた部屋の中で、何度も願っていたのだから……
もう一度、この人と並んで歩きたい。
もう一度、この人の隣で誰かを助けたい。
もう一度、一緒に笑いたい。
そんな願いを、あたしは胸の中で繰り返していた。
「はい」
自然と笑みがこぼれる。
「あなたとなら、どこへでも――」
言葉にした瞬間、カイルの瞳が優しく細められる。
その表情を見ただけで、心がふわりと軽くなった。
「また、二人の冒険の再開だな」
「ふふ、そうですね」
思わず笑ってしまう。
こんな状況なのに。
王国から逃げ出そうとしているのに。
それでも不思議と怖くはなかった。
もう一人じゃないから。
一人きりで閉じ込められていた時間が長かったからこそ、その事実が何よりも心強い。
カイルがいてくれる。
それだけで前を向ける。
それだけで頑張れる。
本気でそう思えた。
こうして、あたしたちは王国を抜け出した。
再び運命に立ち向かうために。
そして――大切な人を取り戻すために。
◇
「ここが、元宮廷魔術師のエリーシャがいる場所らしい――」
辺境の果てに広がるエルフの森。
その奥に建つ賢者エリーシャの家を、あたしたちは訪れていた。
ギィィ――
家の前まで来ると、ひとりでに扉が開く。
「入れということだろうな」
「はい」
少し緊張しながら足を踏み入れる。
すると奥から、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。
「ようこそ、お尋ね下さいました。辺境伯のカイルさんと異世界の民のミオさん」
「俺たちのことを知っているのだな――」
カイルがわずかに警戒をにじませる。
「あなた方がこちらへ向かっていることはわかっていました。道中には何重にも結界を張ってありますので、わたしが解かなければここへ辿り着くことはできません」
「そうでしたか。迎えて下さりありがとうございます」
「……ということは、俺たちがここに来た目的もわかっているということか?」
「はい。知りたいことは、王家と魔石についてですね」
「話が早いな。元宮廷魔術師として、何か知っているのであれば教えてほしいのだが――」
エリーシャはわずかに目を伏せた。
その横顔には、長年抱え続けてきた後悔が滲んでいるように見えた。
「知っているもなにも、あの魔石の装置を作ったのは、わたしですから――」
「まさか、そんなことが……」
カイルが息を呑む。
「最初の王がこの地を治めていた頃、国民の精神はまだまだ未熟で争いが絶えませんでした。そこで初代の王は、わたしに助けを求めてきました」
静かに語られる過去に、あたしは思わず息を詰める。
「魔石を授けた当初は良かったのです。初代の王の傍らには、ミオさんと同じ回復魔法を使える異世界の女性――始まりの巫女がいました。しかし、魔石に集まる“悪意の念”は想像以上に大きかった……。彼女は魔石に取り込まれ、魔女となってしまったのです」
胸の奥がざわついた。
どこか他人事とは思えない。
まるで遠い昔の誰かの話ではなく、自分の未来を覗き込んでいるような気がした。
「わたしは彼女から悪意を取り除き、何とか魔石に封じました。しかし、その時にはすでに彼女の心も身体も限界でした。結局、命までは救うことができなかったのです……」
エリーシャの声がかすかに震える。
長い年月が経っても、その後悔は消えていないのだろう。
「彼女を愛していた王から、わたしは責任を問われ、宮廷魔術師を解任されました。そして魔石は迷宮の底へと隔離されたのです」
その言葉に込められた痛みが伝わってくる。
「わたしには後悔があります。あの子から、回復魔法や浄化魔法の情報を教えてもらい、もっと研究しておけばよかったと。彼女一人に負担を背負わせなければ……。他の魔術師もその二つの魔法を使えていたなら、あのような惨劇は起きなかったかもしれないのです――」
自分自身を責め続けてきた懺悔の言葉……
胸が締め付けられる。
きっと、この人もずっと苦しんできたのだ。
「ミオさん。あなたの使う回復魔法は、ただ怪我を治すだけの力ではありません。この王国の未来を変える可能性を持っているのです」
「あたしに、そんな力が……」
その瞬間。
記憶と記憶の間の何かが静かに繋がった気がした。
――どうして元の世界で、あんなにも身体が弱かったのか。
――どうして、この世界へ来ることになったのか。
今なら少しだけわかる気がする。
意味のないことなんて、一つもなかった。
苦しかったことも、悲しかったことも……
全部が繋がっていた。
あたしにも、この世界で果たすべき役目があったのだ――
「これは、わたしの我儘ですが……。ミオさんには、二つの魔法の体系化を手伝っていただきたいと思っています」
エリーシャが真っ直ぐにあたしを見る。
その瞳には、失われかけていた希望の光が宿っていた。
「もちろんです。ぜひ、やらせてください」
迷いはなかった。
「あたしも、この世界の役に立ちたいと思っているんです――」
あたしはそう答えてから、そっとカイルの方を見た。
この世界には、誰よりも王国を愛し、人々の幸せを願っている人がいる。
この人が守りたいと願う世界を、あたしも守りたい。
この人が愛する人々の力になりたい。
そして、この人の隣で胸を張って歩ける自分でいたい。
カイルと一緒に、この世界をもっと好きになりたい。
そんな願いが、あたしの胸いっぱいに広がっていた。




