11話『閉ざされた部屋で、あたしはあなたを想い続けた』
「今日も人々の怪我を治しに行かないとね――」
鏡の前で身支度を整えながら呟く。
カイルが辺境へと旅立った次の日。
たった一日しか経っていないのに、胸の奥にぽっかりと穴が空いてしまったみたいだった。
寂しい。
その一言では足りないくらいに。
本当は今すぐにでも追いかけて行きたい。
もう一度だけ顔を見たい。
昨日、その背中が見えなくなるまで見送ったはずなのに、それでも会いたくてたまらなかった。
こんなにも誰かを恋しく思うなんて、自分でも知らなかった。
だけど、そんなわがままは言えない。
あの人は王国のために旅立ったのだから。
だからせめて。
あたしも、この国で誰かの力になろうと思った。
カイルが守ろうとしている人たちを、少しでも支えたいと思った。
そうすれば、離れていても同じ場所を見ていられる気がしたから。
そんなことを思いながら、あたしは部屋の扉へと向かった。
いつも通り外へ出ようとして――
ガチャ。
ガチャガチャ。
「あれ……?」
もう一度力を込める。
けれど、開かない。
鍵が掛かっていた。
外から――
「ど、どうして……?」
胸の奥がざわりと波立つ。
嫌な予感がした。
理由なんて分からないのに、身体だけが危険を察したみたいに冷えていく。
慌てて扉を叩いた。
「誰か! 開けてください!」
しばらくして、外から控えめな声が返ってくる。
「ミオ様、大変申し訳ございません――」
「……どういうことですか?」
思わず声が強くなる。
「陛下より、この扉を開けてはならないとのご命令を受けております」
「え……?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「ま、待ってください。何かの間違いですよね?」
「申し訳ございません。私どもも理由までは聞かされておりません」
「……理由すら聞かされていない?」
「私からお伝えできるのは、ミオ様をこの部屋から出してはならないということだけです」
頭の中が真っ白になった。
言葉の意味は分かる。
だけど、現実味がなかった。
昨日までは普通だったのに。
急にこんなこと――
「そんな……」
膝から力が抜ける。
冷たい床に座り込んだ瞬間、自分が本当に閉じ込められたのだと理解した。
逃げられない。
外にも出られない。
誰にも会えない。
世界から切り離されてしまったような心細さが、じわじわと胸を締め付けた。
カイルが辺境へ向かった翌日――
まるで、それを待っていたかのようなタイミングだった。
「レオン……どうして……」
震える声が漏れる。
思い出すのは、優しく笑っていた頃のレオンだった。
回復魔法を使えるようになった時。
自分のことのように喜んでくれた。
誰かを救える力だと褒めてくれた。
異世界から来たあたしが不安になっていた時も、何度も励ましてくれた。
あたしがこの国で生きていけるよう、支えてくれた人だった。
そのレオンが――
本当に、こんな命令を出したの?
信じたくなかった。
信じてしまったら、今までの思い出まで壊れてしまいそうで。
きっと、誰にも言えない理由があるんだよね……
そうであってほしかった。
そうじゃなければ悲しすぎる。
だけど――
何日待っても説明はなかった。
会いに来ることさえなかった。
閉ざされた扉だけが、残酷な現実を突きつけてくる。
「もう、あの頃のレオンは……」
最後まで言葉にできなかった。
胸が痛い。
怒りじゃない。
憎しみでもない。
信じていた人を信じられなくなってしまう悲しさだった。
そして同時に。
脳裏に浮かぶのは、別の人の姿――
優しく頭を撫でてくれた人。
何も言わず隣にいてくれた人。
最後まで自分より王国を愛した人。
「カイル……」
名前を呼ぶだけで胸が苦しくなる。
もう逢えないかもしれない。
それでも。
あの日の温もりだけは、どうしても忘れられなかった――
◇
今日も窓辺に立ち、そっと祈る。
それしかできない。
自由を奪われてから、どれほどの時間が流れただろうか。
外の景色は見えても、その先の世界には触れられない。
誰が何をしているのかも分からない。
あたしだけが、この部屋に取り残されていた。
レオンとの婚約は今も続いている。
だけど――
心はもう、あの頃には戻れなかった。
軟禁が始まった日から、レオンはまるで別人のようになってしまった。
会いに来ることさえない。
優しかった頃の記憶が今なお鮮明に残っているからこそ苦しかった。
「……何か、大きな闇がこの王国を覆おうとしているのかもしれない」
ぽつりと呟く。
根拠なんてない。
けれど胸の奥では、ずっと不安が消えなかった。
もし本当に王国で何かが起きているのだとしたら――
あたしを慕ってくれていた人たち。
治療を感謝してくれた人たち。
そして。
誰よりも王国を大切にしていたカイル。
あたしは、みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
王都にいるのに何もできない。
回復魔法という特殊な力を授かりながら、誰一人助けられない。
ただ一日が過ぎるのを待つだけの日々が、少しずつ心をすり減らしていっていた。
「結局あたしは――この世界に来ても、誰の役にも立てないんだね……」
そう言ってうつむいた、その時――
「そんなことはないぞ」
優しくて、懐かしい声……
聞き間違えるはずがなかった。
何度も何度も思い出していた声だった――
「カ、カイル……?」
震える声が漏れる。
まさか。
そんなはずがない。
逢いたくて仕方なくて、毎日名前を呼んでいたから――
ついに幻聴まで聞こえるようになったのだと。
「澪、窓の外にいます。開けてもらえませんか?」
今度ははっきり聞こえた。
あたしは弾かれたように窓へ駆け寄る。
窓を開いた先にいたのは――
本当に、本当に会いたかった人だった。
「カイル……!」
気づけば涙が溢れていた。
堪えていたものが、一気に決壊する。
寂しかった。
怖かった。
苦しかった。
だから今、目の前にいる人が本当にカイルなのだと分かった瞬間――
張り詰めていた心が崩れてしまった。
伝えたいことはたくさんあるのに、言葉にならない。
ただ。
逢いたかった。
本当に、逢いたかった。
その想いだけが胸いっぱいに溢れていた。
「澪、長く待たせてしまったな……」
申し訳なさそうに微笑むカイル。
その顔を見た瞬間、ずっと張り詰めていた心がふっとほどけた。
「違います……」
涙を拭いながら首を振る。
「カイルが無事なら、それでいいんです」
本心だった。
本当に、それだけでよかった。
どれだけ苦しくても。
どれだけ寂しくても。
この人が生きていてくれたなら――
それだけで救われる。
その瞬間、あたしは気づいた。
カイルを失うことが、心の底から怖かったのだと。
もし二度と会えなくなったら……
そう思うだけで、息ができなくなるほど苦しかった。




