数奇な出会い
私はオーナーがとってきた仕事に合わせて、踊る場所を変える「移動興行」で生計を立てている。
私の地元でも興行は行うが、オーナーがそのあたりの仕事のスケジュールをすべて取りまとめてくれていた。
そのスケジュールにはもちろん移動時間なども含まれているが、今回は何日も、かなりの日数をかけてようやく目的地へ到着した。
「やぁっと、着いた~…」
「みんな、お疲れ様」
基本的に長期の遠征は断ることも多いのだが、今回は私の噂を聞きつけた国のお偉方が、年に一度の盛大な『豊穣祭』を執り行うらしく、そのセレモニーの目玉としてぜひとも参加してほしいとのことだった。
移動するのは私とオーナーだけではない。ステージに関して一緒に演出や振り付けを考えてくれる演出家や、私の服や髪型のセットをしてくれる裏方さん。本番で生演奏をしてくれる楽師たち。私を支えてくれる大切な一座の仲間たちと、私は今、この国一番の大都市へとやってきている。
この街の活気は、私が住んでいる集落とも、今まで訪れたどの街とも比べものにならないほど凄まじいものだった。
足元に広がるのは、大都市の特徴である、砂利混じりの硬いレンガ敷きの街路。押し寄せる無数の足音に削られ、砂塵を吸って鈍く光る赤レンガの道を歩くだけで胸が躍る。
「見てらっしゃい!世にも珍しい珍品を揃えてるよ!」
「美味しい肉焼きは、いかがかねぇ?」
「これ、もう少し安くならないかしら?」
決して広くはない中央通りには、隣国から仕入れた新鮮な野菜を山積みにした馬や、鮮烈なサフランの黄色や茜色の染料を幾重にも縫い合わせた麻や綿の織物の出店、弾けるようなクミンやコリアンダーの香辛料が焦げる独特な匂いと、山羊の脂混じりの濃い煙を振りまく台車型屋台などが所狭しと並んでいた。
只でさえそこまで広くはない通路なのに、大きな麻袋を背負わされたラクダや馬が荷物を引いて堂々と闊歩しているのも、狭さに拍車をかけている。
「スゴーい……」
どこを見ても人、人、そして人。
アンフリーの感嘆と驚嘆が入り混じった声が喧騒に混じって消える。
豊穣祭を目前に控えているからだろうか、砂漠の民特有の、薄手で色鮮やかな一枚布を型紙なしで優雅に体に巻きつけた巡礼者がひしめき合っている。日よけのスカーフを頭に巻き、額を紐で縛った商人が、金糸できらびやかな刺繍を施した布を掲げて大声を上げて呼び込みをしていた。
少し奥に進むと、このオアシス都市の生命線でもある、切り出しの大石で組まれた巨大な貯水池を中心とするすり鉢状の大広場があり、人々は池を囲む石造りの階段に腰掛け、思い思いに購入した果物や香ばしい串焼き肉を口に運んでいる。広場の中央、水面を見下ろす特設の敷地には、すでに数人がかりで頑強な木柱を組み上げられた見事な大ステージがそびえ立っており、私は三日後、あの上で踊る予定だった。
(こんなに大勢の人たちに、私のダンスを……)
買い物を心ゆくまで楽しむ者もいれば、地べたに座って食事を堪能する者もいる。
バザールの片隅には、遠い異国の古い神像や、刻印のすり減った前時代の古い金貨、怪しげな細工物を並べる古物商の露店もあり、見ているだけで時間が溶けてしまいそうだった。
西の地平線に太陽が沈み、燃えるようなオレンジから深い紫へと空が染まりゆく中、砂漠特有の乾いた冷たい夜風が吹き込み始めていた。
昼間の暴虐的な直射日光をたっぷりと吸い込んだ天日干しレンガの壁からはじんわりと残熱が放たれており、人々の灯すオイルランプの炎とともに、都市の熱気はむしろ膨れ上がる一方のようだった。
だが、その狂騒の中を、物々しい革の胸当てをつけた兵士たちが鋭い視線で歩いていた。ただの祭り警備にしては様子がおかしい。行き交う憲兵たちの横顔からは、隠しきれない余裕のなさや焦りが見える。青銅の直剣を腰に帯びた彼らは、行き交う人々の顔を執拗に覗き込んでいた。
「おい、東のバザールは見つかったか?」
「だめだ……。全く、困ったお人だ。もしものことがあれば大問題だぞ」
聞き耳を立てたつもりはなかったが、この喧騒の中でも、独特の緊張感を孕んだ声ははっきりと私の耳に届いた。どうやら、誰か重要な人物を探しているらしかった。
豊穣祭まではあと三日。明日からは朝早くから本格的なリハーサルが始まるため、今日はゆっくり旅の疲れをとる日なのだ。私はお腹を満たした後、オーナーと街の中で一番の規模を誇るという酒場へとやってきた。他の人たちは各々自由時間とし、先ほど解散したところだ。
三階建てのどっしりとした、天日干しの厚い石壁が特徴的な酒場は、一歩足を踏入れただけで、むっとするような男たちの熱気、そして強烈な地酒の匂いに圧倒された。地元の労働者はもちろん、遠方からの商人や、憲兵の崩れのような男たちでごった返している。正直、私はみんなについてきただけだったので行き先はすべてオーナーにお任せしていたが、こんなに見上げるような大きい建物は私の集落には一つもない。やはり、見るものすべてが新鮮な体験だった。
「うわぁ……」
思わず声を漏らしながら、オーナーの広い背中の後をついていく。
今日の私は、街行く人々の目を引きすぎてしまわないよう、深い黒の布地に直線や円が組み合わされた金の幾何学模様がびっしりと刺繍されたフード付きローブを深く被り、薄ピンクの髪を隠すようにして歩いていた。歩くたびに裾に向かって密度を増すかのような金色の紋様が揺れ、まるで儀式の舞のような軌跡を描くその衣装は、慎ましさがありつつも、派手すぎない所が気に入っていた。。
職人技のように目まぐるしく動く木製カウンターの隙間に、オーナーとギリギリ二人分滑り込んだ。
「いらっしゃい! 注文は何にする?」
肌を汗で光らせたマスターが、乾いた布で木樽を叩きながら威勢よく聞いてくる。
「そうだなぁ、僕はヤシのワイン。彼女には冷たいミルクをお願い」
「ちょっとオーナー、私もお酒、飲んでみたいです」
「だめだめ。せめて本番が終わってからね」
私の要望は、大らかな笑顔であっさりと拒否される。私ももう、十六歳。分別がつかない子供じゃないんだけどな。
少し不服そうに頬を膨らませ、手首の銀のブレスレットをいじっているうちに、木をくり抜いた素朴な器に入った飲み物が、それぞれの目の前に置かれた。オーナーは二人分のお代の銅貨をすばやく店員へと手渡す。
「じゃあアンフリーちゃん、今日まで長旅、お疲れ様。明日からまた忙しいだろうけどよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
お互いに木のグラスを付け合わせ、カチンと軽い音を鳴らす。オーナーは酸味の強いヤシ酒を美味そうに喉に流し込み、私は真っ白なミルクをちびちびと口に含んだ。
「アンフリーちゃん、ちょっとここで待っててね。知り合いが見えるから、挨拶してくる」
「あ、はい……」
言うが早いか、オーナーは私を一人カウンターに残して人混みの奥へと消えてしまった。酒場はすし詰め状態のため、その豪快な後ろ姿はすぐに人の波に消えていく。
まぁ、これに関してはいつものことだ。色んなところに顔が効くオーナーのこと、私の見えない裏側で、次のステージのための交渉や苦労を重ねてくれているのだろう。明日のリハーサルが終われば自由時間があったはずだ。
さっきのマーケットの古物商の露店で、いつもお世話になっているオーナーへの何かお礼の品でも見つけよう。
そう考えながら、私はお店の様子を観察することにした。
酒場のカウンター内では、ウェイターたちが怒号のような注文を捌きながら目まぐるしく動いており、凄まじい盛況ぶりだ。外の強烈な直射日光を遮るために窓が極端に小さく作られた石造りの店内は、棚の奥に様々な形状の土器や、見たこともない色とりどりのガラス瓶が並んでいる。
切り出しの大石で作られた大きな六人掛けの長テーブルが店内で多く設置されており、兵士たちが出来上がった赤顔で杯を乾かしているテーブルもあれば、その隣では、大蛇の皮を巻きつけたような武骨な剣士たちが同じようにお酒を煽っているところもある。
みんな自由で楽しそうだな、と少し圧倒されながら眺めていると、ある一角から、わっと地響きのような歓声が上がった。声がする方向へ視線を向けると、ひと際大きな人だかりができている。
(店内にいれば、問題もないよね……)
好奇心に抗えず、私は近づいてみることにした。すでに男たちの分厚い肉壁が形成されていたが、大柄な彼らに比べて私は小柄で身軽だ。猫のようにするすると隙間に潜り込み、一番前方の特等席を陣取ることに成功した。
そこで行われていたのは、絵が描かれたカードを使ったギャンブルだった。
ルールはさっぱりわからなかったが、テーブルに積まれた本物の金貨の山を見るだけで、どちらが勝っているかは一目瞭然だった。
テーブルで対峙している一方は、丸太のように太い腕を剥き出しにし、髪も髭も生え放題の、まるで砂漠の無法者のような身なりをしたバンダナの男。腰には大ぶりの歪なサーベルを挿しており、周囲を取り囲む仲間たちも同じように殺気立っている。
「ぐぬぬ…」
その男は、今まさに手痛い敗北を喫しているところらしかった。手元の金貨は十枚程しか残っておらず、手持ちのカードを睨みつける顔は不気嫌そうに歪んでいる。素人の私から見ても、彼が完全に追い詰められているのは明らかだった。
(あ……)
そして、その反対側に座っている男――。
彼は、あまりに周囲の男たちと何かがかけ離れていた。
少し薄めの、なめらかな色黒の肌。無造作でありながらどこか気品を漂わせる黒髪の隙間から、切れ長の涼しげな赤の瞳が覗いている。細く括られた長い髪は、彼のしなやかな肩へと流れるようにかけられていた。
下町の泥臭い酒場にはおよそ不釣り合いな、洗練された高貴なオーラを放つその男は、砂漠の夕焼けをそのまま写し取ったかのような、深いルージュのロングコートを纏っていた。魔術師のローブのような神秘的な軽やかさと、肩章の切り替えが施された機能美が、不思議なバランスで同居した美しい衣服。胸元は開きすぎず、無駄な金属装飾を削ぎ落とした洗練されたデザインと程よく引き締まった肉体が、かえって彼に、ただ者ではない熟練の旅人のような格を与えている。歳は私と同じくらいだろうか…。彼の前に積まれた金貨の山は、もはや崩れそうなほど潤沢だ。
その色黒の男は、張り詰めた空気などどこ吹く風という様子で、足を組み、手元でカードを弄んでいる。首元には、砂漠の砂よけを兼ねたコートと同系色の実用的な布スカーフが巻かれ、指先が露出したグローブをはめた手つきはどこまでも優雅だった。
彼がテーブルに置いてあったグラスを軽くあおった時、最前列にいた私と一瞬、真っ直ぐに目が合った。
深く被った私の黒いフードの奥、額に飾られた金のサークレットと、そこから左右に流れる細いチェーンが、酒場のわずかな灯りを反射してきらりと爆ぜる。その中央に嵌められた宝石のような額飾りが、男の赤い瞳を誘うように光った。
その瞳にどきっと大きく心臓が動いた気がした。
私の隠した薄ピンクの髪や、この神秘的な衣装が珍しかったのだろうか。
彼は私を見るなり、ふっと悪戯っぽく、端正な唇を吊り上げてニコッと笑いかけてきた。
知り合いでも何でもない男からの不意の笑みに、私はどうしていい忘られず、少し困惑して体が硬直する。
顔が少し熱くなった。……初めての感覚だった。
「おいおい、あいつもう何連勝だよ」
「あの髭もじゃ、最近この辺りで偉そうに幅を利かせてたからな! いいぞ、あんちゃんもっとやれ!」
ドギマギする私を置いて、周りの観客たちは野次を飛ばし、賭け場を煽る。どうやら歯を食いしばり、既に敗戦濃厚な男に、味方は取り巻き以外にはいないようだった。
二人が、ほぼ同時に手持ちの最後のカードを並べた。周りの喧騒が嘘のように引き、誰もが固唾を呑んでテーブルを見つめる。
「お……オープン」
「オープン」
バンダナの男が震える手でカードを裏返し、色黒の男もまた、流れるような所作でカードを表に返した。
次の瞬間、鼓膜が破れんばかりのわっとした歓声が爆発する。私はステージで何百人もの歓声を一身に受けることには慣れていたが、こうした狭い空間で全方位から響く野性的な咆哮には免疫がなく、思わずびくっと肩を跳ね上げてしまった。
勝負は決した。色黒の男の完全な勝利だった。
「ちっくしょ~! ……もってけ!」
バンダナの男は悔しげに机を叩くと、手下を引き連れて酒場を後にする。
机の上に残された金貨の山を退屈そうに数秒見つめた後、その中からほんの数枚だけを指先でつまみ上げ、腰のポーチに収めた。ただ金貨を仕舞っただけだというのにその、たった一つの所作でさえ美しく見えるのは、彼自身の魅力なのか、それとも…。
「そこのウェイター」
手袋をはめた細い手をすっと挙げ、目まぐるしく動くウェイターを一人、軽やかに捕まえる。
「はい、何にされますか」
「酒場の人たちにおごらせてほしいんだ。ここにある金貨で足りるかな?」
彼が机の上の残りの大金を指先でトントン、と叩く。その瞬間、状況を理解した周りの男たちが一斉に沸いた。
突発的な大歓声の地響きに、私はまたもやびくっとしてしまう。ただ酒が飲めることに野獣のように歓喜する男もいれば、度外れた太っ腹さに口笛を鳴らして感謝を伝える者もいる。
「おぉ~!にいちゃん、まじか!」
「朝まで飲むぞぉ!」
彼はそんな、周りの小規模爆発のように上がる喧騒には最初から興味がないとでも言うように、全く目もくれなかった。
流れるような美しい足取りで人混みをかき分け――なぜか、未だに歓声に困惑していた私の正面にピタリと立った。
「え、な、なんでしょう……?」
彼が動くたび、軽やかな布感のコートの裾が砂漠の風を誘うように美しく広がり、シルエットにドラマチックな動きを生み出す。高価な香油の微かな香りが、男たちの熱気の中でふわりと鼻腔をくすぐった。
対する私の黒いローブの裾も、彼の巻き起こした風に揺れ、金の幾何学模様が夜空の星のようにきらめく。
「さ、行こうか」
「へっ?」
にこやかにそう言う彼は、私の間抜けな返事を待つことなく、細くしなやかな、けれど力強い手が私の腰へと回された。
体が自然と彼に身を任せてしまう。私のゆったりとした黒い袖の隙間から、ジャラリと複数の金のブレスレットが鳴った。
(え、えぇ~~~~!)
そのまま反論する隙すら大えられないまま、私は彼に優しく抱き寄せられるようにして、狂熱に渦巻く酒場を後にさせられてしまった。




