第91話 娯楽ト不穏
温泉施設――。
その言葉にサーミャ達はすっかり乗り気だった。
一方のルティーナだけは、どこか浮かない顔をしていた。
そう……馬琴の存在である。
(俺?)
「(そうよ! どうしよぉ~……エルのあんな笑顔みちゃったらさぁ)」
「(断れないじゃんっ!)」
(まぁまぁ、たまにはいいじゃないかぁ~)
馬琴は、いつになく冗舌になる。
「(最悪だぁ……この親父)」
そんなルティーナをよそに、エリアルに脱衣所まで案内されていた。
「温泉だ温泉だーっ!」
「どんなお風呂があるんですかね?」
「楽しみですぅ~」
(しゃあああっ! 温泉イベントっキタぁぁぁっ!)
「(何よそれっ!)」
馬琴の異様なテンションに、ルティーナは頭を抱えたくなる。
そして――。
何の躊躇もなく服を脱ぎ始める仲間達。
「(えっ!? みんな恥じらいとかないの!?)」
ルティーナは思わず視線を天井へ逃がした。
(ルナ、なぜ上を見るっ!)
「ルナぁ? どうしたぁ?」
サーミャが怪訝そうに声を掛ける。
「つか、何やってんだ?」
「べ、別にぃ……」
「天井とにらめっこしてどうするんだよ」
「(だって見たくないんだもんっ!)」
(素直になっていいんだよ)
「(いつもの声じゃないっ! 最悪だぁ〜!)」
ルティーナの内心など知らないエリアルは、本気で心配していた。
「ご、ごめんねルナ」
「え?」
「やっぱり温泉は嫌だったかな?」
「ち、違う違うっ!」
慌てて否定する。
ここで断れば、エリアルを傷付けてしまう。
「ただ、その……」
ルティーナはヤケクソになる。
「わ、私ってさぁ……みんなに比べて貧相じゃない――」
「見比べたら虚しくなっちゃうって言うかさぁ~」
「(私は何を言ってるのよぉ)」
一瞬の沈黙。
そして。
サーミャが豪快に笑い出す。
「気にすんなって」
「ルナだって八年もすりゃこれぐらいにはなるさ」
「(だから、胸をちらつかせるなっ!)」
「ってか、八年後って二十七じゃないっ!!」
その言葉にルティーナは即座に反論した。
――しかし誰も聞いていない。
そしてサーミャは笑いながら、シャルレシカを両肩から掴んでルティーナの前へ押し出した。
「おい見ろよ! やっぱ国宝級だぞこれ!」
「ふにゃ~」
シャルレシカのたわわが咲きこぼれる。
「(げっ、もろに見ちゃったぁ)」
しかし――その瞬間。
馬琴の思考が止まる。
(ぶっ――)
「(ぶっ? って何?)」
馬琴の意識は完全に吹き飛んでいた。
「(マコト?)」
返事がない。
「(マコト!?)」
沈黙。
――完全沈黙。
「(まさか)」
よくよく考えれば半年以上の禁欲生活。
シャルレシカの裸体の破壊力は、馬琴の精神を軽々と凌駕した。
結果――気絶。
「(嘘でしょ……)」
あまりにも情けない結末だった。
「(……なんか、腹が立つわ)」
呆れ半分。
笑い半分。
しかし同時に好機でもあった。
「(むふぅ)」
ルティーナは思わず口元を緩めた。
「ルナ?」
「なんか、顔が怖いぞ?」
「なんでもないわっ!」
ルティーナは突然、勢いよく服を脱ぎ捨てた。
「さぁ行くわよっ!」
先ほどまでの抵抗が嘘のようだった。
いの一番に湯殿へ飛び込む。
広大な湯舟。
立ち上る湯気。
身体を包む心地よい熱。
「はぁぁぁぁぁ……」
思わず声が漏れる。
疲労が溶けていくようだった。
そして、各々自由気ままに温泉を楽しみ始める。
「ルナぁ~、泳いじゃ駄目っ」
「いいじゃん、こんなにお風呂を満喫できるなんて久しぶりなのよ」
ロザリナの注意を聞き流しながら、ルティーナは湯の中をぱしゃぱしゃ進む。
それを見たサーミャも流れに乗る。
「なぁ、温泉って肌にいいんだよな?」
ザブーンッ!
「潜るなっ! おばさんみたいなことしないでっ!」
「ぶはっ!」
サーミャが勢いよく顔を出した。
「なんか言ったか?」
ロザリナが頭を抱える。
エリアルはその様子を見て笑っていた。
「みんな本当に仲がいいね」
「リーナって、皆のお母さんみたいだな」
「よく言われる……」
賑やかな笑い声が響く。
そんな中。
意外にも一番静かだったのはシャルレシカだった。
「ふにゃぁ~……」
肩まで湯に浸かり、完全にとろけている。
「極楽ですぅ~」
その姿を見た四人は。
(あれ、浮いてるの……?)
(凄いな……)
(リーナ……もいでいいぞ)
(了解っ!)
最終的に全員同じ結論に至った。
「今日はぁ、皆さんの目が怖いですぅ~」
シャルレシカだけが理由を理解できていなかった。
そして四人に無茶苦茶にされた。
そして温泉を満喫した後――。
五人は浴衣姿で休憩所へ移動した。
その頃。
ようやく馬琴の意識が復活する。
(くっ……何が起こった?)
「(あっ、起きた)」
(ルナ、俺は何してた?)
「(ぷっ、本当に覚えてないの?)」
(何がだ? それより、温泉はどうなった!)
本人は心底悔しそうだった。
ルティーナは吹き出しそうになる。
「(シャルの裸を見て、意識が落ちたみたいよ)」
(何も覚えてない)
(し、死にたい)
「(あはははっ)」
そんなやり取りをしている間、エリアルはシャルレシカの水晶玉を気にしていた。
「そういえばシャル」
「はいぃ?」
「それ、お風呂の中でも持ってたよね?」
「この子は家族ですからぁ」
シャルレシカは大切そうに抱きしめる。
「赤ちゃんの頃から一緒なんですぅ」
「そうなんだ」
エリアルは微笑んだ。
その瞬間だった。
温泉帰りの和やかな空気に、ほんの僅かな違和感が混じる。
誰も気付かなかった。
いや――。
一人だけ気付いていた。
「……ふにゃ?」
シャルレシカの表情が僅かに変わる。
「どうしたの?」
ロザリナが尋ねる。
シャルレシカは何気ない顔のまま小声で呟いた。
「身近に悪意を感じますぅ」
エリアルはどういうことかを問う。
するとルティーナは、シャルレシカの能力の説明をする。
彼女は、索敵魔法を展開していなくても周囲二十メートル以内ならある程度の状況が察知ができると。
「(だから、大会の時に戦いながら僕の位置がわかったのか)」
温泉帰りの穏やかな空気が一瞬で冷える。
「どこ?」
「休憩所の奥ですぅ」
視線だけは向けない。
だが確かに感じる。
「(組織の連中?)」
(さすがに白昼堂々は……)
自分達へ向けられた悪意。
ルティーナは静かに立ち上がった。
「私、お手洗い行ってくるね」
「(シャル、あれを貸して)」
「(はいですぅ)」
【透】
誰が見ても不自然ではない。
ただの離席――。
しかしその手には既に、透明化したシャルレシカの魔道具――小さな水晶が握られていた。
「おいおい、ルナ」
サーミャが適当に声を掛ける。
「おこちゃまだぁな~飲み過ぎたのか?」
「えへへ、そうかも~(ここぞとばかりにぃ~)」
ルティーナは苦笑いを返した。
そのまま何気ない足取りで歩き出す。
休憩所の奥。
二人組の男達。
視線は向けない。
あくまで自然に。
だが通り過ぎる瞬間だけ、男達の様子を確認した。
ほんの一瞬。
確実にこちらを見ていた。
(やっぱり怪しいな)
そして。
ルティーナは歩きながら透明化した水晶をそっと落とす。
音もなく。
誰にも気付かれないように。
男達の席のすぐ近くへ。
――設置完了。
そのまま何事もなかったかのように、お手洗いへ向かった。
数分後――。
ルティーナは席へ戻ってくる。
「ただいまー」
満面の笑み。
完璧な演技だった。
「遅ぇぞ」
「ごめんごめん」
そして席へ腰掛ける。
「(シャル)」
「(盗聴できてる?)」
シャルレシカは小さく頷いた。
既に水晶と感覚を繋げている。
その様子を見たエリアルが小声で尋ねる。
「何をしたんだい?」
「盗聴さ」
サーミャが代わりに答える。
「シャルの小さい水晶はそういう使い方が出来る魔道具なんだ」
「凄いな……」
エリアルは苦笑した。
もう今さら彼女達の規格外さに驚くつもりもなかった。
「後は、あいつらの会話が始まるのを待つだけさ」
サーミャが葡萄酒を口に運ぶ。
見た目は完全に雑談中。
しかし全員の神経は張り詰めていた。
奴らは何者なのか。
なぜこちらを見ていたのか。
偶然ではない――。
その時だった。
もう一人の男が現れ、合流する。
そして三人は周囲を確認すると、小声で会話を始める。
「アイツらの顔を覚えるんだ……」
男達の低い声が、水晶越しに届く。
その言葉に、ルティーナ達の表情が僅かに変わった。
もちろん――。
この時の彼女達は、まだ知らない。
その悪意が向かう先が、エリアルの大切な居場所であることを。




