第82話 前日譚 ~前編~
俺の名前は、太平 朝時。
高校で現代社会と政治経済を教えている、ごく普通の教師――だった。
あの日までは――。
同じ学校で働く国語教師。
為永 誉美。
生徒に向ける笑顔が自然で。
困っている子を放っておけなくて。
放課後になっても平気で相談に付き合う。
そんな彼女を見ているうちに、いつから目で追うようになっていた。
そして――。
俺が結局、最後まで想いを伝えられなかった女性だ。
そんなある日、突然転任してきた古典教師。
里見 馬琴。
気付けば、誉美の隣にはいつもあいつがいた。
そして今。
俺は、その二人の結婚式に出席していた。
華やかな会場。
祝福の拍手。
幸せそうに微笑む新郎新婦。
同僚達の笑い声が耳に刺さる。
「おいおい、誓いのキスだぞ」
「朝時ぃ、泣くなよ?」
「ちゃんと撮れよ写真――」
鬱陶しい。
全部が。
この世界がこの先どうなろうが。
俺にはもう関係ない。
そんな投げやりな気持ちさえ抱いていた。
「ほら来るぞ」
誉美が微笑む。
馬琴が肩を抱く。
二人の距離が近づいていく。
――見たくなかった。
胸が痛い。
息が苦しい。
吐き気がする。
(もう……やめてくれ)
その時だった。
世界が白く弾けた。
「……え?」
視界が歪む。
床が消える。
音が遠ざかる。
会場が白い光に飲み込まれた。
そして――。
俺の意識は闇へ沈んだ。
――その頃。
遥か異世界……ノモナーガ王国、王城最上階。
王族以外立ち入りを禁じられた大広間では、ある儀式が秘密裏に執り行われていた。
巨大な魔法陣。
幾重にも刻まれた古代文字。
そして、その中央に設置された巨大な召喚水晶。
淡い青白い光が、静かに脈打っていた。
「本当に成功するのだな?」
王座の前に立つ男――ノキア王が夜空を見上げる。
天窓の向こうでは、巨大な箒星が空を横切っていた。
七十六年に一度しか現れないという流星。
まるで天を裂くような光だった。
「はい、ノキア王様」
占い師ヘルアドが深く頭を下げる。
「今宵を逃せば、次は七十六年後」
「勇者召喚は叶いませぬ」
ノキア王は静かに目を細めた。
視線の先には召喚師達がいる。
彼らは大量の魔力を魔法陣へ注ぎ続けていた。
「厄災の魔物か……」
低い呟きが漏れる。
八十年前。
世界を滅ぼしかけた災厄。
伝承にしか残らない怪物。
誰も姿を知らない。
だからこそ、不気味だった。
「本当に現れるのだな?」
「はい、十年以内に……間違いなく」
ヘルアドは迷いなく答えた。
「それが母より受け継がれた予言です」
「ゆえに、再び勇者による討伐が必要なのです」
そして大広間の空気が張り詰める。
やがて。
召喚水晶が激しく輝き始めた。
「来るぞ!」
召喚師の一人が叫ぶ。
すると、水晶の中へ次々と人影が映し出される。
見知らぬ建物。
見知らぬ服装。
見知らぬ言葉。
異世界の人間達だった。
「おお……」
誰かが息を呑む。
映像は次々と切り替わる。
そして――。
一人の女性が映った。
黒髪。
柔らかな笑顔。
純白の衣装。
「ほう……」
「あの女は勇者候補か?」
水晶に映る異世界人を見つめながら、ノキア王は目を細めた。
さらに映像が切り替わる。
その女性を見つめる一人の男。
どこか陰のある表情。
苦しげな視線。
だが、その映像が何を意味するのか、この場の誰にも分からない。
そこに映るのは勇者候補――それ以上でも以下でもなかった。
だが――。
その瞬間だった。
轟音が炸裂する。
――ドゴォォォォォンッ!!
一瞬の衝撃。
「なっ!?」
壁が吹き飛ぶ。
天井が崩れる。
炎が広間を飲み込む。
その場にいた者の断末魔――。
「ノキア王っ」
ヘルアドは咄嗟の判断で、ノキア王に覆いかぶさる。
魔法陣が暴走。
召喚水晶は粉々に砕け、夜空に流星のように舞う。
そして――。
世界は赤く染まった。
――爆発直後。
王城全体が騒然となっていた。
「屋上の大広間だ!!」
近衛師団が一斉に駆け出す。
先頭を走るのは当直だった副隊長のベルハット。
その後ろに、ルティーナの父親――バルスト達が続いていた。
「あれは、流れ星か?」
「バルストっ! 何をしているっ急げっ!」
嫌な予感しかしなかった。
そして王の間へ辿り着いた瞬間――。
全員が言葉を失う。
地獄絵だった。
崩れ落ちた天井。
燃え盛る炎。
そして。
転がる無数の死体。
「なっ……」
誰も動けない。
血の臭い。
焦げた臭い。
熱気。
全てが混ざり合っていた。
「とにかく、生存者を探せ!」
ベルハットの怒声でようやく全員が動き出す。
瓦礫を退かす。
炎を消す。
生存者を探す。
だが見つかるのは死体ばかりだった。
「こちらも駄目です!!」
「こっちも!!」
そして――。
「いたぞ!!」
誰かが叫ぶ。
崩れた柱の下。
老婆が覆い被さるように倒れていた。
占い師ヘルアド。
その下に。
ノキア王が小さく息をしていた。
「ノキア王っ!」
「ご無事ですかっ!!」
だが胸から大量の血が流れていた。
「回復師を呼べ!!」
「担架だ!!」
「急げ!!」
「バルスト!!」
「お前達は周辺の捜索だ!!」
「犯人がまだ近くにいるかもしれん!!」
「わかった!!」
バルストは歯を食いしばりながら駆け出した。
だが。
その時の光景は――。
後に彼の人生を大きく狂わせることになる。
――数日後。
俺は目を覚ました。
知らない天井。
知らない部屋。
そして胸の痛み。
「ぐっ……!」
まるで心臓を掴まれているようだった。
「ノキア王!!」
誰かが駆け寄る。
知らない顔。
知らない声。
だが。
何故か名前は分かった。
サデッサ。
執事長デーハイグの補佐官。
ノキア王の記憶が自然と名前を教えてくる。
そんな情報が自然と浮かぶ。
(……何だ?)
その瞬間だった。
頭の中へ大量の情報が流れ込む。
王国。
政治。
戦争。
王妃。
臣下。
ノキア王の人生。
全てが。
洪水のように押し寄せてきた。
(うぁぁぁっ!!)
頭が割れそうになる。
俺の記憶。
ノキア王の記憶。
二つが混ざる。
理解が追いつかない。
「余に何が……起きた……」
そして。
俺は理解してしまった。
俺は死んでいない。
だが元の身体でもない。
ノキア王になっている。
いや――違う。
そう思い込みたいだけかもしれない。
だが、この身体が自分のものではないことだけは理解できた。
(そんな……馬鹿な……)
胸に手を当てる。
激痛。
そして。
そこにある異物感。
「王よ、まだ無理をなさらないでください」
サデッサが説明する。
爆発に巻き込まれたこと。
召喚水晶の破片が胸に刺さったこと。
時間が経過しすぎていた為、回復師でも取り出せなかったこと。
全てを聞き終えた頃には、頭の中が混乱でいっぱいだった。
「そうか……」
短く返事をするのが精一杯だった。
次から次へと流れ込んでくる記憶。
慣れない身体。
胸の痛み。
考えなければならないことが多すぎる。
「すまぬ、少し疲れた」
「一人にしてくれぬか」
サデッサは心配そうな表情を浮かべたが、静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
「何かございましたら、すぐにお呼びください」
そう言い残し、部屋を後にする。
扉が閉まる音が響いた。
――ようやく静寂が訪れる。
「……」
俺はゆっくりと胸へ手を当てた。
鈍い痛み。
そして、そこに残る異物感。
間違いない。
今回の出来事に、この水晶の破片が関わっている。
彼の脳裏に浮かぶのは、爆発直前の光景だった。
勇者召喚の儀。
砕け散る寸前の召喚水晶。
自分は異世界に召喚された?
爆発に巻き込まれ、召喚される前に破片に封じこまれたまま、ノキア王の身体と自分の意識が結びついてしまった。
――根拠はない。
だが、それ以外に説明がつかなかった。
そこへ映し出されていた、あの女性――。
誉美。
間違いない。
(こっちの世界に、来ている……)
胸の奥が熱くなる。
国なんかどうでもいい。
勇者なんかどうでもいい。
厄災の魔物も。
――全部どうでもいい。
そんなものより。
見つける――。
必ず。
この世界のどこかにいる。
誉美を手に入れるために。




