第8話 兆候
『バルデランの森』に足を踏み入れてから、半日が経過していた。
木々の隙間から差し込む光はやわらかく、風も穏やかだ。
危険地帯と聞いていた割には、あまりにも静かだった。
それも当然かもしれない。
シャルレシカの索敵が、常に周囲を監視していたからだ。
その精度は驚異的だった。
バルストですら舌を巻くほどの範囲と感知能力――それが途切れることなく維持されている。
一方で――
「ルナちゃん~、そっちはどうかしらぁ~?」
「まだ、これぐらいしか――」
ルティーナは申し訳なさそうに、籠を差し出した。
だが中を見たミリアは――固まった。
「え……?」
籠の中には、ぎっしりと詰まった薬草。
しかも――すべてが上級薬草だった。
「こ、これ全部……ルナちゃんが……?」
「うん」
――間違いない。
すべて正確に選別されている。
「すごい……一度見せて説明たけで……」
通常、薬草採取は経験が物を言う。
見分けを誤れば価値はゼロどころか、毒草を混ぜる危険すらある。
だがルティーナは、それを一切間違えなかった。
「(……なんか崇められてない? この能力って凄いじゃない)」
(【索】で、薬草を判別してるだけだからな)
本人は軽い気持ちだが、その実態は規格外である。
作業は順調そのものだった。
開始からわずか二時間で、目的の半分近くを回収していた。
「このペースなら、明日には終わるかもしれませんね」
ドリネが驚き混じりに呟く。
予定では三日かかるはずだった採取が、半分以下の時間で終わろうとしている。
やがて日が傾き始め、野営で待機するバルスト達と合流する。
そこには夕食の準備が整っていた。
その匂いに、一番に反応したのは――
「いい匂いぃ~……」
――シャルレシカだった。
彼女は夕食になると、信じられない食欲を見せた。
「え、まだ食べるの……?」
「はいぃ~♪」
次々と皿が空になっていく。
その様子を見て、全員が同じことを思った。
(((((栄養……全部、胸に行ってるんじゃ……)))))
もちろん口には出さずに見守る。
そして食後――
シャルレシカはその場で眠りに落ちる寸前だった。
「早っ!」
「魔力を使いすぎるとぉ~眠くなっちゃうんでぇ~……むにゅむにゅ――」
そう言い残して、完全に沈黙。
後で知るが、索敵能力の代償らしい。
残った五人は、翌日の計画を確認する。
「すでに薬草は目標の六割」
「このままなら明日の夕方には終わるじゃろう」
ドリネの言葉に、全員が頷く。
「ルナちゃんのおかげねぇ~」
「えへへ……」
褒められ、素直に喜ぶルティーナ。
その様子を見て、ドリネはふと思いついたように言った。
「ルナちゃん、今回の仕事が終わったら……薬師を目指してみないかい?」
「え?」
「才能がある。間違いなくね」
予想外の誘いだった。
だがルティーナは、少し困ったように笑うだけだった。
「うーん……どうしよかなぁ……」
(冒険者目指してるしな)
「(そうなのよねぇ……)」
内心で苦笑する。
彼女の進む道は、まだ定まっていなかった。
――そして、夜は静かに更けていく。
バルストが見張りに立ち、他の者は眠りについた。
何事もなく、一日目は終了する。
翌朝。
再び採取が始まった。
バルストは仮眠をとる前に、シャルレシカの魔力切れを懸念し、定期的に索敵するようにさせた。
そして、何かあれば起こすように指示する。
その頃、ルティーナの作業効率はさらに加速していた。
そして――
昼過ぎには、すべての薬草が揃っていた。
予定を大幅に上回る成果。
誰もが安堵の息をついた。
「今日中は街に戻れそうね」
ミリアは嬉しそうに言った。
そして提案する。
「帰ったら六人で、食事会をしませんか?」
「それはいいのぉ!」
和やかな空気が流れる。
だが――
バルストだけは、表情を崩さなかった。
(……妙じゃ)
最初に現れたデフルウ。
本来、群れで行動するはずの魔物が、たった一匹で現れた。
それが、ずっと引っかかっていた。
そして、その違和感は――
突然、現実となる。
「ルナぁぁぁ~……」
再び索敵を始めた、シャルレシカの声が、わずかに震えていた。
「どうしたのよ?」
「ま、魔物がぁ~……来てますぅ~」
その一言で、空気が凍りつく。
「シャルちゃん、距離は?」
「一キロメートル弱まで迫ってきました……」
まだ余裕はある。
だが次の言葉が、すべてを変えた。
「数がぁ~……八、九?……」
「……十匹!?」
「なら、なんとかなるじゃろ――」
バルストは余裕の笑みで立ち上がる。
だが――
「違いますぅ~」
シャルレシカは、激しく首を振った。
「もっと……二キロメートル付近にも居るんですぅ~」
「なに……?」
「同じ強さの反応がぁ~、どんどん増えてぇ……」
その瞬間。
全員の背筋に、冷たいものが走った。
数十匹では済まない数――群れ。
本来ならありえない。
「来たか……!」
バルストは剣を握る。
「ドリネさん! このまま皆を連れ馬車を走らせてください!」
「わ、分かりました!」
野営道具を捨て、緊急撤退。
それが最善の判断だった。
シャルレシカは即座に進路を示す。
「こっちですぅ~! 安全な方向ぉ~!」
そして馬車は走り出す。
バルストを残して。
「お父さん!?」
「先に行け! すぐ追いつく!」
そう言い残し、彼は一人、魔物の群れへと向かっていった。
その背中を見送りながら――
ルティーナの胸に、得体の知れない不安が広がる。
(……なにこれ)
――ただの依頼のはずだった。
薬草採取の、簡単な任務のはずだった。
なのに――
(なんか……おかしい)
その違和感は、確実に形を持ち始めていた。
――そして次の瞬間。
シャルレシカの顔色が、さらに変わる。
「え……?」
「どうしたの!?」
ルティーナが叫ぶ。
シャルレシカは、震える声で言った。
「さらに……増えてますぅ~……」
それは、序章に過ぎなかった。
この森で起きている異変は――
まだ、始まったばかりだった。




