第71話 二回戦 ~前編~
わずか三十分の休憩――。
その短い時間の中でも、様々な思惑が複雑に絡み合っていた。
そして、別の悪意が渦巻く。
一回戦で敗北したウェハルンは、人通りの少ない通路にいた。
「くそっ……あのメス豚っ」
額に浮かんだ汗を乱暴に拭う。
試合での敗北以上に、シャルレシカの言葉が気味悪かった。
――まるで見られていたかのような言い回しだった。
「(証拠なんざあるわけねぇんだ……)」
「(変に尋問されて、冒険者免許を取り消しにされたらたまったもんじゃねぇ)」
苛立ち混じりに舌打ちしながら、彼は足を速める。
――だがそこへ。
「あなた――ウェハルンですね?」
「……あぁ? なんだよ呼び捨てにしやがって」
通路の先。
いつの間に現れたのか、一人の女が立っていた。
妖艶な雰囲気を纏った、美しい女。
だが、その瞳だけが妙に冷たい。
「なんだよ、あんた」
ウェハルンは眉をひそめる。
「俺は今、機嫌が悪いんだ」
「帰るんだから、そこをどけ!」
そう吐き捨てながらも、彼は内心で違和感を覚えていた。
(なんだ……こいつの『こめかみ』……?)
髪の毛が風で靡いた瞬間、一瞬だけ見えた――奇妙な模様のようなもの。
――しかし、次の瞬間にはもういない。
だが女は、いつの間にかウェハルンの後ろに立ち、薄く微笑んでいた。
「――そうですか」
その声は静かだった。
「! なっ――」
静かすぎる声だった。
だからこそ、寒気が走る。
「なら、その『機嫌の悪さ』を消してさしあげましょう」
「!?」
ゾクリ――と。
本能が危険を告げた。
ウェハルンは反射的に逃げようとした。
しかし――。
首筋に鋭い痛みが走る。
視界が揺れた。
「な、にを……っ」
首元には、小さな針が突き刺さっていた。
全身から力が抜ける。
膝が崩れ落ち、意識が急速に沈んでいった。
「――――」
女は倒れたウェハルンを見下ろしながら、静かに目を細める。
その表情には、一切の感情が浮かんでいなかった。
そして――。
「さぁてぇ~皆さんっ! 大変お待たせいたしましたっ!」
ブランデァの張り上げる声が、闘技場全体に響き渡る。
「これより第二回戦、第一試合を開始いたしますっ!」
観客席から歓声が巻き起こった。
「西門っ! ルナリカ=リターナっ!」
「ルナ、今度は恥ずかしい思いしなくて済みそうね」
「うん、鬱憤溜まってるから暴れてくるわ」
「ルナお姉ちゃん、がんばれぇぇ~っ!」
「ルナリカやったれぇ~っ!」
(なんだろう……あの二人……妙に仲良いなぁ……)
そんなことを考えながら、ルティーナは闘技場へと足を踏み入れる。
対する東門からは、罠師ドルントが現れる。
ニヤついた笑みを浮かべながら、ルティーナを見下すように口を開く。
「お嬢ちゃん、金貨五十枚もらって怪我しねぇうちにお家に帰りな」
ルティーナも負けていない。
「えぇ~? それ、おじさんの方じゃないですかぁ?」
「……っ!」
ドルントの眉がピクリと動いた。
「生意気なガキがぁ……!」
さらに煽る――。
「その生意気なガキにボコボコにされたら、どんな気分? ねぇ〜どんな気分?」
(ストレス溜まりすぎだぞ)
そしてルティーナは、小さく息を吐いた。
「(それより確認だけど、カンジの意味は分かんないから、『やりたいこと』と『範囲』だけ伝えればいいんだよね?)」
(あぁ、それでいい)
「両者、十分に気合いが入っているようですねっ!」
「では――試合開始っ!」
開始と同時。
ドルントは後方へ飛び退きながら、何かを投げつけた。
直後。
ボフッ――
と白煙が炸裂する。
「なによこれ……煙?」
一瞬で、闘技場の視界が白く染まった。
観客席からもどよめきが起こる。
「さっきと同じ手は使わないさ」
「逃げ回るとでも思ったのか?」
煙の向こうからドルントの声が響く。
「今度は『その場で作る罠』ってやつを見せてやるよ」
「でも今ならまだ間に合うぜぇ?」
「泣いて謝れば許してやってもいいぞ、お嬢ちゃん?」
ルティーナは煙の中で目を細めた。
「ほんと、無駄に勝ちを夢見てる奴ほど、よく喋るのね」
「どいつもこいつも」
「クソガキがぁっ!」
怒声。
その直後。
ルティーナの周囲に、微かな光がいくつも転がり始める。
(……やっぱり)
煙で見えにくい。
だが、わずかに反射した光で気づいた。
「(これが仕掛けね)」
ルティーナは動かなかった。
むしろ、その場に留まる。
「(私を動かせたいのかしら?)」
彼女は懐から、糸巻付きのクナイを取り出した。
「(マコト。この『糸』を見えなくできる?)」
(あぁ、触れてろ)
ルティーナは左手で糸巻を握り、右手でクナイを放つ。
クナイはドルントの脇を大きく外れて突き刺さった。
「何を投げたかしらねぇが、大外れだぜ!」
さらにルティーナは、床にそっと手を触れる。
「(マコト。私の周囲だけ、『煙』を残せる?)」
(了解)
煙の中。
ドルントはニヤリと笑った。
「(やっぱり動かねぇか)」
「(ひっかかったな)」
「さて――お別れの時間だ」
煙がだんだん薄れ始める。
その瞬間だった――。
ドォォォーン!
ルティーナの周囲で、小規模な爆発が次々と起こる。
「きゃっ!」
「あはははっ! もう手遅れだ!」
ドルントが高笑いする。
「『シャインボム・ストーン』だ!」
「太陽光で爆発する罠石だよ!」
「これで俺の勝――」
ルティーナはニヤリとほほ笑む。
「やっぱりそういう類なんだ……」
「そういうネタ、飽き飽きしてるんだけど」
「――は?」
爆発の向こう側から、平然とした声が返ってきた。
「な、なっ!?」
煙が完全に晴れる。
その先には、ルティーナの周りだけ煙が残っていた。
「なっ……!?」
(追い煙で太陽光を遮断するか)
(なるほどな……よく気づいたな、ルナ)
「(えへへ、どうせマコトも気づいてたんでしょ?)」
(さぁね)
ルティーナは煙の外へ軽やかに飛び退く。
直後。
煙が晴れ爆発が起こる。
「これで、そのなんとかストーンは全部爆発したってことよね?」
「……残念だったわね?」
ニコリと笑う。
「くそっ……!」
ドルントが顔を歪めた。
その瞬間。
ルティーナは糸付きクナイを口に咥え、一気に駆け出した。
闘技場を円を描くように高速移動しながら、手裏剣を投げつける。
「なんだその武器はっ!?」
手裏剣が頬を掠め、血が飛ぶ。
「っ痛ぇ!?」
「危ないじゃねぇか!」
「ふ~ん?」
ルティーナは笑った。
「罠師ってハッタリが得意じゃないの?」
「でも、その駆け引きじゃ三流よ」
ドルントの表情が強張る。
「私はねぇ――もっと厄介な相手と駆け引きしてきたのよ」
「それと、時間稼ぎっていうのは……こうやるのよ」
「なっ――?」
次の瞬間。
ドルントの足がもつれた。
「うぉっ!?」
派手に転倒する。
「な、なんだ!? 足に何か――」
「あら、残念ね」
いつの間にか。
ドルントの足元には、透明な糸が幾重にも張り巡らされていた。
最初に投げたクナイを支点にし、ルティーナが高速移動しながら糸を張っていたのだ。
そして転倒した拍子に、ドルントの手から石が零れ落ちる。
キラリ――と。
「!」
石が太陽光を吸収し始める。
ドルントは身動きが取れないまま――。
「あら?」
ルティーナが首を傾げる。
「綺麗な石がいっぱい落ちてるわよ?」
「……っ!!」
ドルントの顔から血の気が引いた。
「ま、待――」
次の瞬間。
ドォンッ!!
連鎖爆発が巻き起こる。
「ぎゃあああぁぁぁっ!!」
爆煙の中、ドルントの悲鳴が響き渡る。
そして――。
「ドルントを戦闘不能とみなしっ! 第1試合勝者っ、ルナリカ=リターナぁぁっ!!」
「「「「「おおおおぉぉぉっ!!」」」」」
闘技場が、大歓声に包まれた。




