第56話 狂ウ鳥人
ロザリナは、熊の魔物――デーアべとなった父ジェレイドと対峙する。
暴走を止めなければならない。
そう理解している。
だが――。
ジェレイドの様子がおかしかった。
先ほど、エレヴァルクへ放った再生魔法の光を見てから――。
「ロ……ザ………リ」
掠れた声。
ロザリナの瞳が、大きく揺れた。
「えっ……?」
「私が……分かるの……? 父さん……!」
その瞬間だけだった。
ジェレイドは苦しむように頭を振ると、
再び凶暴な咆哮を上げる。
そして、倒れているエレヴァルクへ襲いかかった。
「――っ!」
ロザリナは咄嗟に飛び出す。
だが。
ジェレイドの攻撃は、全力には思えなかった。
その事実が、逆にロザリナの動きを鈍らせる。
まだ助けられるかもしれない。
父は、完全には消えていない。
その希望が、彼女から覚悟を奪っていた。
「(どうすればいいの)」
全力で攻撃ができない。
「(どうやったら、元に戻せるの?)」
「(本当に無理なの?)」
悩む間にも、ジェレイドの猛攻は止まらない。
吹き飛ばされる。
地面を転がる。
それでもロザリナは何度も立ち上がった。
爪を逸らす。
拳を流す。
急所だけを狙い、
必死に体力を削っていく。
そして――。
ついにジェレイドが膝をついた。
「(もしあれが、肉体が作り変えられた状態なら?)」
「やるしかない!」
ロザリナは残った魔力を、一気に解放する。
「『シャイン・レストレーション』ッ!!」
眩い光が、ジェレイドを包み込んだ。
――次の瞬間。
暴れていた巨体が止まる。
ぶくり、と。
全身から緑色の液体が噴き出した。
膨れ上がっていた筋肉が縮む。
歪んだ骨格が、
軋むような音を立てながら戻っていく。
黒い体毛が剥がれ落ち、
魔物の肉体が、
ゆっくりと人間へ戻っていった。
やがて現れたのは――。
人間の姿へ戻った、
ジェレイドだった。
「お、お父さん!」
ロザリナが駆け寄る。
だが、その身体は急速に崩れ始めていく。
「そんな……!」
ジェレイドは苦しげに息を吐きながら、
それでも優しく笑う。
「ありがとう……ロザリナ……」
ロザリナの目から涙が溢れた。
「本当に……愛してた……」
「最後に……話せて……よかった……」
声が、少しずつ消えていく。
「幸せに……なって……くれ……」
「やだ……」
「やだよ、お父さん……!」
ロザリナは首を振る。
「お父さん……っ」
「私も……愛してました……!」
だが。
温かな光の中で――。
ジェレイドは、安らかな笑みを浮かべながら消滅した。
崩れるように膝をつく。
「お父さぁぁぁぁぁーーーーーんっ!!」
その慟哭だけが、静まり始めた庭へ長く響き続けていた。
エレヴァルク邸の騒動が、収束へ向かい始めた頃――。
森では、死闘が始まろうとしていた。
ルティーナは、今にもデグルーイへ変貌しようとしているゲレンガを見下ろし、歯噛みする。
相手はまだ完全に変異しきっていない。
ならば、今のうちに叩けばいい。
頭では理解していた。
だが――。
「(まだ完全に変身してないんでしょ?)」
「(今のうちに倒しちゃえばいいじゃん)」
(無理だっ!)
(両手はシャルを抱えて塞がってる!)
(それに、シャルの腕前じゃ魔法を当てられない!)
なら――。
ルティーナは地上に降下すると、すぐさまシャルレシカを下ろした。
「またぁ、堅くしちゃうんですかぁ?」
だが、馬琴は硬化させなかった。
代わりに、ルティーナに素早く作戦を伝える。
シャルレシカはぽやっとした顔のまま頷いた。
「わかりましたぁ~」
その直後だった。
ルティーナが再び飛び上がろうとした瞬間だった――。
ゾクリ、と。
全身を悪寒が走る。
「――っ!?」
目の前に。
夜空の闇へ溶け込むように、ゲレンガが空中で静止していた。
「さぁ~お嬢ちゃん」
「第二回戦を始めようかぁ~?」
その姿は、もはや人間ではなかった。
両腕は巨大な羽へ変貌し、脚は猛禽類のような鉤爪へ変わっている。
膨れ上がった筋肉。
全身を覆う黒い羽毛。
だが、顔だけはゲレンガ本人のままだった。
その歪んだ笑みだけが、人間の名残のように張り付いていた。
「そ~だよぉ」
「これが最強の『鳥人』ってやつさぁ~」
ゲレンガは翼を降り下す。
次の瞬間――。
空気が爆ぜた。
「っ!?」
一瞬で距離を詰められる。
ルティーナは咄嗟に上昇した。
しかし、
頬を鉤爪が掠める。
鮮血が夜空へ散った。
「痛っ……!」
だが、ゲレンガはすでに背後へ回り込んでいた。
「空を制する奴にはなぁ~」
「どんな冒険者でも歯が立たねぇんだよっ!!」
再び急降下。
「いくら、お前が空を飛ぼうと」
「所詮人間なんだよぉ!!」
ルティーナは、【爆】を描いた手裏剣を放つ。
しかし――届かない。
速すぎる。
触れることすらできない。
高速旋回。
急加速。
急停止。
ゲレンガは、まるで空そのものを泳いでいるようだった。
(やはり警戒されてる……!)
(それに速すぎるっ!)
「(ごめんマコト……!)」
「(触れられないっ……!)」
悔しさが滲む声。
だが馬琴は即座に返した。
(何言ってんだよ)
(ルナが指示通り動いてくれるから、俺は戦えてるんだ)
(俺一人だったら、とっくに詰んでる)
「(……っ)」
その言葉だけで、胸の奥の恐怖が少しだけ薄れた。
だが現実は甘くない。
ゲレンガの速度は、さらに増していく。
頬。
肩。
脚。
避け切れなかった爪が、次々と肌を裂いていく。
防具のない戦いでは、それだけで致命傷になり得た。
「ほらほらぁ~どうしたぁ?」
「やっぱお前、触れなきゃ何もできねぇんだろぉ?」
痛い。
怖い。
速すぎて、避けきれない。
今までの戦いとは違う。
ルティーナは、一方的に攻撃を受け続ける戦闘に慣れていなかった。
――だからこそ、削られていく。
(ルナ!)
(もうちょっとの辛抱だ!)
「……っ!」
ルティーナは息を呑み、両手を大きく広げた。
手のひらへ【輝】を浮かび上がらせる。
(起動――!)
瞬間、強烈な閃光が夜空を染めた。
だが。
だが、ゲレンガは突っ込んでこない。
閃光を視界へ入れないよう、即座に急上昇して距離を取った。
「あはははっ!!」
「警戒するに決まってんだろぉがぁっ!!」
空中で笑いながら、ゲレンガは目を細めた。
「浮かび上がる模様で、いろんな現象を起こす……」
「そんな馬鹿げた力……」
その目に、初めて明確な警戒が宿った。
「……お前、『あの方』の血筋か何かか?」
「(……?)」
ルティーナは首をかしげた。
(あの方……? まさか!)
馬琴の思考が止まる。
ルティーナも眉をひそめた。
「あの方って……勇者のこと?」
「――っ!!」
ゲレンガの表情が変わった。
今までの余裕が消える。
「てめぇ……どこまで知ってやがる」
低い声。
膨れ上がる殺気。
「やっぱり生かしておけねぇなぁ~っ!!」
再び突撃。
空気が裂ける。
ルティーナは咄嗟に懐から手裏剣を抜いた。
【嵐】
描かれた文字が淡く浮かぶ。
投擲。
(起動!)
暴風が周囲の気流を乱した。
ゲレンガの軌道が、わずかにブレる。
「ちっ!」
その瞬間――。
「ふっ『フレイム・ボム』ぅ~!」
地上から、火球が打ち上がった。
(シャルの準備が整ったっ!)




