第55話 叫ブ聖女
ルティーナはゲレンガをついに追い詰めた。
――はずだった。
「まだ捕まるわけにはいかねぇんだよぉ~」
ゲレンガは荒い息を吐きながら嗤う。
「『あの方』の目的のためになぁ~」
「(あの方……?)」
馬琴が警戒を強める。
(黒幕か……?)
ルティーナは鋭く目を細めた。
「あなた……ドグルスと関係あるの?」
その瞬間だった。
ゲレンガの目が、わずかに揺れた。
「……ドグルスを知ってるだと?」
(やっぱり――)
ルティーナは確信した。
あの男の身体に刻まれていた、痣にも紋様にも見える異形の印。
あれが、組織へ繋がる手がかりなのだと。
「奴なら死んだわよ」
「『カース・ストーン』でね」
「…………」
だが次の瞬間。
ゲレンガは、覚悟を決めたように懐へ手を突っ込んだ。
取り出したのは――一本の注射器。
中には、不気味な緑色の液体が満たされている。
「なっ……!?」
ルティーナの背筋が凍る。
ゲレンガは迷いなく、それを首へ突き刺した。
「ぐっ……ふぅぅぅぅ~~っ……!!」
薬液が体内へ流れ込んでいく。
首筋の血管が、ぶくりと浮き上がった。
「なによ、その薬……!」
「あぁ~、これかぁ?」
ゲレンガが嗤う。
すでにその笑みは、人間のものではなかった。
「冥土の土産に教えてやるよぉ~」
(効果が出るまで二分……時間稼ぎしねぇとな)
男は内心で冷静に計算しながら、愉悦混じりに口を開く。
「人間を『魔物化』する薬さぁ~」
「エレヴァルクと組んで、散々実験してたんだよ」
ルティーナの顔が険しくなる。
「まさか……ヘルグレンの森の魔物って……!」
「あぁ、そうだよぉ」
ゲレンガは肩を震わせて笑った。
「勘のいいガキは嫌いだぜぇ」
「なかなか楽しい実験だったぁ~」
(下衆が……っ!)
馬琴が怒気を滲ませる。
だが同時に、嫌な予感も強まっていた。
「だが俺が使ったのは最新版だぁ~」
ゲレンガの瞳が狂気に染まる。
「今までとは違う」
「理性を保ったまま魔物になれる」
体中に羽毛のようなものが生え始める。
「もう少し待ってなぁ~?」
口元が裂けるように歪む。
「極上のデルグーイになってやるからよぉっ!!」
「デルグーイですって……!?」
ルティーナの顔から血の気が引く。
その反応を見て、ゲレンガは愉快そうに嗤った。
「そうだぁ」
「お前は、これから俺になぶり殺されるんだよぉ~」
その笑みを見た瞬間。
ルティーナの背筋を、強烈な嫌悪感が駆け抜けた。
――時間は少し遡る。
エレヴァルクの屋敷では、サーミャとロザリナが暴れる魔物達と対峙していた。
デーアべは護衛団も警備隊も意に介さない。
ただ一直線に――エレヴァルクだけを狙って突進していた。
まるで。
恨みそのものになったように。
「来るなっ!!」
エレヴァルクの悲鳴が響く。
「や、やめろっ! ジェレイドっ!!」
その名前を聞いた瞬間だった。
「……え?」
ロザリナの動きが止まる。
空気が凍った。
「ジェ……レイド?」
呼吸が止まる。
「父……さん?」
ロザリナの顔から、さっと血の気が引いていく。
「そんな……」
「そんなの、ありえない……」
震える声。
「父さんは……死んだって……」
目の前のデーアべを見つめながら、彼女は後ずさった。
だが、その隙を狙うようにデフルウが飛びかかる。
「リーナっ! 危ねぇっ!」
サーミャの雷撃が走った。
「『ライトニング・アロー』っ!!」
雷光がデフルウの頭を吹き飛ばす。
しかし、その爪はロザリナの肩を深く裂いていた。
「くっ……!」
「リーナっ! 肩が――!」
「だ、大丈夫……!」
痛みに顔を歪めながらも、ロザリナはデーアべから目を逸らさない。
「このくらい……すぐに治りますっ!」
サーミャは、その目を見た。
迷いながらも。
それでも父を見捨てない目だった。
「……わかった」
サーミャが口元を吊り上げる。
「雑魚は全部、あたいが止める!」
「ミヤ……!」
「だからお前は――」
サーミャは笑った。
「父親を助けてやれっ!!」
「ありがとうっ!!」
ロザリナは地面を蹴った。
身体強化。
一瞬でデーアべの背後へ回り込み、そのまま渾身の拳を叩き込む。
轟音。
巨体が揺れ、地面へ倒れ込む。
その勢いのまま、ロザリナはエレヴァルクへ掴みかかる。
「エレヴァルクッ!!」
怒声が響く。
「父さんに何をしたぁぁぁぁっ!!」
「ひぃっ!?」
エレヴァルクの顔が恐怖に歪む。
「ま、まさかお前……ジェレイドの娘かっ!?」
だが、その直後。
倒れたはずのデーアべが、再び立ち上がった。
――ロザリナには目もくれない。
一直線に。
エレヴァルクだけを狙っていた。
「ひぃぃぃっ!!」
エレヴァルクはロザリナの背後へ隠れながら喚いた。
「う、恨むならゲレンガを恨めぇっ!」
「俺じゃないっ! 実験体にしたのは奴だっ!!」
「……実験体?」
ロザリナの瞳に怒りが灯った。
「あいつが不正に気付きさえしなければ、こんなことには――」
その瞬間。
全てが繋がった。
「……やっぱり」
ロザリナは静かに呟く。
「そういうことだったのね」
そして――。
彼女は、飛びかかるデーアべを止めなかった。
後ろにいたエレヴァルクを、突き出す。
「ぎゃぁぁぁぁっ!!」
肉が裂ける音。
「う、腕がぁぁぁぁっ!!」
エレヴァルクの右腕が吹き飛び、絶叫が庭園へ響き渡った。
「痛いっ! た、助けてくれぇっ!!」
「治癒魔法を使っていたよなぁ!? は、早く治せぇ!!」
涙と鼻水を撒き散らしながら叫ぶ。
「全部話すっ!」
「だから――!」
「……もう、どうでもいいわ」
ロザリナの声は、凍えるほど冷たかった。
「お父さんに殺されればいい」
だが、その直後。
再びデーアべが襲いかかる。
エレヴァルクは死を覚悟した。
しかし――。
「『シャイン・ウォール』!!」
光の防壁がエレヴァルクを庇う。
デーアベの爪が弾かれた。
「……え?」
呆然とするエレヴァルク。
ロザリナは涙を滲ませながら、睨みつけた。
「恐怖は味わえた?」
「お父さんが、どんな思いをしたか……分かった?」
「逃げたくても逃げられなくて、助けも来なくて、化け物にされる恐怖が――」
「ひっ……」
「その代わり教えなさい」
ロザリナは叫ぶ。
「父さんを元に戻す方法をっ!!」
だがエレヴァルクは震えながら首を振った。
「し、知らないっ! 本当なんだ」
「ゲレンガが失敗作だって……そう言ってただけで……!」
「くっ……!」
その時だった。
二階の窓から悲鳴が響く。
「父上ぇぇっ!!」
「誰か助けてよぉぉっ!!」
「あ、あなたぁぁっ!」
妻と子供の泣き叫ぶ声。
その瞬間。
ロザリナは目線を逸らした。
「あぁ~もうっ!」
再び飛びかかってきたデーアべを蹴り飛ばす。
そしてエレヴァルクへ再生魔法を展開した。
「『シャイン・レストレーション』――っ!」
温かな光が、失われた腕を包み込む。
「おまえっ!」
ロザリナは怒鳴った。
「子供と奥さんを泣かせてどうするのよっ!」
「ぁ……あぁ……」
エレヴァルクの表情が崩れていく。
「この件が終わったら……ちゃんと自首しなさい」
ロザリナは真っ直ぐ告げた。
「家族のために――ちゃんと償いなさい」
「す、すまなかった……」
「俺は……ゲレンガに唆されて――」
「――その話は警備隊にしなさいっ!!」
ロザリナは吐き捨てる。
やがて失われた腕は再生し、エレヴァルクは安堵したように、その場へ崩れ落ちた。
そして――。
ロザリナはゆっくりとデーアベへ向き直る。
涙を拭う暇もない。
「……待たせたわね、お父さん」
拳を握る。
「最初で最後の――親子喧嘩、始めましょ」




