第40話 降タ天使
何が起きたのか――。
その場にいた誰一人、すぐには理解できなかった。
サーミャの知るアンハルトは、常に余裕を崩さない男だ。
冒険者ギルド《ノスガルド》でも、序列一位二位を争うパーティ『碧き閃光』のリーダー。
どんな魔物相手でも笑って前に立つ。
そんな男だった。
だが今、目の前にいるアンハルトは違う。
全身は泥だらけ。
血が滲み、高級防具には――。
鋭い爪で裂かれたような傷跡が幾重にも刻まれていた。
まるで――戦場から、命からがら逃げ帰ってきた兵士。
「話は後だっ!!」
アンハルトが怒鳴る。
その声には、焦りが滲んでいた。
「グルバスとヘレンがやられた!」
「シェシカも魔力切れだ! 回復薬はねぇか!?」
空気が凍る。
――あり得ない。
『碧き閃光』が、ここまで壊滅寸前になるなど。
「待ってて、兄貴!」
レミーナが慌てて立ち上がる。
だが、それより早くサーミャが動いていた。
「皆どこだ!?」
「外の馬車だ……!」
「案内しろっ!!」
「いや、だからレミーナに――」
「いいから走れぇっ!!」
サーミャはアンハルトの背を押し飛ばす勢いで駆け出した。
「リーナっ! 来い!!」
「えっ!? わ、私も!?」
「当たり前だろっ!!」
ロザリナも慌てて後を追う。
ギルドの外。
停められていた馬車へ近づいた瞬間――。
ロザリナの表情が強張った。
血の臭い。
濃い。
鉄臭さが夜風に混じって流れてくる。
「シェシカっ!!」
サーミャが馬車へ飛び乗る。
中は、想像以上に酷い有様だった。
「ぅ……サーミャ?」
シェシカは壁にもたれ込み、青白い顔で荒い息を吐いている。
額には脂汗。
普段の飄々とした空気は完全に消えていた。
その隣では、ヘレンが脇腹を押さえ込み。
さらに奥では、グルバスが腕から大量の血を流している。
床には血溜まりまでできていた。
「おいおい、サーミャ……」
「怪我人は……こっちだぜ……」
グルバスが苦笑する。
「少しは心配しろよ……」
「後で治してやるから、安心して死んでろ!」
「先にヘレンだっ!!」
「扱い雑すぎねぇ!?」
軽口は叩いている。
だが、顔色は悪い。
出血量も異常だ。
それでもまだ笑えるだけ余裕がある。
問題は――ヘレンだった。
「っ……」
ロザリナの息が止まる。
シェシカが残りの魔力を全て使い、止血され、最悪な状況は逃れていた。
しかし、脇腹が深く裂けている。
服は血で張り付き。
隙間から、赤黒い血がじわじわと滲み出ていた。
放置すれば危険だ。
傷痕どころじゃない。
最悪――。
(助けなきゃ……)
ドクン――。
心臓が、大きく脈打つ。
同時に、身体の奥が熱を帯び始めた。
「あっ……また……」
指先が熱い。
胸が苦しい。
なのに、不思議と怖くない。
むしろ――。
何かが、『溢れそう』だった。
「リーナ!!」
サーミャが怒鳴る。
「シェシカの言う通りやれ!!」
「で、でも私……!」
「いいから聞けぇっ!!」
怒鳴り声に、ロザリナはびくりと肩を震わせた。
「この子、何者よ……?」
シェシカが掠れた声を漏らす。
「説明は後だ!」
「さっさと回復術式を教えろ!!」
「はぁ……はぁ……」
「わ、分かったわよ……」
シェシカは苦しそうに息を整えながら、それでも必死に口を開く。
「簡易回復術式……」
「私の後に続いて復唱して……!」
その声を聞きながら。
ロザリナは、自分の両手を見つめていた。
熱い。
まるで身体の内側で、何かが燃えているようだった。
本来なら。
初心者向けの初歩魔法。
軽傷を癒すだけの、簡易回復術。
だが――。
「――《キュア・ヒール》……!」
ロザリナの掌から、光が溢れた。
その瞬間。
馬車の中にいた全員が、息を呑む。
柔らかな金色。
だが、その輝きは異様だった。
濃密。
神々しい。
まるで、陽光そのものを閉じ込めたような光。
それが、ヘレンの傷口を包み込む。
そして――。
裂けていた肉が、みるみる塞がっていった。
「……え?」
ヘレンが目を見開く。
痛みが消えている。
それだけじゃない。
傷痕すら残っていなかった。
「うそ……」
シェシカが絶句する。
「私が教えたの……初級詠唱よ……?」
「なのに、中級以上の治癒……?」
いや。
それどころではない。
治癒速度も。
再生精度も。
異常だった。
サーミャが乾いた笑いを漏らす。
「あー……やっぱ規格外だな、リーナ」
「わ、私……今、何を……?」
ロザリナ自身が、一番混乱していた。
「あ、あのぉ……」
歓喜に包まれる空気の中。
グルバスが弱々しく手を上げる。
「さすがに頑丈な俺でも……死んだじいちゃんが見えてきたんだが……」
「余裕あんじゃねぇかよ、馬鹿バスが!!」
「あっ、ご、ごめんなさいっ!!」
慌ててロザリナは再び詠唱する。
すると。
今度はグルバスの腕が。
アンハルトの肩口が。
一瞬で修復されていった。
裂傷が閉じ。
血が止まり。
抉れていた肉さえ、元通りになっていく。
「……マジかよ」
グルバスが、自分の腕を見つめる。
「今、骨までいってたぞ……?」
「しかも傷痕まで消えてる……」
シェシカは額に汗を浮かべながら、ロザリナを見つめていた。
背筋が寒くなるほどの才能。
(この子……本当に『見習い』なの……?)
ひと段落ついた後。
アンハルト達は、今回の任務で何があったのか語り始めた。
「ここ数日、各地の《バリア・ストーン》が何者かに破壊されている」
アンハルトの声は低い。
「その影響で、森の魔物が活性化してるんだ」
「バリア・ストーン……?」
ロザリナが首を傾げる。
「リーナは知らねぇよな」
「この国の周辺に設置されてる結界石みたいなもんだ」
「魔物を遠ざける役割をしてる」
「そのせいで、魔物討伐へ……?」
グルバスが真顔で続けた。
「だが今回の魔物、妙だった」
「妙?」
「普通じゃねぇ」
「人の動きを読んできやがる」
ヘレンも静かに頷く。
「グルバスさんが『左に避けろ』って叫んだ瞬間……」
「左に先回りされました」
「はぁ?」
サーミャの眉が寄る。
「魔物が言葉を理解したってことか?」
「断言はできねぇ……」
「だが、そうとしか思えねぇ」
沈黙が落ちた。
サーミャも珍しく真剣な顔になる。
「……嫌な感じだな」
「王国も相当警戒してる」
「だから、俺達みたいな上位冒険者に声が掛かった」
重い空気。
だが、その中でシェシカがふっと笑った。
「でも、ロザリナ」
「あなたのおかげで、みんな助かったわ」
「えっ……」
「ありがと」
ロザリナは慌てて首を振る。
「い、いえっ!」
「シェシカさんがいなかったら、私ひとりじゃ何も……!」
そんな彼女を見ながら、サーミャがニヤリと笑う。
「シェシカ」
「こいつ、鍛えたらヤバくなるぞ」
「ええ、分かってるわ」
シェシカも静かに頷いた。
「まずは魔力制御からね」
「このままだと、リーナは無意識任せすぎるもの」
「制御……」
「今日はもう魔力が空っぽだから……まともに動けないのよ」
「ごめん――基礎を教えてあげてヘレン、お願い」
「はいっ!」
同年代だからだろう。
ヘレンは、どこか嬉しそうだった。
「よろしくね、ロザリナさん」
「こちらこそ……よろしくね、ヘレンさん」
ロザリナもまた、どこか安心したように笑った。




