第2話 七年
――これからどうするか?
まずは状況整理だ。
ルティーナの意識の内側で、馬琴は淡々と考えていた。
(肉体は少女。外部環境は異世界と仮定すると……)
「まだ、ごちゃごちゃ悩んでるの? ここ、私の頭の中なんだけど。 おじさん……うるさい」
(思考が漏れているのか……厄介だな……それより、おじさんって言うなよぉ)
――その時だった。
扉が開く音。
誰かが入ってくる。
カラーンッ!
鈍い金属音が部屋中に響いた。
何かが床に落ちたのだ。
(誰だ?)
「……え?」
女性の声。震えている。
「る、ルナっ……!」
空気が変わる。
張り詰めた沈黙。
そして――
「あなた!! ルナが……ルナが起きてるわ!! やっと、目を覚ましてくれたのよ!」
次の瞬間。
女性が駆け寄り、ルティーナを強く抱きしめた。
「よかった……よかったぁ……!」
(近い近い近い!?)
呼吸が苦しい。
だが、それ以上に――
(この反応は……ただ事じゃないな。ルティーナに何があった?)
――続けて、慌ただしいが重たい足音が廊下から迫る。
バンッ!
ドアが乱暴に開かれた。
「ルティーナぁぁぁぁ!!」
大男が飛び込んでくる。
そのまま、二人まとめて抱きしめる。
そして――泣いた。
子供のように……。
遠慮も体裁もなく。
そこで初めて、二人は知る。
ルティーナの身に何が起こったのかを。
彼女は八年前に崖から転落し、重症を負った。
それ以来、一度も目を覚まさなかった。
原因は不明。
だが、生きている――。
母親のアンナは、諦めなかった。
毎日。
毎日。
回復魔法をかけ続けた。
娘の笑顔を、もう一度見るために。
七年間。
一日も欠かさず……。
父親バルストの腕は震えていた。
喜びと、悲しみと、失われた時間の重さで。
(……なるほど)
(ルティーナ、君は大怪我をして……それで動けなくなっていたんだね)
(それにしても、君のお父さんって相当な溺愛ぶりだね……)
「(……うちの父親、重いのよ)」
どこか呆れながらも、父親らしさを実感し安堵する。
(重いで済むレベルかこれは?)
「違うわよ」
ルティーナが小さく言った。
「愛情」
その言葉に、馬琴は一瞬、言葉を失った。
「(でも、ありがとう)」
ルティーナは、目が覚めたのは馬琴のおかげだと感謝した。
(因果関係は不明だがな)
否定はしない。
事実、彼女は目覚めた。
それがすべてだ。
今はとにかく、事故当時の記憶を辿ることにした。
「(崖から落ちた……? 私が? 森にいたのは覚えてる……昨日のように)」
(森に?)
「(うん、ウェンの森。家からはちょっと遠いんだけどお花畑があって……好きだったの)」
ルティーナは話しているうちに、重要なことを思い出す。
「(そう! 光ってたの! 何かが)」
(光る?)
「(拾おうとして……足を滑らせて……? なんで崖にいたの、私)」
(……)
記憶は、そこで途切れている。
(重要な情報だな……)
(だが無理に思い出さなくていい。いずれ繋がるさ)
「(……うん)」
やがてアンナは、ルティーナは動けないことを察し、流動食を用意するために部屋を後にした。
泣き止まないバルストを引きずるようにして。
――静寂が戻る。
(……さて、もう少しこの世界を俺は知っておくべきだな)
馬琴は、両親について尋ねた。
二人は元冒険者。
結婚を機に、アンナは引退し家庭へ。
バルストは剣豪として名を馳せ、その実績でノモナーガ王国の近衛兵団に転職。
ルティーナには魔法の素質が全くなく、バルストの願いで女剣士として育てられた。
七歳から剣の訓練を受けていたという。
(なるほど――)
そして、とある疑問が浮かぶ。
(言葉が通じている? 両親の会話も理解できた)
(つまり、この世界の言語は『日本語』――なのか?)
「ゲンゴ? ニホンゴ? なよそれ」
(違うのか?)
ルティーナは首を傾げる。
「私の言葉? もしかして『ムルシア語』のこと?」
(聞いたこともないな……)
だが違和感なく、理解できている――
結論。
(俺の意識はルティーナの意識の中にいるから、認識を共有している感覚なのだろう)
さらに疑問――『7年』というキーワード。
年月という概念が存在している。
「一年って365日だよ」
(……俺の世界と同じだ)
だが、決定的な違いがあった。
年号の概念がない。――つまり365日数えたらそれで終わりということ。
一日は、太陽が昇って沈んで、そして次の太陽が昇るまで。
太陽が昇って沈むまでは一から十二の時と数える。
(……曖昧だな)
「お父さん達は五十歳ぐらいだと思うって言ってたし、誕生日も適当だよ」
(それじゃルナは? 本当に十一歳なのかい?)
「何よ! ちゃんとお父さん達が一日一日数えてくれてるんだから間違いないわ!」
「それに、今は十八歳よ! 寝てた分も入れてだけど」
(その見た目でか?)
「うるさい!!」
空気が少しだけ軽くなる。
「それよりマコトは、いくつなのよ」
(に、二十九歳だが――)
「やっぱり、おじさんじゃん」
(ぐっ……)
――その時だった。
小さな違和感。
「……あれ?」
(どうした)
「動くわ!」
指先。
手。
腕。
わずかに……確かに動いた。
(さっき揉みくちゃにされたからじゃないか?)
「ねぇマコト、喉が渇いちゃった……」
アンナ達が去ってからまだ十分も経過していない。
まだ戻ってくる気配もない。
ルティーナの視線が動く。
机の上。
水差し。
「あそこまでなら、行けそうかも」
(無理はするなよ)
ルティーナは我慢できず、ぎこちなく身体を起こす。
重い。
思うようにはまだ動かせない。
それでも――
ルティーナは、苦しいそうな素振り一つ見せずに笑っていた。
七年ぶりの自由を、確かめるように。
腕で身体を引きずり、ベッドから這い出す。
――七年の空白を越えて。
ルティーナは今、再び立ち上がろうとしている。
そして――
この一歩が。
やがて『真理』へ繋がるきっかけになることを、まだ誰も知らない。




