第136話 意識操作
ルティーナは馬車を確保するため、早速、ヘギンズの家を訪ねた。
ロザリナが誘拐されたこと、そして一刻も早く助け出したいことを伝えると、ヘギンズは大きく頷いた。
「ロザリナが攫われただと?」
「そんな話なら断る理由なんざねぇ! 馬車はすぐに出してやるっ!」
馬車は傾き始めた陽を背に街道を駆ける。
目指すは、ロザリナが監禁されている可能性の高い峠の一つ。
「しかしアンハルトよぉ~」
「お前ら『碧き閃光』にも専用の馬車があるだろ?」
「あっちは今、グルバス達が使ってる。もう一つの峠へ向かってる最中だ」
「そうなのか」
ヘギンズは納得したように頷く。
しかし、ふと別の疑問が頭をよぎった。
「そういやルナリカ、お前なら空を飛んで行った方が早いんじゃねぇのか?」
ルティーナが苦笑しながら答える。
「やっぱり、そう思いますよね……」
馬琴は自然な流れで説明をするようにルティーナに伝える。
「そうか……ヘレンは知っていたのか?」
アンハルトが少し驚いたように尋ねる。
「すみません。空を飛べることは秘密にしてほしいとお願いされていたので……」
「あ、サーミャに口止めされてたんだ! 悪りぃ……つい」
ヘギンズはルティーナに頭を下げる。
アンハルトは理解を示す。
「サーミャの転移魔法もそうだが、そういう切り札は他言無用だってことくらい分かるさ」
ルティーナはほっと胸をなで下ろした。
「もちろん、秘密が知られてでもリーナを助けることが最優先です」
「でも、長距離を飛ぶと体力の消耗が激しいんです」
一度息をつき、続ける。
「しかも、現地に着いたらすぐ戦闘になる可能性があります」
「それに、救出したリーナを運ぶ切り札ですよ」
「なので今回は、ギンさんにお願いしたんです」
すると、御者台でヘギンズが肩をすくめる。
「ったく、お前達は俺を信用しすぎだぞ」
その言葉に、ルティーナは小さく笑った。
「えへへ……腐れ縁ですから」
「なんだそりゃ」
ヘギンズも思わず吹き出し、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
とはいえ、目的地まではまだ数時間。
体力を温存するため、御者をヘギンズへ任せ、一行は交代で休息を取ることにした。
――だが、ルティーナだけは眠れなかった。
窓の外を流れる夜の景色を見つめながら、彼女の頭の中では別のことが渦巻いていた。
(どうして……リーナが誘拐されたんだろう)
以前、シェシカもドグルスに狙われていた。
だが、その時は監視されていただけで誘拐まではされなかった。
その違いが、どうしても引っ掛かる。
「(シャルの過去視で見た、光魔法を使える者を集めていたから?)」
(騒ぎが大きくなるのを避けて、今までは監視だけに留めていた……?)
「(じゃあ、リーナは誘拐しなければならない特別な理由があったってこと?)」
そう考えると、一つの事実が浮かび上がる。
ルティーナ達がタリスの依頼で『オブシディアン・ストーン』を宿へ運んだ、あの日。
あの時点ですでに、ロザリナを狙う者達は隣の部屋を押さえていたことになる。
しかし、それでも腑に落ちない点があった。
(シャルが気づけなかった理由は……?)
シャルレシカなら、索敵を使わなくても二十、三十メートルほどの距離であれば、自分達へ向けられた悪意を感じ取れる。
それなのに、誰一人として気づかなかった。
(そういえばシャルが残留魔力がないと言っていたな……)
(一般人を操れば……悪意は本人のものじゃない)
「(うーん)」
ルティーナは腕を組み、静かに目を閉じる。
窓の外を見つめたまま考え込むルティーナの様子に、ヘレンが心配そうな声を掛けた。
「どうしたのルナリカ? ロザリナさんのことが心配で眠れないの?」
「……うん。それもあるんだけど、少し気になることがあって」
そのやり取りで目を覚ましたアンハルトも、ゆっくりと身を起こす。
「お前ら、ちゃんと休んどけよ!」
御者台からヘギンズが苦笑混じりに声を飛ばす。
「現地に着いたら休む暇なんてねぇんだろ?」
「すみません、ヘギンズさん」
ルティーナは申し訳なさそうに笑うと、改めてヘレンへ視線を向けた。
「ねぇ、ヘレン」
「闇魔法について、少し教えてほしいの」
「いいですよ」
「悪意や気配を消すような魔法ってあるのかなって」
ヘレンは少し考え込み、知っている範囲で説明を始める。
「まず、自分の姿や持ち物を見えなくする『ダーク・インビジブル――隠蔽――』という魔法があります」
「それとは別に、気配そのものを消す『ダーク・バニッシュ――透明化――』もありますよ」
「それって、悪意は消せるの?」
「使い手に寄りますけど、『ダーク・バニッシュ』なら極限まで消すことができますね」
しかし、ヘレンは頬に手を当てる。
「この魔法は魔力の消耗が激しいので、長時間の維持はできないですけどね」
「なるほど……」
ルティーナは静かに頷く。
やはり、それだけでは説明がつかない。
誘拐犯達は宿へ潜み、長時間様子を窺っていたはずだ。
もし『ダーク・バニッシュ』だけなら、途中で気づかれていてもおかしくない。
(やはり、一般人か)
「確か、『ダーク・マニピュレート――洗脳――』って、条件が揃えば人間も操れるんだよね?」
「そうですね。私には無理ですけど……」
「文献では、一度術を仕込めば一人ずつ好きな時に操れるそうです」
その言葉を聞いた瞬間だった。
馬琴の思考が、一つの答えへ繋がる。
(もし無関係な旅人へ、あらかじめ術だけを仕込んでおいたら……)
(誘拐する瞬間だけ意識を乗っ取れば、その人物自身に悪意はない)
「(つまり、シャルにも感知できないってこと?)」
ルティーナは静かに息を呑んだ。
それなら、宿の近くに怪しまれることなく人員を配置できる。
『ダーク・バニッシュ』を長時間使う必要もない。
すべて辻褄が合う。
――だが。
(待って……)
すぐに別の疑問が浮かぶ。
「(誘拐犯は三人組のはずよね?)」
(そうだな……一人しか操れないなら、もう二人には悪意が残るはず)
それなら、シャルレシカが気づかなかった説明にならない。
「(あとから合流した……?)」
(カルラちゃんに宿泊名簿を確認するべきだった)
ルティーナはゆっくりと拳を握る。
まだ確証はない。
だが、可能性として切り捨てることもできなかった。
ヘレンが小さく呟く。
「洞窟で待ち構えている相手が、ただ操られているだけの一般人という可能性もあるんですね」
「それもあり得る……仲間が待機している可能性もな」
アンハルトも真剣な表情で頷く。
ルティーナはヘレンに質問を続ける。
「ところで意識操作を解除された人間って、記憶は残るの?」
「そうですね。若干個人差はあるみたいですが、覚えてないらしいですよ」
ルティーナは静かに目を閉じる。
(でも……)
(今、意識操作を解除するとは思えない)
ロザリナを誘拐した張本人が我に返れば、それだけで計画は破綻するからだ。
(つまり、犯人はまだ操られたまま……)
だとすれば――。
その考えが脳裏をよぎり、胸の奥が重く沈んだ。
一方、ルティーナ達の馬車の後を走りながら追いかけるダブリスとフェンガの影があった。
「シャルレシカが別働というのは好都合でしたね」
「あぁ、これなら『ダーク・バニッシュ』も使わずに追跡できるからな」
「しかしフェンガ、なぜ王はあの小娘を――」
「ふっ、ダブリス。野暮なことを……王の趣味に口出しなんて」
「……」
「(ノキア……お前は何を考えているんだ)」
「ん?」
「いや、なんでもない」
「見失うなよ! 今回の失敗は『死』と同義だからな」
「はっ」




