第117話 「スレイナ」ノ魔手
ルティーナたちがアジャンレ村に向かって最後の飛翔をする頃に遡る――。
ロザリナとエリアルは、ガイゼルの納品が終わりノモナーガへの帰路についていた。
特に魔物に襲われることもなく、馬車内にはどこか安堵した空気が流れていた。
「あの山をこえたらすぐだから、今日の夜には戻れそうだね」
「そうね」
ロザリナは小さく微笑む。
「ルナたちは無事に着いたでしょうか?」
「それとも、まだ飛んでる頃かしら?」
エリアルも窓の外へ目を向ける。
「ルナって年齢的には同い年だけど、実際は十一歳の女の子だもんね」
「母さんたちに会えたら、帰ってきたくないとか言い出したりして……」
ロザリナの顔が緩む。
「あはは……それ、ありえるわね」
エリアルが苦笑する。
「でも、ルナが聞いたら怒りだしそうですね」
そんなやり取りを聞いていたガイゼルが笑った。
「お前ら、本当に仲がいいな」
「そうですか?」
ガイゼルは手綱を握りながら空を見上げる。
「俺にもな昔よく護衛してくれた男がいてな……つまんねぇ護衛で死んじまったんだけどな」
「よく、笑いながら話してた――」
「……ん?」
遠くを見つめながら、表情を曇らせる。
「どうかしました?」
「雲が――」
黒い雲が地平線を埋め尽くしていた。
遠くの空は昼だというのに夜のように暗い。
「ありゃ相当でかい雨雲だぞ」
ゴロゴロゴロォォォ――。
直後。
雷鳴が轟く。
さらに数分後。
空が崩れ落ちたかのような豪雨が襲い掛かる。
ザバァァァァァァァァァーーーーッ!!
「うわっ!」
「これは……」
視界が一気に白く染まり何も前が見えない。
雨粒が地面を叩く音だけで耳が埋まる。
馬も落ち着きを失い始めていた。
「まずいな……」
ガイゼルは周囲を見回す。
「このまま峠に入るのは危険だ」
「近くの岩場に避難だ」
その様子を土砂降りの雨の中、監視する者たちがいた。
十人の人影。
そして――
スレイナ。
彼女は雨に濡れながら不気味に微笑む。
「フフッ……」
「情報どおり五人で行動していないのは本当らしいね」
「何をたくらんでいるんだ?」
護衛は二人だけ。
違和感はあった。
事前にシャルレシカの索敵で警戒して罠が張られている可能性も考えた。
それでも。
この天候は好機だった。
「偶然とはいえ……最高のタイミングね」
ゲレンガの薬。
その成果を試すには十分すぎる。
「さぁ、お前たち……準備なさい」
一方。
岩場で雨宿りしていたロザリナたち。
豪雨はさらに勢いを増している。
「参ったなぁ」
ガイゼルが頭を掻く。
「もう日が暮れちまったぞ……止む気配が全くねぇ」
「まいったなぁ、帰りは明日の昼過ぎになっちまいそうだ」
「すまんな、おまえらルナリカと合流予定だったんだろ?」
「大丈夫ですよ」
ロザリナは苦笑した。
「私たちは、どこにいても合流できますから」
「は?」
ガイゼルが首を傾げる。
「どこにいても?」
「その時になればわかりますよ」
エリアルは笑顔になる。
「なんだよそれ」
その時だった。
ロザリナの表情が凍り付く。
「……っ!」
「どうした?」
「前方です!」
土砂降りの向こう。
「何か近づいて来ません?」
最初は、雨に打たれている旅人かと思った。
だが違う。
巨大だった。
異様だった。
そして。
見覚えがあった。
「巨大なデーアベ……!」
それだけではない。
エリアルも目を見開く。
「あれは……!」
「イスガで見た……人間の魔物」
ガイゼルの顔色が変わる。
「なんだよあれ! お前ら知ってんのか!?」
「説明は後です!」
ロザリナが叫ぶ。
「とにかく馬車を出して逃げてください!」
だが。
馬は豪雨で怯えていた。
視界もほぼない。
思うように進まない。
そして。
逃走経路の先に立ちふさがる巨大な影――。
「だめだ!」
「囲まれた!」
エリアルが剣を抜き、馬車から飛び降りる。
「僕が出ます!」
「リーナ、ガイゼルさんの護衛をお願いします!」
人間の魔物。
あれは薬で変異した者たち。
もはや躊躇は不要だった。
「ロザリナ!」
ガイゼルが叫ぶ。
「何が起きてる!」
ロザリナは一瞬だけ沈黙した。
「以前、新種の魔物が発生しているとギルドで報告がありました」
「その類だと思います」
「対峙したことがあるので安心してください」
「そうなのか……」
ロザリナはガイゼルを不安にさせまいと嘘をつく。
「お前らを雇って正解だったな」
「でも最悪の場合は、ガイゼルさんだけも逃げてください」
「断るっ」
「おれはお前らを信じる」
即答だった。
ロザリナは思わず苦笑する。
戦闘が始まった。
デーアベ三体。
さらに人間体の魔物が七体。
その大半がエリアルへ殺到する。
「来いっ!」
剣閃が走る。
だが敵は止まらない。
斬っても再生する。
しかも豪雨。
――氷の剣は自滅行為になる。
「ならっ!」
「『ソード・オブ・ヴォルケーノ』!!」
(【炎】)
炎が剣の上を走る。
しかし。
豪雨が全てを呑み込む。
白い蒸気が爆発した。
「しまっ――!」
視界がさらに悪化する。
「エル!」
「大丈夫ですか!」
「問題ない!」
エリアルは剣を構え直す。
だが状況は最悪だった。
(氷も火も駄目……)
(なら、水を使うあの魔法のイメージ――)
この豪雨そのものを利用する。
トモミの力。
剣の可能性。
エリアルは目を閉じた。
「(応えてくれ……トモミさん)」
「『ソード・オブ・メイルシュトローム』っ!」
(【渦】)
瞬間。
周囲の雨が意思を持ったように集まる。
巨大な水流。
そして、激流となる。
エリアルの一振りの剣は、戦場を飲み込んだ。
ドォォォォォン!!
四体の魔物が宙へ舞う。
そのまま空高く巻き上げられ、
地面へ叩き落とされた。
激流は再生する間も与えず、魔物たちを押し潰した。
「よしっ!」
一方。
ロザリナもまた圧倒していた。
拳撃でデーアベを沈め。
最後に残った人間の魔物へ向けて手をかざす。
「仕方ありませんね! 悪党に使う義理はないのですが――」
「『シャイン・レストレーション――再生――』っ」
光が奔る。
魔物たちは断末魔すら残せず緑の液体にまみれながら豪雨の中、洗い流されるように消滅する。
そして、豪雨だけが降り続く中の静寂。
「終わった……」
エリアルが息を吐く。
ロザリナも肩の力を抜いた。
ようやく。
終わった。
そう思った。
その瞬間。
ゴロゴロゴロォォォ――
空が唸る。
そして。
ズドォォォォォンッ!!
天を裂く落雷が轟いた。
二人は反射的に雷が落ちた場所を振り返る。
だが。
その雷鳴は。
これから始まる本当の悪夢の前触れに過ぎなかった。
黒煙を上げる馬車と、その傍らに倒れたガイゼルの姿があった。
「ガイゼルさんっ!」
「ガイゼルさぁぁんっ!」
二人は泥を蹴散らしながら駆け出す。
豪雨に打たれながら近づいた先で見たものに、エリアルの顔から血の気が引いた。
全身が黒く焼け焦げている。
ピクリとも動かない。
さっきまで暖かく鼓舞してくれたのに――。
「ガ……」
ロザリナは言葉が続かない。
「リーナっ!」
エリアルが叫ぶ。
「急げっ! 君なら助けられる!」
「わかってます!」
ロザリナは震える手をガイゼルへ伸ばした。
「『シャイン・レストレーション』っ!」




