誘い
「つ、疲れた…」
エルと共に城下町まで買い出しに行ったリースは疲労困憊で宿に戻ってきていた。当面の必需品を買い込んだので荷物は多かったし、かなりの距離を歩いたのだから当然と言えば当然だが。
エルと一緒に街を歩いてみて、いくつか分かったことがある。まず一つにエルはおそらくリースのことをリース以上に知っている。知っている、と言うよりも『見ている時間が長い』のだろう。初対面のはずなのに、リースの一挙一動や好みを短時間でよく把握していた。彼の観察力が優れているという可能性もあるが、それにしてもたかが半日の外出でそこまで他人の事が解るものだろうか。
次に騎士団の動き。城下町の市場に買い物へ行った際、あちこちで耳にしたのが『騎士団の王族捜索隊が第一王子、第五王女の最後の捜索を開始した』ということだ。
リースは知らなかったが、二人は森に住まう鳥たちを伝書鳥として調教していたらしい。そのためリースが予想していたよりもはるかに速く騎士団が行動を起こした。だが探索隊はどうやら城下町よりも国境付近の森や山、谷など人目につきにくい場所を重点的に調査しているようだった。それなら、あまり心配しなくても良いかもしれない。
おそらく二人は王族の捜索の名目でリースを捜しているのだろう。しかし二人はリースが国外に逃げたか事故に遭ったかとでも思っているのだろうか。いや、単純に部隊を動かすのに城下町を重点とするわけにも行かなかったのだろう。行方の分からなくなった王族が十年近く経った今、まともに考えて国内に生きている確率は低い。それならやはり国外に逃げたか、どこかで死んでいるかになる。後者の場合は死体はとっくに風化しているだろうが、何かの痕跡が見つかる可能性はあり得るのだ。捜索隊は十分視野に入れて動くだろう。
騎士団の動きがこのままいくのならば人目の多い城下町にいた方が得策だ。
ふう、とため息をついてベッドに倒れ込むと自然と瞼が下りてきた。
高笑い、悲鳴、怒号…広く豪奢な暗い部屋で一人震える少女に突き刺すように、それらは大きく響いていた。ベッドの上で震える『自分』は小さな希望を待っていた。はやく、はやくと呟きながら青空の瞳に絶望をいっぱいに広げ雨を降らせる姿に『その』風格はなかった。
止むことのない残響は一体『自分』が何者で、どんなものを拠り所としているのかさえも記憶から消していた。
ただ、たった一つだけの希望を待ち望んでいた。壊れたオルゴール人形と化していた『自分』の唇からは心地の良い歌が紡がれていた。嗚呼、この曲は何という題だったかと思考を巡らせ、狂ってしまわないように気を紛らわせていた。いつか誰かが自分のために歌ってくれた優しい曲も、この真っ黒な絶望だらけの世界ではただの精神安定剤に成り下がっていた。
時折一層大きく、強くなる耳障りな音は身も心も石にしてしまうかのように部屋に響く。
指の先まで力が巡り、上質なシーツをきつく握りしめる。
不意に飛び込んでくるノックの音。
珍しくもないその音で心は救われるようだった。これか、これだったのか。『自分』が求めていた希望というのは。
意識が覚醒する。呼吸が荒く、いやに汗をかいていた。また変な夢を見ていた。それも今度は『気がする』のではなく『見ていたことをはっきりと思い出せる』のだ。どんな夢だったかも、断片的にではあるが覚えている。
重い体を起こすと部屋にノックの音が響く。エルだろうか。
「はい。」
時計を一瞥すると夕食時を過ぎた時分だった。扉に目を戻すとほぼ同時にエルが部屋に入ってくる。
邪魔するぞ、と律儀に言葉をかける彼の仕草はどこか緊張状態にあるように思える。一体何の用だろう。
「エルさん。どうかなさいましたか?」
「突然すまないな。少しばかり相談があるんだ。」
マントで隠れた口元から彼の表情は読めない。しかし彼にとって重要な要件だということは容易に想像がついた。一体何の用だろうか。
「相談ですか?私でお力になれるかはわかりませんが…」
「それでも聞いてもらえれば助かる。それに、これは恐らくだが、リーフにしか聞けんことだろうからな。」
自分にしか聞けないこと…一体何だろうか。大抵のことなら酒場で酒を楽しんでいる面々に聞けば分かるはずだ。酔っ払いなど懐が深い物が多いだろうし、ましてやエルのように旅をしているようなら、そういった酒場にいる人との距離を縮めるのは得意な方だろう。それが何故自分なのだろうか。
「………そういう事なら…お聞きしますよ。良い答えを出せるかは…分かりませんが…」
「ありがたい。…まあ、『相談』というよりも『頼み』なんだが……俺と手合わせを願えないか?」
手合わせ、と聞かれてハッとする。確かに自分は剣士だが、何故彼はそれを知っているのだろうか。自分の剣は魔法で透明化した上で隠し持って歩いていた。余程魔力に精通した者でなければ剣士であることは知られないはずだ。エルからは魔力を感じ取れない。だというのにこの男は自分が剣士だと知っていた。そういえばこの宿にきて初めて彼と会話をした時も彼は言っていた。『強い剣士になったようだ』と。
やはりこの男は知っている。リースのことを、とても深く。
手合わせの申し出だって意図がつかめない。自分はエルにとって何なのだろうか。目的は、ここにいる理由は。エルという男の存在が蜃気楼や吹雪のようにぼやけていく。だというのになぜか彼を危険だとは思えなかった。レンクやアマロに言えばまた『警戒心がなさすぎる』と言われてしまうかもしれないがそれでもエルに悪意や敵意、脅威の類はどうしても感じられないのだ。
「…………手合わせ、ですか」
「ああ」
一体この男は何を考えているのか、リースには分からなかった。もしかしたらただ純粋に、剣士としての自分を気になっただけなのかも知れない。いずれにせよ、今すぐにどうこうしてやろうという考えは無いようだった。
「………わかりました。」
「…いいのか。」
「はい。私が戦士だといつお気づきになられたのかはわかりませんが……」
「……感謝する。場所は…」
「城下町の噴水広場はどうですか?」
「いや、それは避けたい。端から見たら女性に襲い掛かる暴漢になってしまうからな…確かこの宿には稽古場があったはずだ。そこを借りてこよう。」
過去に経験があるのか、はたまた想像して肝が冷えたのか、口元の布を上げて顔を隠すエルの表情は少し青ざめていた。無表情かと思っていたが案外表情豊かなようだ。
そういえば彼は一体いくつなのだろうか。身長だけ見ればまだ十年も生きていない子供のように見えるが物腰や体つきは大人のそれだ。声も男性にしては少し女性らしさがあるので下手をすれば年齢どころか性別も分からないのではないだろうか。
「そういえばエルさん、失礼ですけれど年はおいくつなんですか?」
少々不躾な質問かもしれないがリースはエルと違い彼のことをよく知らないのだから、これくらいの質問は許されて然るべきだと思う。
「あぁ…そういえば言っていなかったか。17だ。」
「17歳ですか?私と同い年だったんですね…かなり確りしていらっしゃったのでてっきり年上かと思いました!」
「…それは低身長な男への嫌味か?」
「す、すみません…」
茶化すような口ぶりから機嫌を損ねたわけではなくただの冗談だろう。知り合ってからたった半日だが、まさかもう彼は自分に心を開いているのだろうか。
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次回投稿を楽しみにお待ちください。
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