鐘の記憶
遠くから鐘の音が聞こえる。規則正しく鳴るその鐘の音は、幼い頃からずっと聞いていた音だった。鐘は城の時計塔で鳴っている筈なのにとても遠くに聞こえるのは、きっと私が室内にいるからというだけでは無い。『私』は空色のドレスを身に纏って、長髪の少年の後ろに立っていた。
外から聞こえる群衆の声、獣のような雄叫びが、この革命を現実のものだと証明するように鐘の音をかき消していた。今まで幾度となく失敗しているのだ。先導者も無く、もはや暴動に成り下がりつつあるその『革命』は形振り構わない物になっていた。
「多分、あの人達はここに来るよ。」
赤毛の少年が重い口を開いた。頭の回転の速い彼だ、あの騒ぎ立てる大人の群が何を目当てに動いているのか分かっているのだろう。
「でも、このまま外に出たら殺されちゃうよね………?」
神父服の少年が不安げに言葉を繋ぐ。赤毛の彼は黙って頷く。
「父上は………俺たちを生かしているのは利用価値があるかも知れないと考えているからだ。でも、今の父上はかなりおかしくなってしまったから……もう容赦はしないだろうな。」
長髪の彼は相変わらずこちらに背を向けていてその表情は見えないままだ。嘆いているのか、怒っているのかも分からない無感情な声に絶望すら感じる。知らないはずなのに『このままでは殺される』と知っていた体が微かに震えた。
「革命軍は多分、二人を助けようとしてるんだと思う。………このままお城に置いておいたら殺されるか、もっと酷い王族になるかも知れないから。」
嗚呼、そうだ。何がきっかけかは分からないがこの国の王は、『父』は狂ってしまった。その狂気は育ての娘を、実の子供を、自身の跡継ぎを、躊躇いなく殺すほどに強くなっている。狂った父は邪魔立てする存在を徹底的に排除しようと考えているのだろう、だから姉達は、今まで父の暴政を止めようと革命軍を率いてきた。だが、その姉も一人、また一人と戦死してしまった。
「どうするの…?このままここに居ても外に逃げても………」
その先は言いたくない、とばかりに唇を噛む神父服の少年はどこか瞳が潤んでいるように見えた。どちらにせよこのまま自分たちを待っているのは死であることを中々受け入れられないのだろう。戦場で命がけで戦う訓練を積んでいるとは言え、7歳の子供にとって死は簡単に克服できるような物では無かった。
「もう終わりは近い。今や父上にとって、跡継ぎは自分の政治を揺るがしかねない不穏分子になった。今だってあの騒動を鎮静化するのが優先されているだけで、それが済めば俺たちはきっと殺されてしまう。それで無くともこのままあの革命軍について逃げたとしても、きっと革命軍には食べ物も身を守る物もほとんど無い。今のこの国に、俺達にとって安全なところなんてどこにも無いんだ。」
弟は受け入れがたい現実を、恐ろしいまで冷静に分析していた。
「姉上は、どうしたい?」
それまで背中を向けていた弟が振り向き私を直視した。私とよく似たその顔には冷淡な、それでもどこか挑戦的な表情を浮かべていた。
「逃げても、ここに残っても死んでしまうなら、どうするのが一番だと思う?」
視線が集中する。ここに居る誰もが私の選択を待っていた。私自身さえも、私の選択を待っていた。
逃げても死、ここに居ても死が待っている。駄目だ、自分が死ぬのは天寿を全うした時か、多くの国民に死を望まれるその時だけだ。私の死に場所はここじゃ無い。
そう思うと自然と背筋が伸びた。今まで霧のように胸の内を支配していた不安が嘘のように消えた。
ここで死ぬ訳にはいかない。それなら例え賭けになっても逃げた方がいい。
弟はそれを察したのか、薄く口角を上げた。
「逃げるよ。」
静かに、しかしはっきりと口にすると、不思議と何でも出来るような気がした。外に逃げても危険なことには変わりない。しかし革命軍の元に走ったところで、真っ先に捜索されて直ぐに見つかってしまうだろう。ここに残るという選択は論外。となると、残る選択肢は一つだった。
「ここから逃げて、誰も知らないところで暮らそう。」
自分がどれだけ突飛な事を言っているのかは分かっている。それだって死にに行くような物じゃないかと言われてしまっても仕方ない。それでもほぼ確実に捕まって殺される道と、このまま殺される道よりは遥かにましだった。幸いなことに、ある程度の自給自足の教養はある。必要な物さえ持ちだして逃げてしまえば、まだ生き残れる。この酷く腐敗した国を変えるにしても放置するにしても、ここで死ぬわけにはいかなかった。王族である自分は国がより豊かになるために生きている。死ぬのはいつだって出来る。もしこの国が自分の死を望んだのならば、その時は処刑でも何でも受ければいい。そうでないなら、まだ死ぬわけにはいかない。
「無茶だと思う?」
口角が自然と上がる。無茶かどうかなんて自分にも分からなかった。ただ、どこかにいる誰かに『この選択は間違いじゃ無い』と、背中を押されたような気がした。
「無茶じゃ無い。」
弟が同じ笑みを浮かべて答えた。いつだって彼の言葉には根拠と自信があった。だから、今回もきっと大丈夫。
「俺に秘策があるんだ。」
ニッと笑う弟の言葉は想像を超えるものだった。
「俺の魔法を使う。」
一瞬理解が出来なかった。弟は魔法を使える人間じゃ無い。魔法を使えるのはある種の体質、魔力を持つ人間だけだ。弟にそこまでの魔力は無いはずなのに、何を言っているのだろう。
「一つだけ使えるようになった魔法があるんだ。これでこの状況を打破出来るかも知れない。」
にこやかに微笑む彼に他の二人も中々思考ついて行けないらしい。
「俺はね、姉上。姉上を守る為なら何だって出来るんだ。例えそれが邪神に縋るような真似だって。」
向かい合って立つ弟は何かを決意していた。
「姉上、『運命操作魔法』というのは聞いたことがあるか?」
運命操作魔法、おとぎ話で神が使う魔法だ。
「それが邪神に頼って唯一使えるようになった、俺の魔法なんだ。これがあれば、ここに居るみんな『見つからずに生き残る』ことができる。だからここに居る四人、誰も死なずに済む。」
そうして弟は向かい合ってそっと頭に手を置いた。
「………ただ、俺のことや今日のこと……姉上の素性に関わる全ては、忘れた方がいい。その方がきっと逃げやすい。」
目を見開いた。何故そんな事を言うのだろう。弟のことを忘れる?確かに何もかも忘れてしまった方がいざ見付かった時に知らぬ存ぜぬが通用しやすいかも知れない。でもそんなの余りに残酷ではないか。大切な家族のことを全て忘れてしまうなんて。
「いやだ…いやだよ……」
ゆっくりと頭を振る。外で起こっている異様な出来事。刻一刻と近づいてくる脅威はまるで猛獣のうなり声のように、部屋の中にこだました。
「…時間がない。早く逃げないと今度こそ本当に……」
窓の外を見ている神父服の彼にはこの建物に向かってくる大勢の大人が見えていた。雄叫びを上げてそれぞれの武器を振り上げるその姿には明らかな敵意が見える。この部屋にたどり着くまで幾度となく見つかりそうになったのだから、もはやいつ捕まってしまってもおかしくはない。
「いやだ!!私はリーフのこと忘れたくない!!」
大声で叫ぶと赤毛の少年が少女に優しく寄り添う。
神父服の少年は窓から離れ、クローゼットから外套を取り出し少女にかけた。
目の前に立っている弟は優しい表情を見せると額に手を乗せる。柔らかな光が視界に満ちる。少しずつ意識が遠くなる。王女として生きてきた、その記憶が一枚一枚の破片になって剥がれていく。今目の前に見える複雑な笑みですら、痛みもなくぺりぺりと剥がされていく。
「必ず、迎えに行くから………」
最後にそう聞こえた気がした。
次に見えた映像は、おそらくその後の部屋の中だろう。部屋の中に四人の少年少女、弟は自分であろう少女を支えるようにして立っていた。
「リーフ………」
「いいんだ。こうした方が逃げられる。生き残れるならそれだけで勝ちだ。」
力が抜けたように笑う。気を失ったのか、少女は目を閉じたままだ。
「…あと、俺がすべきことは二つだけだ。」
「…二つ?」
赤毛の少年は首を傾げる。神父服の彼もリーフを見つめる。
「…最初で最後の『命令』だ。………姉上を連れて、生き延びろ。」
「…リーフだって、一緒だよ?」
「いや、俺は時間を稼ぐ。」
からりと笑ってみせるリーフは何てことないようにそう言った。
「なんで…?!早く逃げなきゃ本当に死んじゃうよ?!」
神父服の少年が耐えきれないとばかりに叫ぶ。当たり前だ。生き残るために逃げようと提案したのも、その作戦を出したのも彼だというのに。
「革命軍の目的は俺たち双子だ。ならその片割れが出てきたら真っ先にこちらを追いかけてくる。時間稼ぎくらいにはなるだろう?」
大丈夫だ、とにこやかに言ってのける彼はまるで何の心配もしていないようだった。
「だって、俺は運命を操れるからな。…まあ、流石に四人とも『既に逃げ出していたこと』にするには、俺の力は足りない…だから三人が逃げられるまで時間を稼ぐ。その後、俺がこの魔法で逃げればいい。」
「リーフも逃げようよ!」
神父服の少年はもうやめてくれと言わんばかりに叫んだ。おぼろげな記憶しかない、ぼんやりとした頭でも四人がとても仲の良い友達であることはなんとなくわかった。
______違う。そうではない。『私』はいつも彼らと共にいた。四人はいつだって一緒にいた。大事な友達、その名を思い返す。ああ、そうか。自分の事を命懸けで守ってくれた親友は、こんな身近にいたのか。
「分かってくれアマロ。これが一番勝率の高い方法なんだ。これ以上の策は俺には浮かばない。それは二人だってそうだろう?」
幼き日のアマロは今とは別人のように瞳に涙を浮かべていた。
赤髪の少年、レンクもどこか諦めの色をその顔に宿している。頭の良い彼のことだから、きっとリーフの言葉が正しいと理解しているのだろう。
「大丈夫。きっと何とでもなる。どうにもならなくなったときは賭けでもなんでもやらないよりはましだ。最悪の場合は死ぬんだから、これ以上最悪な状況なんてあるわけない。成功したら生き残れるし、失敗したら運命だと受け入れられる。」
傍から見ていても、リーフの落ち着きぶりは異常だった。何故、たかだか7歳の子供がこんなにも達観できるのだろう。王族としての矜持か、それとも策がある事からの余裕なのか。
「さあ、無駄話は終わりだ。アマロ、これを持っていってくれ。スカイウォーク家が建国祝いに王家に捧げた石だ。お前なら使いこなせるだろう?無事に逃げ切れたら、それで連絡する。だからそれまで待っていてくれないか?」
信じろ、と目で語る。覚悟を決めた目だ。
「………絶対に生き残ってね。絶対だからね。」
「レンク?!」
「ああ、約束する。そっちこそ姉上のこと、頼んだからな。」
「待ってよ二人共!!」
レンクは意を決して脱出口へと消えていった。勿論気を失ったリースを抱えて。
「レンク!!」
アマロは何度もリーフとレンク達を交互に見つめ、やがて振り切るようにレンク達の後を追う。
「………すまない。」
誰もいなくなった部屋で呟いた言葉は泡沫のように不安定に揺れて消えた。
閲覧ありがとうございました。
次回投稿を楽しみにお待ちください。
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