日常?
「…っはぁ!!」
勢い良くベッドの上で起き上がると、彼女は肩で荒い息をした。窓から差し込む陽光が美しく輝く。遠くに見える城から響く鐘の音と小鳥のさえずりが、この森の一日が始まったことを知らせていた。荒くなっていた呼吸をゆっくりと整え、一つため息を吐く。
「…なんだか、とても嫌な夢を見たような……でもどんな夢だったかな…?」
白いネグリジェのまま、身を守るように肩を両手で握りベッドに座る。どこか懐かしいような、それでいて恐ろしい夢だった気がする。妙に現実味がある異様な夢だったのに、その内容はどうしても思い出せなかった。
「………思い出せないなら、それでいっか。」
恐ろしい夢も、それを覚えていないこともよくあることだ。そもそも自分には、とある時より前の記憶が無い。そんな些細なことよりも、今は朝の仕度をしなくては。
彼女の名はリース。森の奥に建てられたこの家に住まう剣士だ。
巨大国家、ハーティームーン王国にはそのお国柄多くの戦士や魔導士が暮らしているが、勿論リースもその一人だ。名の知れた戦士、という程の知名度は無いのだが、彼女は少し離れた集落で度々仕事をもらっていた。その内容は実に多種多様で、剣の稽古は勿論、この前は一人暮らす老人の話し相手を5時間もし続けていた。リースはリースで、他人と話す事は苦ではなかったし、それでお金や食料を頂けるなんてありがたいと、出来ることはどんどん引き受けていた。そうして日々の食い扶持を稼ぎながら、リースは二人の幼馴染と協力しながら暮らしていた。
家事はそれぞれ当番制で回しているが、今日はリースが食事当番の日だ。ベッドを出てネグリジェから水色の服に着替え、足早に階段を駆け下りキッチンへ向かうと、テーブルには既に友人の一人の姿が見えた。
「あ、おはようリース!」
「レンク、おはよう」
綺麗な赤毛を持つ彼の名はレンク・ポシーダント。この国の第一騎士団の指揮官である。
椅子に座る彼は得意の水魔法で小さなイルカを作ると、リースの周囲をじゃれるようにクルクルと遊ばせた。
誰からも好かれる海のような包容力は、海辺の出身だという事と関係があるのかもしれない。レンクのことを知る人の中には彼を『海の化身』と例える程に、レンクは人としても尊敬されていた。確かに全てを包み込んでくれる彼の優しさに心を救われた人も少なくはないだろう。彼の相棒もその性格には随分と救われているようだった。
そういえば、今朝はその相棒を見かけていない。
「あれ、アマロは? また外で修行?それとも読書中?」
「ああ、アマロならまだ寝てるんじゃないかな……昨日はちょっと夜更かししていたみたいだし」
「アマロが? 珍しいね。騎士団長って寝坊や遅刻にも厳しいイメージなのに。」
アマロ・スカイウォークはこの家に暮らすもう一人の友人で、三人の中では最も生真面目な存在だ。第一騎士団を先導する姿から、二人は『第一騎士団のツートップ』と呼ばれている。
アマロは普段から自分に厳しく、規律正しい。代々、聖職を担った由緒正しい家系の長男として生まれ育ったからだろう。本来なら神父として、あるいは王族専属の占い師として王に様々な進言をし、この国の行く末を導くはずだったのだが。なぜか彼は家を飛び出し、騎士として戦う人生を選んだ。その理由はリースもレンクも知らない。訊いてはいけない領域な気がして、触れないようにさえしてきた。それでも、アマロの蒼い前髪の隙間から覗く鋭い瞳には、常に自身への厳しさと他人への優しさが真っ直ぐに宿っていた。
「昨日は結構夜遅くまで仕事してたみたい。今日くらいは仕方ないよ………昼には流石に起きてくるだろうしさ。ね?」
騎士団の仕事も大変だな、と息を吐く。騎士団のトップというのはデスクワークも中々ハードなようで、二人がリビングで何かの書類を必死にまとめている光景も一種の日常だ。時には騎士団本拠地に泊まり込みで何かの仕事に励むこともある。二人の仕事ぶりを見ていると、その内に体を壊すんじゃないかと見ているこちらが心配になってくる。
「あ、ねえリース!今日の食事当番ってリースだよね?僕、今日の朝ご飯スープもつけて欲しいなって…お願いしてもいい?」
「え?あ、うん、いいよ。何スープがいい?」
「う~ん…リースのご飯ってどれも美味しいから、お任せでもいいかな?」
「なにそれ…なんてね。わかったよ。じゃあもう少ししたらアマロを起こして来てくれるかな?」
「わかった!じゃあ僕いったん部屋に戻るね?」
なんてことのない日常会話をまじえてレンクはリビングを出て行ってしまった。
それにしても、今朝のレンクは少し様子がおかしかった気がする。どうかしたのだろうか。悶々とはしたものの、すぐにリースの脳内は朝食のメニューでいっぱいになった。リクエストも貰ったことだ、今日の朝はスープとハムエッグトーストにしよう。確か以前、城下町に買い出しに行った時の材料が残っていたし、スープは少し豪勢にしてみても良いかもしれない。アマロが寝ているのであるならばパンは先に二人分だけ焼いておけば良いだろう。
頭でメニューを決定したリースは鼻歌交じりにキッチンに向かい、調理を開始した。




