母娘
ハーティームーン王国騎士団員居住区、そこは希望した騎士団員に与えられる住居で構成された住宅街だ。
城や城下町からも近く、生活するには不便しない立地のそこに、私は何度も憧れた。雨風を凌げる普通の家、ライフラインは整備され、家賃を払う必要も無い。住んでいるだけである程度の実力者である事の証明ともなる家。当然、私の人生設計の中には、そこに住むことも織り込み済みだった。
勿論住むまでに審査が無い訳もなく、その団員の功績や経歴…あらゆる視点からの審査が入り、問題なしと見られた者にのみ居住権が与えられる。スラム生まれ、それも片親の私にとってはこの審査こそが問題だった。
騎士団への入団と同じく、居住区に住むにはある程度の信頼が必要になる。先にも言った通り、私はスラム街の出身だ。加えて母は何処の馬の骨とも分からぬ男に虐げられた被害者。こんな母子が越してこようものなら、何をするか分からない……そう考えられるだろうと踏んで、私は晴れて騎士団に入団した時から地道に成果を上げていった。王に形ばかりの忠誠を誓い、その忠誠心を誰の目から見ても『本物』と見えるように、戦場では他の誰よりも敵を屠る。その場その場で最善策を思考しては戦況に合わせた戦略を組み立て、狂いも無く実行する。鍛錬は怠らず、私なりの戦り方で敵を圧倒する。これを重ね続けた甲斐あって、私は居住区の審査を無事通過することが出来た。第二騎士団の指揮官となり多忙を極めた今となっては、城で寝泊まりすることがほとんどになり、帰ることも少なくなった。だが今でも、家では母が私の帰りを待っている。
忙しなく過ぎゆく日々の中で、私は仕事の合間を縫って、母の様子を見に帰っている。帰って来るのは数週間ぶり…いや、ひと月は経っているだろうか。扉をノックし少し待つと母がそろそろと顔を出した。
「クレア…おかえりなさい。」
「ただいま、母さん。」
クレアと言うのは私の愛称だ。母はいつも私をこの愛称で呼んでいた。私を憎むまいと、母なりの工夫をしてくれていたのだろう。
「最近、また忙しそうにしているわね…身体は大丈夫?ちゃんとご飯も食べてるの?」
ああ、まただ。母はいつだって自分より私の事を心配する。前に帰ったときよりも、母は少しやつれたような気がする。それなのに第一声が私の心配とは…
「大丈夫だ母さん。確かに仕事は忙しいが、ちゃんと元気にやっている。騎士の仕事はそうでないと務まらないから。」
「辛くなったらいつでも言って良いのよ。母さんのために苦しい思いをする必要は無いからね…」
「分かっている、分かっているよ母さん。大丈夫だから。」
母は強く優しい人だ。望まず産んだ私を愛し、育ててくれた。だからこそ時折考える。『もし、私が産まれてこなければ』と______
この国で、貴族でもない人間が子供を抱えて生きていくのは難しい。それがスラム街ともなれば、一人で生きていくだけでも苦労は絶えない。労働力にもならない子供なんて、少し人目の無い場所に行けば捨てる場所も、売り払う場所も山ほどあった。だというのに、母は私の意志を最大限に尊重しながら大切に育ててくれた。だからこそ、こうして生きていくのに困らないだけの富と地位を得てからは、なるべく母には楽な生活をさせようと心がけていた。
「それよりも母さん、今日はコーヒーを持ってきたんだ。母さん、好きだろう?今淹れるから、積もる話は飲みながらにしよう。」
縋るような母からそっと離れ、手土産代わりに持ってきたコーヒー豆を挽いて蒸らし、同時にミルクを鍋で温める。色々と好みや作法はあるのだろうが、蒸らしは1分半が私の理想だ。蒸らしたコーヒーに湯を注ぎ入れると、コーヒーの香りが部屋の中に充満していく。こうした嗜好品も、騎士団で働いているからこそ手に入る。ミルクもコーヒーも、今のこの国では一市民が気軽に手に入れられる代物ではない。尤も、それらを買うだけの金があったら、多くの人間は食料品を買い込むだろうが。
ミルクとコーヒーの比率は半々、所謂カフェオレ。私の異名に使われている飲み物だ。誰が最初に言い出したのかは知らんが、恐らく私の髪に起因して付けられたのだろう。戦場で、この髪が揺らめく様を見た何者かが思いついた名を喧伝した、と言ったところだろうか。正直、私はこの二つ名を気に入ってはいない。
「…良い匂い。本当に、クレアはコーヒーを淹れるのも上手ね。」
どこか悲しげにも、寂しげにも聞こえる母の声にはもう慣れてしまった。
「コーヒーを淹れるのに上手いも下手もないよ。」
カップの片方を母に渡し、もう片方の中身を啜る。ミルクとコーヒーの混ざった香りが心地良い。
城で仕事をしている時でもカフェオレを口にすることはある。書類仕事や、他の指揮官や団長との情報共有といった机仕事の眠気覚ましも兼ねてだ。だがやはりと言うべきか、城で仕事の片手間に飲むカフェオレよりも、こうして母と過ごしながら飲むカフェオレの方が段違いに美味に感じる。城ではやることが山積みで安らぐ暇などないし、あの忌まわしいクロノワールが目にも耳にも喧しくてゆっくり楽しむ余裕がない。いや、あいつは存在自体が鬱陶しいから、例え目を閉じ耳を塞いだとしても、気配がうるさくて仕方ないだろうが。
「…クレア、本当にここまで良く育ってくれたわね。母さんは昔からクレアに何もできなかったのに。」
「母さん……」
こういうとき、私は母に何と言えば良いのか分からなくなってしまう。生き残る為、生活する為に成長するしかなかった私を、母がどう思っているかは分かっていた。事実、私の人生は半ば強制されたものだったと言ってもいい。それに責任を感じてしまうのは、子を愛する親として当然の心理だろう。だが、私はこんなくだらないことで母に心を痛めて欲しくはなかった。
憎いだろう相手の子を産み、ここまで育ててくれただけで、母には大恩を感じていると言うのに、母はそれだけでは決して納得しなかった。
どこまで人が出来ているのだろうか、と私は思う。母と同じ運命を辿ったとして、きっと私は生まれてきた子を愛せないだろうし、自分のことで精一杯だ。
「……そういえば、また少し忙しくなるかもしれないんだ。」
無理矢理話題を逸らし、カフェオレを啜る。こんな時、自分の話題の無さを恨めしく感じる。もう少し明るい話は出来ないのか、と。
「最近騎士団内部も慌ただしくて。もしかしたら数ヶ月は帰れないかもしれない。」
「そう……無理はしないでね。危ない事もなるべくしないで………」
分かったよ。そう言えればどれだけ母は喜んでくれるだろう。無理も危険も冒さねばならないのが私達騎士団の仕事で、母もそれをわかって言っている。不安と慈愛の入り交じった、悲しい哀れな目______
私はあと何度、母にこんな顔をさせなければならないのだろう。そう考えるだけで怒りが込み上げてくる。不穏な企てをしているスカイウォーク、常にへらへらと巫山戯た態度のラフィル、権力を振りかざし民を苦しめ続ける国王…誰の、何への怒りかも分からない。あるいは無力な私自身への怒りかも知れない。どす黒く渦巻くそれを鎮める方法など、皆目見当もつかない。だが、やるべきことは明確だ。今はスカイウォークの企みを突き止め、必要があれば阻止する。感情に振り回されている時間も余裕も、私には無い。
気づけば窓の外は日が暮れかかっていた。雑務は終わらせてきたが、あまり長い間ラフィルに部下を預けておくのも不安だ。そろそろ本部に戻らねば。残っていたカフェオレを一息に飲み干す。
「…そろそろ本部に戻らないと。」
「そう…残念だわ。時間が過ぎるのはあっという間ね。」
母の笑顔に、私もぎこちなく笑い返す。
「これを洗ったら戻るよ。母さんのカップも空いているみたいだし。」
「ああ…いいわ、母さんが後でやっておくから。」
「そう…?」
「ええ。それより、最後にもう一杯だけ、母さんにカフェオレを入れてくれる?」
「………うん。」
母の手からカップを受け取り、出来るだけ愚図愚図とカフェオレを入れる。いつも決まって、母は私が去る前に飲み物を入れてくれと頼み、私はそれを時間をかけて入れる。そうして私は本部に戻り、また騎士として、いつ死ぬかも分からない戦場を駆ける。これが母に入れる最後のカフェオレになるかもしれないのだ。一分、一秒、一瞬だっていい。母の元に留まっていたかった。そんな私の意思を嘲笑うかのように、ミルクは最後の一雫をカップに零す。
「………お待たせ、母さん。」
「ありがとう、クレア………」
扉に手をかけ、母を振り返れば、切なげに微笑む母と目が合った。どうしようもなく愛おしく、悲しい顔。
「………それじゃあ、戻るよ。」
「ええ。……気を付けてね。」
外に出て、緩慢な動きで扉を閉じる。母の姿はもう見えない。それでも私は暫くその場から動けなかった。瞳を閉じて、何度か深く息をする。そして、愚図る足を叱責するように無理やり動かしてその場を後にした。
閲覧ありがとうございました。
次回投稿を楽しみにお待ちください。
※この作品はpixivにて同時連載中となっております。




