983話
まだまだ夏の名残のあるトレセン前の坂道を、悠助は鼻息荒くズンズンと力強く登っている。
時折後ろを振り返って雄太達がいるのを確認してはまた登って行く。
乗馬教室へ行く為のタオルなどを詰めたリュックを背負った後ろ姿を見ながら雄太達は笑いながら歩いていた。
「なぁ、こんな風景を前にも見たよな」
「うん。うちの子達は本当に馬が好きだよね」
俊洋は凱央と手を繋いで歩いていて、美理愛は雄太に抱っこされてキョロキョロと辺りを見回している。
「美理愛はベビーカーに乗ってるより視点が高いから、見慣れない景色に興味津々だな」
「初めて馬に跨った時に周りの景色が違って見えたの思い出すなぁ〜」
「俺も初めてサラブレッドに跨った時、感動したもんな」
凱央達も慎一郎や純也達に肩車してもらうとはしゃいでいるから、視線が高くなるのは楽しいのだろう。
後少しで坂を登り切るというところで悠助が立ち止まって振り返った。
「パーパ。ハヤク〜」
「おお〜。分かった、分かった」
「悠助、幼稚園に通うようになってから歩く速度が早くなったよね」
「ああ。俺もそう思う」
雄太と春香は顔を見合わせて歩みを早めた。
厩舎の立ち並ぶエリアを歩いて行く雄太達に、時折すれ違う厩務員達がにこやかに手を振ってくれたりして凱央達はご機嫌だ。
江川厩舎に着き大仲にいる当番の厩務員に挨拶をして馬房へと向かった。
「ゲイル〜。ゲイル〜。ボクキタヨ〜」
馬房の外から悠助が声をかけると、メイゲイルはひょっこり顔を出した。
放牧に出てふっくらとしたメイゲイルは、悠助を見て耳をピョコンと動かした。
「ゲイル。ゲンキダッタ? ボクハ、ゲンキダッタヨ」
メイゲイルには悠助の言っている言葉の意味は分かってはいないと思う。だが、両手を挙げて一生懸命に話す悠助を優しい顔をして見詰めている。
(ゲイル、優しい表情をするようになったな。レースになると凛々しいから、これがゲイルと悠助の信頼関係の表れ……なんだろうな)
初めて会った時はハーティグロウと同じような、疲れたようなもどかしさを溜め込んだような感じがしていた。
馬なのに感情とかがあるのかと言われる事も多いが、馬も勝てなくて落ち込んだり、ヤル気をなくして走る気持ちをなくしたりするのだ。
「キョウハ、リンゴモッテキタンダヨ。センセイガネ、スコシナライイヨッテイッテクレタンダヨ」
悠助はそう言って並んで立っている雄太達を見た。春香は笑ってビニール袋に入れて持ってきたタッパーを持って馬房に入った。
「ゲイル。元気だね。オヤツのリンゴだよ」
メイゲイルは耳をピョコピョコと動かしている。
(ゲイルもデイと一緒でオヤツが分かってるのか? まさかゲイルも中に人が入ってんじゃないだろうな)
雄太はメイゲイルの様子に、日本語の通じる馬か、中に大きな人が入っているのではないかと思ってしまった。
春香はタッパーからリンゴを取り出して悠助に持たせた。そして、タッパーを置いて悠助を抱っこをしてやる。
「ゲイル。ガンバッテネノリンゴダヨ。マタモッテクルカラネ」
シャクシャク
メイゲイルが美味しそうにリンゴを食べる音を聞いて、悠助は満足そうに笑顔を浮かべた。
メイゲイルがリンゴを食べ終わると、凱央達も馬房に入りメイゲイルを撫でてやる。
(俺がゲイルの鞍上を務めなかったら、ゲイルはどうしてたんだろう……? 勝てないままだったんだろうか? それとも、俺以外の誰かを背にして勝っていたんだろうか?)
雄太はふと、考えても仕方がない事を思ってしまった。
抱っこをしている美理愛がメイゲイルの鼻面を撫でてキャッキャと喜んでいる。
(もし、あの時俺に声がかからなかったら、こんなシーンも見られなかったんだもんな)
春香が美理愛を抱っこをし、雄太は悠助を抱き上げ満足するまで撫でさせてやった。
しばらく調教するとレースの予定が決まる。きっと、悠助は誰より前に立って緑と白のポンポンを持って応援するだろうと思うと、春香はポンポンの予備をたくさん作らなきゃと思うのだった。




