984話
雄太達は根岸厩舎に向かった。メイゲイルが元気で良かったと話しながら歩いていると微かな音が雄太達の耳に届いた。
ガッガッガッ
「ん?」
「雄太くん。あの音って何の音?」
厩舎の建物の角で雄太と春香は立ち止まった。子供達も一緒に立ち止まり雄太達を見上げている。
「まさか……なぁ?」
「なぁに?」
「デイが前搔きしてるんじゃないかって思って」
「え? でも……」
まだ厩舎の敷地には入ってもいない。いくら馬が耳が良くてもこんなに離れているのに春香の声が聞こえただろうかと雄太は思い、建物の影からそっと馬房のほうを覗き込んだ。
しばらく止んでいたガッガッガッという音が再びし始めた。
(まさかな。誰か当番の厩務員がいて遊んでくれとか、撫でてくれとか催促してるだけだよな)
雄太は大仲に顔を出して挨拶を済ませると馬房へと向かった。
「やっぱり……」
「え?」
馬房を覗き込むとインポータントデイの馬房前には誰もいなかった。そして、雄太の顔を見た後のインポータントデイの視線は雄太の後ろの春香を見ていた。
そして、首をフリフリしながら前搔きを再開した。
「春香。足を痛める前にあの激しい前搔きをやめさせてくれ……」
「あはは……。うん」
春香は抱っこしていた美理愛を雄太に任せて建物の中に入った。途端にインポータントデイは首を上下に振り始めた。
「デイ、久し振り。メチャクチャ元気だね」
春香が笑いながら話しかけると、インポータントデイはグイッと鼻面を春香に押し付ける。
春香の手が鼻面に触れ、撫でられるとインポータントデイは大人しくなった。
(なんだろうな……。デイの奴うっとりしてるって感じか? 何か……腹立つっ!)
恐らくインポータントデイがチラリチラリと雄太のほうに視線を向けているのが、煽りに感じてしまうからだろう。
カームマリンの時よりも、インポータントデイはドヤ感が強い気がしてくるのはなぜなのかと思ってしまう。
(あいつぅー! 絶対にドヤってるだろっ⁉ 駄目だ……。落ち着け、俺。相手は馬だぞ?)
そう自分に言い聞かせて深呼吸をしていると、美理愛が雄太の腕をペチペチと叩いた。
「パー。ンマタン」
「ん? 美理愛もデイをナデナデするか」
「ン。ナエナエシュル」
雄太は馬房の外で待っていた凱央達に声をかけた。
「順番な」
内心、インポータントデイを撫でたいとウズウズしてるだろうけれど、凱央達は笑って頷いた。
雄太はゆっくりと馬房の前に立ち、インポータントデイは顔を雄太と美理愛のほうに向けた。
「デイ。美理愛にも撫でさせてやってくれよな」
「ジェイ、ジェイ」
美理愛は雄太が教えていたのをちゃんと理解しているようで、そっと手を伸ばした。
その小さな手がインポータントデイの鼻面に触れる。そして美理愛はゆっくりと撫でていた。
「ジェイ、イーコ」
「そうだな。デイは良い子だぞ。走るの速くて凄く強いしな」
「ン」
まだ言っている事の意味は分かってはないだろう美理愛だが、ニコニコと笑っている。
インポータントデイも美理愛の小さな手を拒否する事はない。時折、春香のほうを見ては『そこにいるよな?』といった顔をしている気がしていた。
そして、凱央達も順番にデイを撫でてやる。
「おかえり、デイ。ぼく、いっぱいおうえんするから、パパとがんばるんだよ?」
「デイ。パパト、イチバンニナッテネ」
「ボクモ、オウエンスルカラネ」
ダービーの前に春香達から贈られた御守りは、少し色褪せてはいたが今も風に揺れている。
「デイ。たくさんあげたいけど、今は馬体重が増えてるから少しだけね」
春香がタッパーからリンゴを取り出すと、インポータントデイの耳がピコピコと動く。
建物内にシャクシャクと良い音がする。
(ああ……。そろそろかな?)
雄太がそう思った瞬間、インポータントデイは春香の頬をペロリと舐めた。
(やっぱり……)
インポータントデイはリンゴの匂いがするヨダレをつけながら、春香を気が済むまでペロペロと舐めて雄太を呆れさせていた。




