980話
9月5日(土曜日)
早朝、春香はリビングからの電話の着信音で目を覚ました。
(ん……? 誰だろう。この時間にかけて来る人って……)
時刻は四時少し過ぎていた。雄太が仕事の日はこの時間には起きているが、昨日雄太は調整ルームに行ってしまっていた。
「もしもし」
『あ、春。俺だ』
「お父さん。どうしたの? こんな時間に」
受話器から聞こえてきたのは、直樹の声だ。だが、少し固く感じて春香はドキリとした。
「もしかして、お母さんに何かあったの?」
『あ、里美じゃない。さっき、母さんが息を引き取ったんだ』
「え……? おばあちゃんが……?」
直樹と重幸の母は、直樹が春香を養女にする事を頑なに反対をしていて、今も春香にも曾孫達にも会ってはくれていなかった。
『ああ。春に伝えるべきか迷ったんだが、一応な』
「うん。ありがとう」
『通夜や葬儀の時間は決まり次第伝えるが、無理に来なくても良いからな?』
「お父さん……」
直樹も重幸も母親に何度も何度も春香の事を話そうとしていた。だが、話すら聞こうとはしなかった。
重幸が体を痛めた時に春香に助けてもらったと言っても、『それはそれ』と言われたと重幸は悔しそうに直樹に話していた。
『通夜や葬儀に子供達を連れてくるのも大変だしな。何より子供達は曾祖母ちゃんに会った事もないんだから』
病院長であった父親が、春香が出産や健診に病院を訪れる度にコソコソ会いに来ていた時、重幸は『父さんと母さんの違いがな』と直樹に話していた。
春香は自分の実親の所為である事が分かっていた。実親が他界しても、実親の血が流れている事が許し難かったのだという事も理解している。
『春、大丈夫か?』
「大丈夫だよ。世の中全ての人に受け入れてもらえるなんて事は無理だって私は知っているから」
『そう……だな……』
黙ってしまった春香に直樹は申し訳なさそうに言うと、春香は明るく答えた。
その答えは、直樹が思っていた事を汲んだような言葉で直樹は胸が詰まった。
(人の顔色を伺って生きてきたから、人の感情や思いを察してしまう癖はまだ抜けてないのか……)
傍若無人な人間よりは良いとは思うがやはり切ない。
直樹は通夜と葬儀の予定が決まったら連絡すると言って電話を切った。
昼食を一緒に食べた後、春香は理保に祖母が他界した事を伝えた。
「え? 直樹さんのお母様が……」
「はい」
「そう。通夜と葬儀の日時が決まったら教えてちょうだい。子供達を連れて行くとしたら大変でしょう? 私もお焼香もしたいし」
「お義母さん……」
理保はニッコリ笑って、悲しそうな顔をした春香の頭を撫でる。
「どんな確執があったとしても、春香さんのお祖母様には違いないでしょう? 凱央達にとっては、曾祖母様なのだから最期のお別れはさせてあげましょう?」
「はい、お義母さん」
凱央なら通夜と葬儀には連れてはいけるだろうが、俊洋と美理愛は難しいだろう。
理保に預けていくしかないと春香は考えていたのだが、理保は参列もしてくれると言ってくれた。
「そう言えばお祖父様は凱央達を猫可愛がりしてたわね」
「そうですね。重幸おじさん以上に職権乱用してくれましたし、しょっちゅう病室に来てくれてましたし」
「そうよね。私、病室に顔を出してくれる白衣の方だから産科の先生かと思ったら、胸の名札に『病院長』って書いてあって目が点になっちゃったわ」
凱央が産まれた時の事を思い出し、理保がクスクスと笑う。
(おじいちゃん、気落ちしてるだろうな……)
優しい顔をした祖父は、病院長を重幸に譲ってから曾孫の凱央達と会う事が激減し、連れて家に遊びにきて欲しいのにと何度も直樹に言っていたと聞いた。
その優しい祖父の顔が曇っているだろうと思うと春香の胸の奥がギュッと締め付けられる。
リビングでキャッキャとオモチャで遊んでいる子供達を見る。
(おばあちゃん……。一度ぐらい子供達に会って欲しかったな……)
今更どうしようもないが、何度も何度も春香はそう思ってしまっていた。




