932話
2月13日(金曜日)
バレンタイデーを翌日に控え、春香は雄太に小さなチョコの包みを手渡した。
「調整ルームに持って行って良いか?」
「うん、良いよ。雄太くんがそんな事を言うなんて珍しいね」
「春香が作ってた時から決めてたんだ。絶対、ソルに見せつけながら食べてやるって」
真面目な顔をして言う雄太に春香は吹き出した。
「羨ましがらせまくってくるからな」
「うん。頑張ってね」
「ああ」
甘いのが苦手な雄太の為に甘さを控えたフォンダンショコラを一生懸命作って良かったなと春香は思った。
雄太はバッグの一番上にチョコの箱を置いてから、春香を抱き締める。
「マッマ。パッパニナニヲワタシタノ?」
「ん? えっと……何でもないよ」
俊洋だけでなく、凱央達の分は明日バレンタイデー当日に渡す事になっている。だから雄太にチョコを渡したのは内緒なのだ。
「ウバウォウ〜」
「美理愛。良い子にしてろよ? パパ頑張ってくるからな」
雄太が美理愛の前に膝をつくと、美理愛はベビーウォーカーに座りながら精一杯腕を伸ばして雄太の顔をペチペチと叩く。
「パッパ。ガンバッテ」
「ああ。俊洋も良い子にしてろよ?」
「ウン」
雄太は温かい気持ちで東京へと向かった。
東京競馬場の調整ルームに入った雄太と純也に後輩達が挨拶をしてくる。
(もう少ししたら、健人がこの中に含まれるんだよなぁ〜)
健人が後輩として顔を合わせるのは後半月程だ。
(しばらく京都や阪神での騎乗ばかりになるだろうけどな)
健人がデビューしたら競馬場への移動は雄太が乗せて行ったりする事もあるだろう。
それはそれで楽しそうだなと思う。ただ、純也も一緒となると車の中が騒がしいだろうというのは確定だなと思った。
調整ルームの部屋に入ると、いつも通りに純也が布団を抱えてくるのが分かっているから鍵もしないで明け放っておく。
「雄太ぁ〜」
「ん? お前……」
純也が布団を抱えているが、その手には紙袋があった。
「ごめん。この紙袋を頼む」
雄太が紙袋の手提げ紐を持ってやると、純也は部屋の隅に布団を置いた。
「何だよ、この紙袋は」
「え? 駅で買ったお菓子だけど?」
「いつの間に……」
「雄太がトイレに行ってる間に買ってた」
雄太が中を覗き込むと東京にいるというのに東京の銘菓やお土産物が入っている。
「東京で東京土産買って食うとか……」
「まぁまぁ。小腹空いたら食うんだし良いだろ? ポテチとかはどこでも買えるからさ。あ、サンキュ」
純也は雄太から紙袋を受け取り、中からあれこれ取り出した。
「てかさ、俺がこれ持ってんの気づいてなかったとか、雄太ってあんま俺の事見てないのな」
「何で俺がソルが何を持ってるとか気にしなきゃなんないんだよ」
呑気に言う純也に雄太は溜め息混じりに言う。
「へ? 気にしてくれよぉ〜。冷たいな、雄太は」
「気にしなきゃならない意味が分からん」
「饅頭一個やるから気にしてくれよ」
「は? え?」
雄太がふと純也の手元を見ると六個入りの饅頭が既に残り二つになっていた。
「お前……。饅頭を飲み物のように食うのな……」
「こんくらいの饅頭って一口で食うだろ?」
そう言って大口を開けて、饅頭をポイと口に入れた。
「饅頭って……そんな食い方するモンだったか……? てかさ、そんなに饅頭食ったら胸焼けしそうなんだけど……」
「雄太って、本当甘い物苦手だよな。俺なんて羊羹一本かぶりついて食うのが幸せだぞ?」
そう言って純也は箱に残っていた饅頭を口に入れ幸せそうな顔を浮かべた。
「そう言えば、前に京都駅に着いた瞬間に羊羹買いに行ってたよな?」
「あそこの羊羹はマジ美味いんだよ。甘さがくどくなくて、二本は軽く食えるぞ」
雄太は純也の話で甘い物を食べてもいないのに胸焼けがして来たような気がしてきた。
胸元を押さえながら布団に倒れ込む雄太に純也が不思議そうな顔をする。
「どうした? 雄太」
「疑似胸焼けが……」
「は?」
純也に春香のチョコを見せびらかせる事を忘れて疑似胸焼けに苦しむ雄太だった。




