916話
10月26日(日曜日)
東京競馬場 10R 第116回天皇賞(秋) G1 15:35発走 芝2000m
雄太はほんの少しだけ緊張していた。
(お前以外全部牡馬だもんな。けど、俺はお前の力を信じてるからな? 落ち着いて行こうな)
十六頭立ての唯一の牝馬という事で二番人気だ。しかも一番人気は圧倒的な1.5倍というオッズで雄太は4.0倍。
(オッズだけで競馬は決まらない。俺は知ってる)
ファンファーレが鳴り響き、場内の熱気は一気に上がった。
雄太はスゥーっと息を吸い込み、ゲートへと馬を進めた。
ガシャン
ゲートが開いて全馬綺麗なスタートを切った。
(雄太くん。頑張ってね。無事に帰ってきてね)
春香は美理愛を抱きかかえテレビの中の雄太に声援を送っている。
子供達はテレビの前に陣取り、ポンポンを振り上げて応援している。そして、美理愛の手にもポンポンがあった。
赤いポンポンをシャカシャカと音を立てながらフリフリしている。
昨日の朝、俊洋が洗い物をしている春香の服の裾をツンツンと引っ張った。
「マッマ。ミリアノポンポンハ?」
「え?」
「パッパノオウエンノポンポン」
もう美理愛はしっかり物を掴めるのに、ついうっかりと美理愛用のポンポンを作り忘れていたのだ。
妹も同じように応援したいと思った俊洋の優しさに嬉しくなり、その日のオヤツは子供達全員が大好きなプリンを作った。
(雄太くん。美理愛もポンポン持って応援してるよ)
美理愛の応援も雄太に届くと良いなと思いながら、春香は画面を見詰めた。
先行する馬につられてしまわないように気をつけながら、雄太は中団に位置取りキープをしていた。
4コーナーにかかり、少しずつ前との距離を詰めていき、直線コースに入った雄太はスルリと馬を馬群の外に出した。
歓声が沸き上がる。その声は応援なのか罵声なのかは分からない。だが、白い競馬新聞が大きく振られている。
「パパっ! パパっ! パパぁ〜っ!」
「ガンバレェ〜、ガンバレェ〜」
「ガンバレッ! パッパッ!」
「ウァウオ〜。ダウアゥ〜」
雄太宅のリビングでは青いポンポンと赤のポンポンが揺れている。
子供達の声援に応えるかのように、雄太の騎乗馬は逃げていた先頭の一頭に追いつき、並び、一気に追い抜いた。
そして一番人気の馬との競り合いを征して、雄太は一着でゴール板を駆け抜けた。
「かったぁ〜。パパかったぁ〜」
「パーパ、パーパ、パーパ」
「パッパ、イチバンナッタァ〜」
「ウォウ〜、バァ〜、ナナナゥ〜」
凱央達はピョンピョンと跳ね、美理愛も足をジタバタとして両手をペチペチと叩いていた。
(おめでとう、雄太くん。良かったね)
雄太が勝った姿は何度見ても心が躍るような気持ちになり、春香は子供達と一緒に拍手をしていた。
「よしよし、よく頑張ったな。えらいぞ」
まだ荒い息をしている馬の首筋をポンポンと叩いてやる。
15頭の牡馬を蹴散らし、唯一の牝馬が勝ったのだから観客席の盛り上がりも記者達の驚きも凄かった。
「雄太。やったな」
「サンキュ、ソル。あれ? ソルどこにいたっけ?」
「何だとぉ〜っ⁉ お前は相変わらず可愛くねぇなっ!」
相変わらず賑やかな二人の会話を後輩達は必死に笑いを堪えている。
「ソルに可愛いって思われてもなぁ〜」
「ムキーッ!」
もう若手でもないのだが、なぜゆえにこの二人はいつまでもじゃれ合って子供っぽいのだろうかと鈴掛や梅野だけでなく、殆どの騎手や調教師達が思っている。
「リーディングジョッキーって……、これで良いのか……?」
「G1騎手って、こうじゃないとなれない……とか?」
「え? そうなのか?」
「この前、塩崎さんに重賞を勝つ方法を訊いたら、全国各地の競馬場のある所の銘菓を食えって言ってたぞ?」
「俺はサービスエリア毎のソフトクリームを食えって聞いた」
雄太の部屋の前の廊下で若手達が床に座り込んで話していた。
コッソリと聞いていた雄太が、訳の分からない作り話を後輩に教えた純也に呆れたのは言うまでもない。




