913話
8月17日(日曜日)
札幌競馬場 11R 第33回札幌記念 G2 15:35発走 芝2000m
(やっぱり滋賀より涼しいよなぁ〜)
パドック横の騎手控室で雄太はのほほんと考えていた。
パドックを歩いている馬達も少しは暑さから解放されているだろうかと考えていた。
(ん? あれ? 梅野さんがいない……?)
雄太は同じレースに出るはずの梅野の姿を探した。梅野に限って控室にいないはずはないと見回すと、いつもの席ではなく控室の端っこで立っていて何か考え込んでいるように見える。
梅野の馬は調子も良さそうでイレコミもなく悠々と歩いているのに、鞍上である梅野の様子が変だと感じた。
(どこがって言われたら答えられないんだけど……。何か悩みとかでもあるのかな?)
雄太が声をかけようとした時、騎乗の号令がかかり声をかけられずに騎手控室を出た。
「やっぱり北海道は過ごしやすそうね」
「滋賀より気温が低いのもありますけど、湿度が低くて気持ち良かったですよ」
「良いわよね、北海道。うちの人が定年退職したら一度ゆっくり旅行してみようかしら」
理保は殆ど旅行をした事がないと言っていた。仕事人間の慎一郎が年がら年中トレセンに詰めているのが原因だ。
たまにセリなどで家を空ける事もあるが、理保は一人旅は淋しいと言って家にいる。
最近旅行をしたのは雄太達が温泉旅行をプレゼントしたのが最後だ。
旅行も良いが孫達と過ごすのが一番の楽しみとも言っている。
「パパ〜。まさきにいちゃんがんばれ〜」
「ガンバレ、ガンバレ。パーパ」
「パッパ、マサキニイタン。ガンバエ〜」
三人の兄達につられて美理愛も興奮気味だ。
春香の太ももの上でお尻を跳ね上げるようにしている。
「バゥバ〜。オウニィ〜」
「美理愛も凱央達と同じね。体を動かすのが凄いわね」
「はい。足の力も強くなったなぁ〜って思います」
離乳食を始めてから足のプニプニ具合よりも筋肉が増しているように感じる。ベビーウォーカーに乗っていても前進する速度が上がった。
テレビの画面を見ていて美理愛は雄太が映るとテンションが上がっているから、雄太だと理解してるようだった。
(やっぱり美理愛もパパが大好きなんだなぁ〜)
金曜日から会えなくなるからと、雄太がなるべく子供達との時間を取ろうとしてくれているからだろう。
(私も雄太くんが大好き。旦那様の雄太くんもパパとしての雄太くんも大好き)
パドックで真剣な顔をしている雄太を眩しく見詰めていた。
ゲートが開き、スムーズにスタートをきった雄太は中団に位置取った。
他の馬は順位を上げたり、多少位置を下げたりしているが、雄太は焦る事なく一定の位置を保っている。
そのまま、4コーナーを過ぎ、直線コースに向いて馬群がバラけた瞬間を雄太は見逃さなかった。
一瞬の隙をチャンスと捉え掴んでいくのは天性の才能だろう。
加速したスピードのまま、先行していた馬達を捕らえにかかった。
「パパァ〜っ! パパァ〜っ!」
「ガンバレェ〜っ! パーパっ!」
「パッパァ〜っ!」
凱央達の大声援がリビングに響く。美理愛も両手を振り上げ、足をバタつかせている。
「ダダダァ〜」
「雄太くん。後少し頑張ってっ!」
理保はギュッと両手を握り締めている。
リビングからの思いと声援が届いたかのように、雄太は先行馬に並びかけ、そして追い抜き、先頭に立った。
観客席からは大声援が沸き上がる。
雄太は一着でゴール板を駆け抜けた。
ゆっくりとスピードを落としながら、馬の首筋をポンポンと叩いてやる。
「お疲れ。良い走りだったぞ」
まだ荒い呼吸をしてはいるが、一番になる事を馬も理解しているかのように誇らしげに満足気に見える。
方向転換し馬をスタンドのほうに向けた時、梅野の姿が目に入った。
(一度も梅野さん見てなかったけど……。どこにいたんだろう……? 何着だったんだろう……?)
掲示板にも梅野の馬番はなかった。
馬の調子が良く見えていたから、雄太は不思議でならなかった。




