第35章 俊洋と美理愛 899話
6月1日(日曜日)
雄太が子供の頃から憧れ、手にしたいと夢みていた東京優駿に出場する。
金曜日に自宅を出る時に春香と子供達に『頑張ってくるからな』と言ってきた。
そのダービーの舞台に立ち、雄太は深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
昨夜、調整ルームから雄太は気合いが入っていた。
「俺、今年こそって思ってるんだ」
「おう。でもさ、雄太は何でダービー獲れねぇの? 他のG1はバカスカ獲ってんのに」
明日も騎乗があると言うのに、ポテチの袋を抱えバクバクと食べている純也が真顔で訊ねる。
「あのなっ! それは俺が訊きたいんだよっ!」
「ちょっ! やめっ! ポテチがこぼれ……。脳味噌が……酔う……船酔いみたいで……」
雄太は純也の肩を掴み、ガクガクと揺さぶった。前後に揺れる純也を見て、梅野はゲラゲラと笑い転げる。
「梅野さん。笑い事じゃないですよ」
「だっ……だって、雄太ってばよぉ……、ブフッ。G1獲りまくってんのに……ウハハ……。ダービーだけ手こずってんやんの」
「ブゥ」
涙を浮かべて笑い転げる梅野に雄太はむくれる。
「あ〜。笑い過ぎて腹痛ぇ〜。てかさ、真面目な話すると気合い入り過ぎてんじゃねぇかぁ〜?」
梅野に言われて雄太はガックリと肩を落とした。雄太の手が肩から離れた隙に、純也はポテチの袋をしっかり持って雄太から距離をとった。
そしてまたバリボリと食べ始めて、コーラをゴクゴクと飲む。そして、凹む雄太を見て励ます。
「緊張はしなくても、力み過ぎとかあるんじゃね? 無意識にさぁ〜」
「そんなに気負ってるつもりはないんだけどなぁ……」
どんなレースでも冷静で、展開ごとに判断していると自分では思っていた。
だが、新聞などでは『なぜ鷹羽雄太はダービーを獲れないのか』と書き連ねられていた。
アンチかと思うぐらいの辛辣なものまである。
(俺自身が分からないのに、他人が分かるのか? したり顔で分析してるけど、書いてる奴は騎手経験者じゃないだろうに……。好き勝手に書かれるのはもう慣れたけど)
公式な記者会見でもきちんと話しているのに、憶測で書かれる事に苛つきを感じる事は多々ある。
何より苛立つのは、それらの記事を読んで春香が心を痛めている事だ。
まだ子供達には読めないが、その内読める時が来たらどんな風に思うだりうと考えると頭が痛い。
「梅野さんは初めてG1に乗った時はどんな感じだったんすか?」
「ん〜?」
「よく心臓が口から出そうとか言うじゃないっすか」
「俺、緊張はソコソコだったけど、あんま記憶がないんだよなぁ〜。ボォ〜っとしてたとかじゃないぞぉ〜? 無我夢中……ってのが一番近い感じかなぁ〜」
梅野はニコニコと話し、純也はうんうんと頷いていた。
「今でもG1はテンション上がるぞぉ〜? 特別だって思ってるしなぁ〜」
「そりゃ、俺だって思ってるっす。もっと重賞も獲りたいし、G1にも出たいし、全国リーディングの順位も上げたいっす」
「それは俺も同じだぞぉ〜。この馬はお前じゃなきゃ乗れないって言われるのもモチベーション上がるんだぞぉ〜」
真面目に競馬の話をしている純也と梅野の声を聞きながら、雄太は自分はどうだろうかと考える。
(俺も一緒だな。勝ちたいって思いはいつもどんなレースでも一緒だ。いつだって勝ちたいって思ってるぞ? リーディングだって、誰にも負けたくないからずっと一位を譲りたくないって思ってる)
ダービーが終わり、雄太は口取りや勝利騎手インタビューを見ていた。
(また勝てなかった……。何でだ……?)
多くの重賞に挑戦させてもらった。そして勝利を手にしてきた。
最年少記録も打ち立ててきた。
それでも獲れないダービージョッキーの称号。
確定ランプの点った掲示板を見上げ、一番下にある自身の馬番をジッと見る。
胸の奥がギュッと締めつけられる。
(ああっ! 駄目だ、駄目だっ! 来年があるっ! 俺が今年で騎手を辞める訳じゃないっ! 来年こそ手にしてやるっ!)
雄太は気持ちを切り替えて、最終レースに出場する純也の応援をする事にした。




