890話
3月14日(金曜日)
雄太の誕生日の当日、雄太は中山競馬場へ向かう準備を終えてから春香の部屋に入った。
春香はベッドに腰掛けて美理愛を抱っこしている。
「雄太くん。誕生日おめでとう」
「ありがとう、春香」
「何も出来なくてごめんね」
「出産したばかりなんだから。気にしなくて良いって言ったろ?」
出産してまだ十一日目の春香が買い物に行ける訳はない。たが、春香としては何かお祝いをしたかったのだ。
「出産前に買っておけば良かった……」
「じゃあ、来年にまとめてって事で」
「うん」
春香の隣に座り、美理愛の頬をツンツンとつつく。
「お祝いは、美理愛のお宮参りと悠助の入園祝いと合同でやろうな」
「アバァ……」
「ははは。美理愛は可愛いな。パパ頑張ってくるからな?」
ずっと見ていたい気持ちを押さえて雄太は立ち上がり、春香にキスをした。
「行ってくるな」
「いってらっしゃい」
雄太が玄関に向かうと悠助と俊洋が走ってついてくる。
「悠助、俊洋。ママと美理愛を頼んだぞ?」
「ウン。マーマトミリアハ、ボクニマカセテ」
「パッパ。ガンバレ」
頼もしい二人のお兄ちゃんの頭を撫でて、雄太は迎えのタクシーに乗り込んだ。
「ジィジ。こう?」
「そうだ。真っ直ぐ前を見るのは一緒だぞ」
「はい」
凱央はモモちゃんではなく、もう少し体高のあるポニーに初騎乗していた。
凱央の背が高くなった事と、少しずつ体高が高いポニーに慣れていきたいと申し出た凱央の希望を叶えたものた。
ゆっくりと練習場を歩かせる凱央を慎一郎はジッと見ている。
「チコちゃんと凱央くんの相性は良さそうですね」
「小野寺先生には感謝しないといけませんなぁ〜」
「とんでもない。うちが小さな子供でも受け入れていますよと宣伝が出来るのは、ああやってしっかり乗ってくれる凱央くんのおかげですよ」
少し前、慎一郎は小野寺から凱央を宣伝のモデルとして使わせてもらえないかと相談されていた。
大人のコースだけでなく、もっと小さい頃から馬に慣れ親しんで欲しいからだと言う小野寺の熱意と慎一郎の熱意が合致したのだ。
もちろん雄太と春香にも話した。雄太は恩師の小野寺の頼みでもあり、子供達が乗馬教室に来てくれて将来騎手になってくれればという気持ちもあり了承した。
「凱央くんの姿を見て、乗馬に興味を持ってくれたら嬉しいですね」
「これからの競馬界を考えるなら、早い時期から馬に興味をもって触れて、乗ってみて欲しいと思っとる」
少しずつ速度を上げている凱央に二人は視線を移す。離れた所から撮影をしているカメラマンの事は凱央には見えていないのだろう。
(あの歳で、あの集中力と騎乗技術……。雄太の才能を引き継いでいると思っても良いよなぁ……。儂に夢を見せてくれ、凱央)
慎一郎は熱い思いを胸に抱えながら凱央を見詰めていた。
一方、その頃の雄太宅の玄関先では理保が訪ねて来た女の子達の対応をしていた。
「ありがとうって凱央からの伝言よ」
「はい。ありがとうございました」
理保にペコリと頭を下げて帰って行く小さな背中を見詰める。
理保は段ボールに入っている小さな紙袋を見た後、手にしていたメモ帳にボールペンで丸をつける。
(凱央ってば、本当にモテるのね。誰に似たのかしら?)
外は既に薄暗くなっている。さすがにもう女の子達はもう来ないだろうと思い、理保は段ボールの中にメモ帳とボールペンを入れて部屋に戻った。
明けた月曜日。
学校に行った凱央は、バレンタインデーのプレゼントをくれた女の子達に会うたびに質問されていた。
「ときおくん。すきなおんなのこいるの?」
「うん。チコちゃん」
前に好きな女の子を訊ねて『モモちゃん』と聞かされた子達は『もう好きな女の子が変わったっ!』とヒッソリと噂したが、当の凱央は我関せずでいたようだ。
凱央は雄太に似て朴念仁なのかも知れないと純也達が心配する日が近いかも知れない。
その前に、乗馬姿の凱央のポスターを見て女の子達が乗馬教室の体験を親に強請り、小野寺を驚かせるのが早かった。




