888話
凱央が学校から帰ってきた。
「ただいまっ‼ ねぇ、みりあは?」
「おかえり、凱央。今、ママの部屋でおっぱい飲んでるところだ」
凱央は慌ただしく洗面所へ行き手洗いとうがいをして、春香の部屋をそっと覗いた。
「ただいま、ママ。みりあ、ねてる?」
「凱央、おかえり。まだ起きてるよ」
凱央は美理愛を驚かせないようにそっと部屋に入った。そして、ベッドの端に座っていた春香の横に座った。
「みりあ、ただいま」
「ンバァ……」
凱央がそっと指で美理愛の細い指を撫でる。
「みりあ、かわいいね」
「うん。凱央もこんなだったのよ。可愛くて可愛くて、ママ嬉しかったんだよ」
「えへへ」
しばらく美理愛をかまっていた凱央は素早く宿題を済ませて乗馬教室へ向かった。
理保は美理愛を寝かせた春香に優しく微笑んだ。
「家の孫達は本当に優しい子ばかりで嬉しいわ」
「きっと雄太くんに似たんですよ」
「あら、嬉しい事言ってくれるわね」
理保はスヤスヤと眠る美理愛の顔を覗き込む。
春香は子供達が優しいのは雄太似であると共に、理保の愛情深いところにも似ていると思っていた。
嫁と義母とは思えない温かく心地が良い関係が子供達にも良い影響がある事を当事者二人は全く気づいていなかった。
「へ? と……父さん、今何て……?」
その日は春香と美理愛の退院を祝いたいと、慎一郎が贔屓にしている和食屋から豪華な膳が届いた。
母乳で美理愛を育てている春香には生ものを避けたメニューが並んでいて、ほのぼのとした食事をしていたのだが、慎一郎が発した言葉に雄太が目を丸くした。
「だから、儂と理保は春香さんの床上げが済むまで一階の和室で過ごすって言ったんだ」
「だから何で?」
春香がちゃんと動けるようになるまで理保が家事などを代わりにやってくれる約束はしていた。
「お前なぁ……。理保に二軒分の家事をしろと言うのか? こっちで一緒に暮らしたほうが負担は少ないんだぞ?」
「そ……そりゃそうだけど」
「何だ? お前は儂らがこっちで暮らすのが嫌なのか? 冷たい息子だな」
一人では慎一郎には敵わないかと思って理保に視線を移したが、理保はニコニコと笑っていた。
理保は味方にならないと思い春香に視線を移すと、春香は俯いてクスクスと笑っていた。
「春香ぁ……。笑ってないで何とか言って……。もしかして……父さんっ⁉」
「当たり前だ。既に春香さんの了承はもらってある」
「のあっ⁉」
雄太はコマ送りのような動きで春香のほうを見る。春香は薄っすらと涙を浮かべながら忍び笑いをしていた。
「私がお義父さんとお義母さんに床上げが済むまで一緒に暮らして欲しいなって言ったんだよ? 行ったり来たりとか面倒でしょ?」
指で涙を拭いながら春香は言う。
(父さんは美理愛や凱央達と毎日いたいんだろうけど……)
ハァーと溜め息を吐いた雄太に慎一郎がポンと手を打った。
「大切な話を忘れとった」
「何?」
「ここの敷地の裏手に空き地があるだろう?」
「え? あ、うん」
雄太がここの土地を買った時には畑として使われていた細長い土地があった。しばらくは、何かしらの野菜や花が植えられていたが、ここ数年放置といった感じだった。
「土地の持ち主から買ってはくれないかと話を持ちかけられたんだ。もう歳が歳で畑をやる気力も体力もなくなったとかでな」
「そうなんだ?」
雄太の家の敷地に沿うような形の細長い土地で、家を建てられるような奥行きもない。売るにしても使い道がないのではないかと思い至り、ならばと言う事で慎一郎に相談を持ちかけたようだ。
「約百坪らしい。もし買うなら話はするが」
「春香はどう思う?」
ちゃんと夫婦で相談するべきと雄太は春香を見た。
「良いんじゃない? 建物を建てなくても、それぞれ子供達が友達を連れてきても遊べるし」
「だな。先に塀を造ってもらって、今の塀を壊してもらえば防犯面に問題はないし」
慎一郎が子供達の為に植えたサクランボも随分と大きくなった。いずれは大木となるだろう。
諸々の事を考え、裏の土地を購入して雄太宅は更に広くなったのだった。




